My Sweet Home 2.5〜少しずつ、前へ〜

 

 

 

 
「中耳炎、ですね」
「…中耳、炎」
「ええ。耳を触ると嫌がっているようだったので、もしかしてと思ったんです。高熱も症状の一つですし。耳の中も見せて頂きましたが、思った通り赤くなっていました。中耳炎でほぼ間違いないと思います」
 
 
遺伝子学の権威でもあるタッド・エルスマンの教えを請うために地球からやってきていたグループの中に偶然小児科医がいると聞かされ、ディアッカとミリアリアは早速研究所を訪れていた。
そしてあっけなく下された診断に、ぐずぐずと泣きじゃくるリアンを宥めながらミリアリアは無意識でその言葉を復唱していた。
 
「四ヶ月ですと初乳の免疫も弱まってくる頃ですから。幼児であれば解熱鎮痛剤を処方するところなのですが…」
「ああ、薬は私が調合しよう。すまなかったね。本当に助かった」
 
ディアッカとともに診察の様子を見守っていたタッドが深々と頭を下げると、医師は恐縮したように立ち上がった。
「とんでもないです!お役に立てたのならそれだけで…。ですからどうか頭を上げてください!」
尊敬する博士の振る舞いに汗をかきながらぶんぶんと首を振り、医師はミリアリアに抱かれたリアンを振り返って優しく微笑んだ。
「よく頑張ったね…偉かった。熱が下がれば痛くなくなるから、あと少し踏ん張ろうな」
「ありがとうございました…!」
涙声で礼を述べるミリアリアの後ろで、ディアッカはまぶしそうに瞳を細めて父と同じように頭を下げた。
 
 
***
 
 
いつもよりもゆっくりとエアカーをパーキングに停め、ディアッカは大きく息を吐いた。
あの場で解熱鎮痛剤を投与されたリアンは、チャイルドシートの上でぐっすりと眠っている。そしてその隣ではミリアリアがどこか放心したように息子の寝顔を見つめていた。
「先に鍵開けてくるわ。荷物これだけ?」
はっと顔を上げ、ミリアリアは慌てて頷いた。
 
「うん。ありがとう。私、リアンを連れて行く準備しちゃうわね」
「ああ、いいって。俺がやるからちょっと休んどけよ」
 
ようやく落ち着いたリアンに柔らかな視線を落とし、マザーズバッグを受け取ったディアッカが門の中に消えていく。
その背中を目で追いながら、ミリアリアはそっと唇を噛み締めた。
 
 
 
そして、夜のこと。
すやすやと眠るリアンの柔らかな髪をそっと撫で付け、ディアッカは軽く伸びをすると立ち上がった。
あれから熱も落ち着いたリアンは一度だけ目を覚ましたが、乳を与えられて満足したのか機嫌良くしていた。
一日中気を揉んだであろうミリアリアはきっとひどく疲れているだろうと寝かしつけを買って出たのだが、ことの外簡単に終わってしまった。
コーディネイターであるディアッカは経験がなかったが、中耳炎とは乳児や幼児が罹患する病としてポピュラーなものらしい。
ハーフであり、特段コーディネイトを施さなかったリアンの持つ免疫がどの程度なのかは計り知れないが、このようなことがまた起きないとも限らない。医師を志すと決めたのだから、これからはそういった方面にも視野を拡げなければ。
 
「親父のやつ…臨床離れてんじゃねぇのかよ」
 
研究に没頭している印象が強いタッドがあっという間にリアンの検査データから最適な薬を調合してしまったことは、少なからずディアッカのプライドを擽った。
そして、柔らかな空気を全身から醸し出しながらリアンやミリアリアを励ますナチュラルの医師の姿もまた、ディアッカにとって大いなる刺激となった。
早く追いつきたい。もっと学びたい。そんなことをつらつらと考えていたディアッカは、ふと眉を顰めた。
ゆっくり風呂にでも入ってこいよ、と送り出したミリアリアがまだ戻らない。時計を見れば優に一時間は経過している。
どことなく元気がないとは思っていたが、まさか具合でも悪いのだろうか。
再度リアンの様子を確かめ、よく眠っていることを確認するとディアッカはそっと寝室を出て浴室へと向かった。
 
 
「ミリィ?入るぞ」
そう一声かけ、ディアッカは浴室のドアを開け──すぅっと血の気が引くのが自分でもわかった。
脱衣所の隅の小さなスペース。そこに、バスタオル一枚のミリアリアが膝を抱えてうずくまっていた。
 
「な…おいミリィ!どうした?貧血か?なぁ、ミリアリア!」
 
すっかり冷たくなった肩を掴んで揺さぶるが、ミリアリアは頑なに顔を上げようとはしなかった。
とにかくこんなところに座らせておくより、少しでも空気がいいリビングへ連れて行くべく抱き上げようとした瞬間。
「め…なさ…」
それだけでは意味をなさない涙声に、ディアッカはぴたりと動きを止めた。
「…ミリィ?なんで泣いてんだよ?!」
びくんと肩を揺らしたミリアリアは、尚も俯いたまま絞り出すように言葉を続けた。
 
「私、が…もっとしっかり、してれば…っ!こんな、こと…ならなかった…!」
「…ミリアリア」
「ごめんなさい…どうしたらいいか、ひっく、わからなくなって…私、おかあさん、なのにっ…迷惑かけて…ごめ、なさい…っ」
 
──その姿は、ピンク色の軍服を纏って一人隠れて泣いていたあの頃と同じで。
ああ、なぜ気づかなかったのだろう、と思わずディアッカは溜息を漏らした。
あれから十年近く経っているのに、ミリアリアの心に刻まれた傷は消えていない。
しっかりしなければ。一人で出来るようにならなければ。向き合う何かが難しければ難しいほどミリアリアはそうやって一人で抱え込み、がむしゃらにやってのけようとする。
それは、初めて恋をした男との永遠の別れであったり、そいつを手にかけた男を赦す、と決めるまでの葛藤だったり。とにかく一筋縄ではいかないことばかりだった。
歳を重ね、大人の女性になったとはいえ、ミリアリアにとってリアンとの生活は初めてのことだらけだ。真面目な性格ゆえに、育児書やネットの意見に迷わされることだってあるだろう。
そしてリアンの存在は、自分たちが思う以上にプラントにとって大きなものだった。かつて“架け橋”と呼ばれた二人の間に宿った命はあらゆる意味で目を引く存在なのだから。
ディアッカはしゃがみ込み、その小さな体ごとミリアリアを抱きしめた。
 
「ごめんな。ミリィもすげぇ頑張ったんだよな。気づいてやれなくてごめん」
 
ぽんぽんと背中を軽く叩きながらそう言うと、ようやくミリアリアが顔を上げた。
 
「呆れたんでしょ…?だから、わたしに…何もさせないようにっ、したんでしょ?」
「…は?おいちょっと待てって!何でそうなるんだよ?」
「だって…!っく、リアンのこと、ほとんど全部見てくれたしっ…ひく、もうわたしのこと、信用出来ないんでしょ…?」
 
ぽろぽろと涙を零すミリアリアをぽかんと見下ろし、ディアッカは頭を抱えたい気持ちをどうにか理性で押さえ込んだ。
考えが甘かった。こんなことが知れたらシホあたりにぶん殴られそうだ。
ミリアリアはいつだってしっかりしていて思慮深い。いつしかそんな彼女に甘えていたことをディアッカは強く自覚した。
リアンの父親であるということはすなわち、ミリアリアの夫でもあるということなのだ。妻が育児に悩み、困っていたのなら、それを分かち合わなければいけなかったのだ。
「…そんなわけねぇじゃん」
そっと額にキスを落とすと、腕の中で小さな肩がびくんと跳ねた。
 
「ミリィのこと、誰よりも信用してる。誓って嘘じゃない。でもさ、だからって甘えっぱなしはダメなんだよな」
「え…?」
 
綺麗な碧い瞳を縁取る瞼が腫れてしまわないようにそっと指で涙を拭いながら、ディアッカは言葉を続けた。
「ミリィはしっかりしてるからさ。いつのまにかリアンを任せっきりになってた。何かあった時に矢面に立つ覚悟は出来てても、日常の中でリアンを育てていくって気持ちを忘れかけてたんだ。ほんと、ごめん」
しっかりと視線を合わせてそう告げると、ミリアリアはふるふると首を振った。
「ディアッカは悪くないの…!わ、私が…うまく話出来なくて…話していいのか、分からなくて、だから」
「そっか。じゃあさ、これからはもっと話そうぜ?リアンのことも、それ以外も。迷ったら二人で考えて決めていけばいい。どう?」
「…いいの?」
「もちろん。ミリィも俺の相談乗ってくれる?」
少女のような仕草がかわいくてつい笑ってしまいながら首を傾げると、ミリアリアはこくりと頷きディアッカの首に腕を回して抱きついてきた。
 
「…意地っ張りで、ごめんね」
「いいんだよ。それも含めて愛してるんだから」
 
途端に耳まで赤く染め、何か言いたげに開いた愛しい妻の唇をディアッカはすかさず奪ってやった。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
お待たせしました…(土下座)第2話後半分となります。
突然のことで慌てふためき、ディアッカやタッドの手を借りたことで少しだけ気弱になってしまったミリアリア。
リアンに夢中でミリアリアの感情の変化を見抜けず、また自覚していたつもりだった父親としてのあり方を考え直すきっかけが出来たディアッカ。
すべてが手探りな中、ちょっとずつ心に余裕がなくなってすれ違いかける二人ですが、そこはやっぱりディアミリですから!(笑)二人で頑張っていこう、と気持ちを新たにした一日の様子を書かせていただきました。
それにしてもディアッカがスパダリすぎて無性に年齢制限ものを書きたくなりましたよ←久々に無茶させたい
こうやって一歩ずつ、親として成長していくディアミリもすごく素敵だなと思います。
さて、残すところあと1話となったキリリクtake-2。早急に取り掛かります!
どうか一人でも多くの皆様にお楽しみいただけておりますように。
いつも本当にありがとうございます!

 

戻る  次へ  text

2018,9,18up