My Sweet Home 2〜無病息災〜

 

 

 

 
「…リィ。ミリィ」
囁くような低くて甘い声に、ミリアリアははっと目を開けた。
「あ、れ…わたし」
「また授乳しながら寝ちまった?」
腕の中のリアンは生後四ヶ月。一日に何度も母乳を欲しがり、それは真夜中であっても変わることはない。とはいえ回数は減ってきていたのだが。
昨晩久しぶりに帰宅したディアッカは、大きな任務を終えたばかりだった。だが疲れきっているとはいえ、彼もまた妻と子にひどく会いたかったのも事実で。
大きなベッドに親子三人、川の字で就寝したまではよかったのだが、昨夜までと少しばかり環境が変わったせいか、リアンの夜泣きが始まってしまった。
疲れて熟睡しているとはいえ、このままでは元来眠りの浅いディアッカが起きてしまうのでは、と心配になり、ミリアリアはむずかるリアンを連れてリビングへと移動したのだった。
 
「そんなカッコのままじゃ風邪ひくぜ?」
「え…?あ、やだ!」
 
はだけた胸元に気づいたのか、ミリアリアが頬を染めた。母親の自覚はしっかり芽生えているくせに、こうして自分と向かい合うときには女の側面を見せてくれる妻が愛おしい。
「俺が抱いてるからちょっと寝とけよ」
目を覚まさないよう細心の注意を払いながら、ディアッカはそっと息子の小さくて柔らかな体を受け取った。
 
 
***
 
 
それから数時間後。報告書をまとめていたディアッカの胸ポケットで携帯端末が震えた。
「ミリィ…?」
軍人という職務上、ミリアリアが勤務時間内にこうして直接連絡をよこすことは滅多にない。ちり、と嫌な痛みが胸に走り、ディアッカは通話ボタンをタップした。
 
「ミリィ?何か…」
『ディアッカ?!あのね、リアンが…リアンがおかしいの!』
 
泣き出しそうな妻の声にさぁっと血の気が引いたが、ここで自分まで狼狽えてはいけない。ディアッカは動揺を抑え、ミリアリアから詳しい話を聞くことにした。
「リアンがどうした?怪我とかか?」
打ち合わせをしていたシホとイザークがぎょっとした顔でこちらを振り返るのが視界の隅に映った。
 
『怪我じゃないと思うんだけど…何となくおかしい気がして熱を測ってみたの。そうしたら40.5度、って…。どうしようディアッカ、今朝までは普通だったのにどうして?』
「っ…リアンの様子は?どんな風におかしいんだ?」
 
落ち着け、落ち着け。考えろ。発熱なんて、基礎中の基礎だろ俺!
医師を目指すと決めたディアッカは、どうにか時間を工面し医学を基礎から学び返していた。臨床医を目指しているだけに、実際の経験を元にした論文からちょっとしたコラムにも目を通すことが多い。
乳幼児の発熱はそう珍しいことではないはずだ。そして熱の高さは病気の重症度と必ずしも比例しない。よって高熱イコール重症、と考えるのは早計だ。
 
『…おっぱいを飲む量が少ないわ。それと…横に抱っこされることを嫌がってるみたい。体温計を耳に近づけ
たらすごく泣いて…今言えるのはそのくらい、かしら』
「全く水分を受け付けないか?吐き戻しは?」
『ううん。少しだけど飲んでくれてる。吐いたりもしてない』
 
そう、確か乳幼児の病気の重症度は主に水分摂取力が鍵になる。リアンの場合は哺乳力と言っていいだろう。全く水分を取れない状態であれば問題だが、少しでも飲めているのであれば不幸中の幸いだ。
「わかった。親父に連絡してみるから、もうしばらくだけリアンを見ててくれるか?」
すぐにでも飛んで帰ってやりたい気持ちを押し殺し、ディアッカがそう問いかけると数瞬の間があり『…うん』とひどく頼りない声が返って来た。
きっと心細くて仕方がないのだろう。一刻も早く医師の手配をしなくては。
通話を終わらせたディアッカは大きく息を吐き、父であるタッド・エルスマンの連絡先を表示させ──目の前に星が飛ぶ勢いで頭に落とされた衝撃に「いってぇ!」と声を上げていた。
「貴様、まさかその椅子に腰掛けたままどうにかするつもりではあるまいな」
氷点下の声色とはこのことであろうか。ディアッカは拳骨を落とした張本人であるイザークを涙目で見上げた。
 
「ってぇなイザーク!なんなんだよ一体!」
「聞きたいのはこっちだ。リアンがどうしたというのだ?体調が悪いのか?」
「っ…熱が出てるらしくて、それでミリィから連絡があったの!」
「ほう。で?」
「で、って…だから今から親父に連絡して、それで」
「帰れ」
 
しどろもどろの言葉を遮って落とされた発言に、ディアッカは「は?」と間の抜けた声を上げてしまった。
「聞き取れなかったか?帰れ、と言ったんだ」
「な…だってお前、報告書もそうだけどやる事山積みだろ!通常業務も滞ってるってのに特別扱いされる謂れはねぇよ!」
イザークは表には出さないが、ひどくリアンをかわいがっている。それは恋人であるシホもまた同じだった。
だがディアッカにも軍人としての矜持がある。どうしようもないほどの緊急事態ならともかく、息子の発熱で勤務に穴を開けることはさすがに躊躇われた。
「分かってないわね、ディアッカ」
睨み合う二人の間に落とされたのは、凛としたシホの声だった。
 
「あなたを特別扱い?自惚れないで。特別なのはあなたの息子よ。多忙なエルスマン博士にすぐ連絡がつく?ハーフの子を診てくれる医師がすぐ見つかる保障はあって?その間ミリアリアさん一人にリアンを見ていろと?冗談じゃないわ、今すぐ帰って。ううん、出ていって」
 
一息に言い切ったシホは、ディアッカの机の上にうず高く積まれた書類の束をひょいと取り上げた。
「あ、おい…」
「隊長と私を舐めてるの?何年軍人やってると思ってるのよ。いざとなればどうにでもなるわ。だから早く行きなさい」
書類を持ったままつん、と顔を上げさっさと自席に戻るシホに、イザークが小さく苦笑する。
「そういうわけだ。早く行け」
「……イザーク」
「貸しひとつだな。なに、リアンが元気になったら存分に働いてもらう。それに今は平時だ。一度任務が入ればこうはいかん。分かったら早くミリアリアのところへ行ってやれ」
先程の心細げな声を思い出し、ディアッカはゆっくりと立ち上がった。
「悪い、イザーク、シホ。急務の時はすぐ戻る」
椅子に無造作に掛けてあった黒い軍服を引っ掴み、風のように走り去るディアッカをイザークとシホは柔らかな眼差しで見送った。
 
 
***
 
 
「ディアッカ!?」
足音も荒くリビングに駆け込んできた夫の姿にミリアリアは目を見開いた。母の動揺を感じ取ったのか、リアンが大きな声で泣き出す。
「相変わらずか?リアン」
黒い軍服の上着を脱ぎ捨て、ディアッカは真っ赤な顔で泣き喚くリアンをミリアリアの手から抱き上げた。
泣いているせいもあるだろうが、確かに体が熱い。
「ディアッカ、あの…」
「エアカーん中で親父に連絡が取れた。ツテがあるらしいから連れて来いってさ。すぐ出かけられるか?」
「…すぐ準備するわ。そのままリアンをお願いできる?」
「ああ。待ってる間に俺も様子見てみるから」
ほっぺたを掻きむしりながら泣き喚く息子を器用にあやすディアッカに複雑な表情を一瞬だけ浮かべ、ミリアリアはマザーズバッグを取りに寝室へと向かった。
 
 
 
 
 
 
 

 

すみませんすみません…ものすごくお待たせしてしまいました。
キリリク第2話になります。怪獣母ちゃん様、またもお待たせいたしました!
今回は子育てに奮闘するディアミリ夫妻を中心にお話が進んでいきます。
長くなりすぎたので二つに分けました;;
後半も終盤までは書き終えていますので、次こそは早めにアップできると思います。
生後四ヶ月を過ぎ、突然起こったリアンの不調に、二人はどう対処していくのでしょうか…。
 

 

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2018,9,15up