一歩を踏み出す勇気 3

 

 

 

 
食堂は、しんと静まり返っていた。
遠くにいたクルーたちは何が起きたのかと目を丸くし、近くにいた整備士の仲間はぽかんと口を開け固まっている。そしてイザークもまた、言葉を失ったまま小さな少女の後ろ姿を見ていることしかできなかった。
スープを浴びせかけられた男の髪から垂れるスープがぽたり、と床を打つ音すらよく聞こえるほどの、静寂。
それを破ったのは、いきり立って立ち上がったスープでびしょ濡れの整備士だった。
 
「あっちいじゃねぇか!おまえ、一体どういうつもりで」
「こんなことして恥ずかしくないんですか。この人があなたたちに何かしましたか」
 
ぴしゃりと言葉を遮られ、男たちの目が泳ぐ。だがすぐに別の男が口を開いた。
 
「…そいつはエルスマンを連れて帰るつもりだろ。そうやってまたナチュラルは悪だって洗脳するんだ。仲間なのに。あいつはもう、俺たちにとって仲間なのに!」
 
その声に込められた感情に気が付かぬほど、イザークは鈍感ではなかった。
確かに俺は、こいつらからディアッカを奪うためにここにやってきた。だがあいつはザフトの軍人だ。間違ったことはしていない。していない、はずだ。
 
「ディアッカは確かに私たちと戦ってくれました。でもそれはあいつの信念があってこそ。あいつの故郷はプラントで、この人はあいつの大事な友達です」
「じゃああいつは仲間じゃないのか!あんたがそれを言うのかよ!薄情だよな!付き合ってんだろ?」
「ほんとだぜ!ケーニヒも浮かばれねぇな!」
 
ケーニヒ、という名を出された瞬間、ミリアリアの体が強張り拳がぎゅっと握られたことにイザークは気づいた。だがそれは一瞬のことで。ミリアリアは再び顔を上げ、凛とした声で宣言した。
 
 
「トールのことについてはどう言われても仕方がない。でも私はあいつを好きになりました。仲間じゃないなんて思ってないです。あいつだってあなたたちを信頼して、仲間だと思ってるはずです。だからこそディアッカはプラントに戻らないといけないんです!」
「はぁ?矛盾だらけじゃねぇかよ!」
「ナチュラルは悪じゃない。彼らにたくさんのひどいことをしたのもナチュラルだけど、みんながみんなそうじゃない、それをザフト軍の誰よりも理解したのは誰だか分かりますか?」
「っ…!」
 
 
男たちが息をのむ中、ミリアリアは小さく深呼吸をして言葉を続けた。
 
「あいつは、そのことをプラントの偉い人たちに分かってもらうためにならいくらでも話す。そう言ってました。だから私はディアッカを信じてます。あいつならきっとそれが出来るから」
 
黙り込んでしまったクルーに背を向け、空になったスープ皿を片手にミリアリアはイザークの目を正面から見据え、深々と頭を下げた。
「うちのクルーが失礼なことをしてしまってごめんなさい。新しいものを用意しますから、ディアッカの部屋にいてもらえますか?ディアッカにもそちらに行くよう伝えますから。あ、場所ご存知ですよね?」
先程までの張り詰めた声が嘘のような穏やかで柔らかな笑顔に、イザークはただ頷くことしかできなかった。
 
 
 
***
 
 
 
「すみません、お待たせして」
勝手知ったる様子で現れたミリアリアから差し出された食事は、しっかりと温められていた。
「じゃ私、ブリッジに…」
「な、おい、ちょっと待て」
慌てて引き止めたイザークにミリアリアは首を傾げたが、大人しくその場に留まってくれた。
まずは第一関門突破、と気づかれぬように息を吐き、受け取ったトレイを置いて正面から向かい合う。
 
「いや…その、君は大丈夫か」
「え?」
「俺はすぐにここからいなくなる身だ。だが君は違う。これからも彼らと一緒に地球まで戻るのだろう」
 
そう、彼女はAAの正規クルーだ。先程の件で確執が残ってしまえば、地球に着くまで居心地が悪いだろう。まさかとは思うが、変に逆恨みをされたとしてももうそこにディアッカはいないのだ。彼女を大切に想い、守ろうとするであろう男は。
 
「…ディアッカがいなくなることが寂しいんです、あの人達。だからってあんなことしていいわけじゃないですけど。あの、本当にすみませんでした」
 
そう言って頭を下げるミリアリアに、イザークは何と言葉を返せばいいか分からなかった。
寂しいのは彼女とて同じだろう。ディアッカの言葉を借りれば彼女はあいつの『恋人』なのだから。
AAから、そしてミリアリアの元からディアッカを連れ去るのは他でもない自分だ。そう自覚した瞬間、イザークは今までにない罪悪感に襲われた。
押し黙ってしまったイザークを見て何を思ったのか、ミリアリアは慌てたように口を開いた。
 
「えっと、本当にその…大丈夫です。私、あとであの人達ともちゃんと話をしますから。あ、出来ればディアッカには内緒にしておいて下さいね。話がややこしくなっちゃうので」
 
突然ディアッカの名前が出てきたことに驚いたが、確かに今の状況を考えれば一悶着起きかねない。そこまで考えて釘を刺してきたミリアリアを見下ろし、イザークは気付かぬうちに小さく微笑んでいた。
 
「君は強いな。俺は恨まれて当たり前な立場なのに」
 
いつかどこかで見たような気がする、碧色の瞳が見開かれた。
「恨むなんてとんでもないです!こうなることは分かってましたし、ディアッカにしか出来ないことがあるなら、あいつはきっとやり遂げてくれるって思うんです。だから、大丈夫です」
ふわりと花が綻ぶようなナチュラルの少女の笑顔に、イザークはなぜディアッカが彼女を選んだのかほんの少し分かった気がした。
 
 
 
***
 
 
 
それから数日後、イザークは再びAAを訪れた。
小型シャトルのタラップを降りた先にはAAの主だったクルー達と、ザフトの赤服を纏ったディアッカの姿があった。
クルーゼ隊にいた頃には見たこともなかった顔でクルーひとりひとりと別れの言葉を交わす姿に、事前に少しだけ時間が欲しい、と言われていたのはこのせいかと納得する。
ピンク色の軍服の少女は、列の一番端に立っていた。少しだけ目が赤い気がするが、無理もないことだろう。
「そろそろ時間です、隊長」
背後に立つシホの声に、イザークは我に返って頷いた。ディアッカは未だ彼女と言葉を交わしていなかったが、戻ると決めたのはディアッカで、彼女も納得していると言っていた。すでに話は終わらせたのかもしれない。
 
「了解した。ではディアッカ、そろそろいいか?」
「ああ。…っと、ちょっと待って」
 
そう言うとディアッカは彼女──ミリアリア・ハウの前に立ち、そのままをぎゅっと抱き締めた。
「なっ…」
「シホ。少しだけ待て」
低い声で囁くと、シホはぐっと言葉を詰まらせた。
ディアッカが何か耳元で囁くとミリアリアは一瞬泣きそうな顔をしたが、それはすぐに柔らかな笑顔に変わる。
ディアッカもまた嬉しそうに笑い、そのまま二人は唇を重ねた。
背中に回された小さな手が、皺になるほど赤い軍服を握りしめている様にイザークの胸がきり、と痛んだ。
抱擁を終えた二人はそっと離れ、ディアッカがこちらに向かい歩き出す。その表情はとても静かで穏やかだった。
その背後で、泣きはらしたであろう赤い目を細めたミリアリアが微笑みイザークに小さく会釈をした。
どこまでも気丈な少女に、イザークもまた小さく頷き返す。
恋人と離れる悲しみはいかほどのものだろう。だが彼女はああして笑う。
ああ、ほんとうに彼女は──脆くて、強い。
ディアッカを収容し、シホが合図をするとタラップが上がり始める。
 
「……っ」
 
と、背後でひゅっと息を飲む気配がした。
振り返ったイザークの視線の先には、泣き崩れるミリアリアとそれを支える少年兵の姿があった。
先に振り返り、同じ光景を目にしているであろうディアッカの拳が握り締められる。だが親友は一言も声を発さなかった。
『システムオンライン。発進準備完了です』
タラップが完全に格納され、無機質なアナウンスがデッキに響くとシャトルはゆっくりと前進を始める。
ディアッカは深く息をつき、扉に背中を預けた。
「ディアッカ。あの女は…」
「んー、後で説明する。…悪い。五分だけ時間くんない?」
「…分かった。奥にいる」
イザークは短く返事をし、シホを促して踵を返した。
親友とその恋人に我慢を強いてしまった事実は消せない。だが、自らその未来を選択したディアッカと、その背中を押したミリアリアの為にも後悔などさせてなるものか、とイザークは唇を噛み締めた。
 
 
 
***
 
 
 
「早かったな」
五分もかからず姿を現したディアッカはへらりと笑った。
「時間厳守は軍人の基本だろ?」
砕けた口調にシホの纏う空気がさっと変わったが、イザークは片手でそれを制した。
シホは終戦間際にジュール隊へと配属されたばかりだ。そして彼女にとってディアッカは『裏切り者』だ。
同じような反応をこれからディアッカは幾度となく受けることになるだろう。だが、イザークはもう知っている。ディアッカはザフトを裏切ってなどいないこと。そして、ナチュラルも自分たちと同じ、豊かな感情を持つ人間であることを。
 
「覚えていたのなら結構。これからは存分に働いてもらうぞ」
「どうせ戻ったら事情聴取だろ?休みみたいなもんじゃん」
 
文句を垂れるディアッカに、イザークは懐から取り出したメモをひらりとかざした。
「サボるようなら彼女に逐一報告するからそのつもりでいろ」
怪訝な表情でメモに目をやったディアッカの顔色が一気に変わる。
 
「ちょ、おま、なんでミリィのアドレス知ってんだよ!」
「異文化交流の結果だ。彼女は聞き上手だな。頭のいい証拠だ」
「何話したんだよお前…つーか人のカノジョといつの間に仲良くなってんだよ!」
「言っただろう。異文化交流の結果だと」
 
少しでも不安を解消させたくて申し出た連絡先の交換を、ミリアリアは笑顔で快諾してくれた。
ディアッカの聴取の見通しが立ったら、早めにメールを送ってやろう。
取られないうちにメモを懐にしまいながら、イザークはそんなことを思い、くすりと笑った。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
もう、もう本当にお待たせしてすみませんでしたはな様…!(土下座)これにて完結です。
肝心の、イザミリの距離が縮まる描写が足りていないかもしれません。ご期待に添えなかったら大変申し訳ありません;;
リクエストを頂いた時から、こちらのお話とリンクさせようと決めていました。時期的にもちょうどいいかな、と思ったもので。
イザークは情の深い人だから、たとえ停戦直後の混乱期でもディアッカとミリアリアを離れ離れにさせてしまうことに少なからず心を痛めたのではないのかな、と思います。
それでもやはり軍人、為すべき事を為す、と言うスタンスは変わらないのですが。
ディアッカもそれは同じで、ミリアリアとの別れは辛いし何度も迷って散々悩んだけれど自分にできることがあるなら、とプラントに戻ることを決めたのだと思います。
そしてミリアリアもまた、一介の学生から終戦まで戦い抜く間の様々な出来事を通して、またトールとの別れ、ディアッカとの出会いを通じて『背中を押す』ことを覚えたのかなと。
前途多難という言葉では軽すぎるくらいに困難が待ち受けている二人の恋物語ですが、彼らならば必ず乗り越え、添い遂げると信じています。

これにてキリリク一本目は完結となります。改めましてリクエストをくださったはな様、ありがとうございました!
夏コミに向けて原稿に取り掛かるため二本目もお時間をいただいてしまうかと思いますが、どうぞ今しばらくお待ちください。
後日改めてリクエストを、と仰ってくださった方も、ご連絡お待ちしております^^いつも当サイトに足をお運びくださりありがとうございます!
皆様の何気ないお言葉や拍手に力をいただいています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!!
 

 

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2018,6,13up