79, ようこそ、世界へ 2

 

 

 

 

「…っ、いた…」
「ミリィ?痛むのか?」
 
入院の準備を手早く済ませたディアッカに連れられてマリアのいる病院に到着した頃には、すっかり日が暮れていた。
痛みや張りが来たら時間をチェックするように、と言われていたミリアリアは時計に目をやる。
 
「大丈夫…。四時間…?あれ、三時間、かしら」
「は?」
「ううん、なんでも、ない。それよりマリアさんに連絡、取れる?」
「ああ、待ってろ」
 
ゆっくりと引いていく痛みに思わず息を吐きながら、ミリアリアは隣で端末を操作するディアッカを見上げた。
精悍な横顔に、なぜか痛みと一緒に心まで落ち着いていく。
 
 
──もうすぐ、会えるんだ。
 
 
母になるものとしての勘、だろうか。
知識よりも先に感覚として、ミリアリアは本陣痛が始まっていることを理解していた。
 
「麻酔医の準備がもうすぐ出来るそうだ。とりあえず中に来いって。歩けるか?」
「うん。今は治まってるから平気。行きましょう、ディアッカ」
 
さっと運転席を降り、荷物を片手に助手席のドアを開けてくれたディアッカの手を取ると、ミリアリアはエアカーから降りて歩き出した。
 
 
 
 
「いっ…!いた…痛、い…っ」
「ミリィ…!おいマリア、おかしくねぇか?!」
「…体質なのかしら。ミリアリアさん、息を止めちゃだめよ。ちゃんと呼吸を」
「う…は、い…」
 
 
病院に到着してから五時間が過ぎようとしていた。
ディアッカから大体の事情を聞かされていたマリアは、ミリアリアをすぐに陣痛室へと通した。
「今から麻酔を入れるわ。完全にではないけれど、痛みは軽減されるはずよ」
ナチュラルであるミリアリアの体の負担と、ハーフコーディネイターを無調整のまま出産するリスクを考慮し、マリアは無痛分娩を提案した。
 
『ナチュラルのあなたには抵抗があるかもしれない。でもね、どんな産み方でも、子供に対する愛情は変わらないわ。それに、もしもあなたがいなくなってしまったら、ディアッカと子供はどうなるの?』
 
母体に麻酔を入れることは確かにノーリスクではないが、現在は地球でもごく一般的に行われていることだ。
痛みによるストレスは千差万別であり、オーブでも出産の際には麻酔を使う選択も可能となっていると母であるエイミーも言っていた。
それよりも、ハーフコーディネイターを体内で育み、出産するミリアリアの体に対するリスクの方が未知数なのだ。
ディアッカをひとりにはしたくない。
生まれてくる子供を、ディアッカと一緒に慈しみ、育てたい。
そう思ったミリアリアは、マリアの提案に頷いた。
そして現在に至るのだが──不測の事態が発生していた。
 
麻酔が、効かないのだ。
 
出産には痛みが伴うものと頭では理解していたが、無痛分娩を選択したミリアリアは痛みに対する心構えが出来ていなかった。
痛むはずがないのに、痛む。
その事実はミリアリアの心を乱し、混乱させた。
 
「っ…く…うっ」
「ミリアリア!くそっ、何で効かねぇんだよ…っ!」
 
ぎゅっと手を握ったまま悔しそうに顔を歪めるディアッカを、ミリアリアは見上げた。
 
「ごめんね、心配、かけ、て…」
「馬鹿か!何謝ってんだよ!ちくしょう、俺が代わってやれたらいいのに…」
 
馬鹿はどっちよ、とミリアリアは心の中で呟く。
こんな痛みをあなたに味あわせるなんてしたくない。
いつだって優しくて、そばにいて守ってくれて、ひとりにしないと約束してくれて。
自分はどれだけその言葉に、想いに助けられただろうか。
陣痛の波が去り、どうしよう、どうしようと動揺していた頭が少しだけ冷えると、ミリアリアは泣きそうな顔をしたディアッカを見上げ、なんとか笑顔を作る。
ディアッカに、こんな顔をさせたくない。心配をかけたくない。
 
「マリアさん。麻酔、止めてください」
「ミリィ?!」
 
ぎょっとしたディアッカの後ろで、様子を見ていたマリアが目を丸くした。
 
 
「このまま…産みます。大丈夫、昔から今まで、こうして女は子供を産んできたんでしょう?」
「……もし不測の事態が起こったら、医療処置を施すわ。それは同意してくれる?」
「ええ。マリアさんの判断に任せます」
 
 
額に汗を浮かべながらもしっかりと頷いたミリアリアにマリアは苦笑し、コールボタンを押すと麻酔医を呼び出した。
 
「な、おいミリィ、なんで…」
「ディアッカ。外で待っててくれる?」
「──は?」
 
自分の手を包んでくれている大きな手にそっと頬を寄せ、ミリアリアは再び押し寄せようとしている痛みに顔を歪ませながら、なんとか言葉を紡いだ。
 
 
「ここから先は、私、の…わたし、の、戦いだから…っ。ひとりでも、がん、ばれるっ…から」
 
 
形容しがたい痛みに漏れそうになる呻きを抑え、必死に訴えるミリアリアの言葉にディアッカは目を見開いた。
 
「お前…」
「…っ…絶対、に、ディアッカの子供…産んでっ…見せるんだから」
「ディアッカ、外へ。診察をするわ」
 
毅然としたマリアの声におろおろと視線を巡らすディアッカを見上げ、ミリアリアは痛みを堪えながらもう一度微笑んだ。
お願い。私を、信じて。
 
「ディア、ッカ…また、あとで」
「……ミリアリア、愛してる。すぐ外にいるから安心してろよ?」
「うん…頑張れ、る…」
 
額に浮かぶ玉のような汗をそっと拭い、ディアッカは素早く身を屈め、触れるだけのキスを落とす。
そして、マリアに目で合図をすると、部屋を出て行った。
 
 
 
***
 
 
 
「ディアッカ。ミリアリアの様子は?」
 
廊下に置かれたベンチに腰掛け項垂れていたディアッカは、はっと顔を上げる。
そこには、本部から直接足を運んだのであろうイザークが立っていた。
ミリアリアの出産は、難航していた。
病院に運び込まれてから今日で二日目。
陣痛がなかなか進まず、ディアッカは何度もミリアリアとの面会を申し入れたが、その度マリアにきっぱりと拒否された。
ディアッカはいてもたってもいられず、また上官であるイザークもそんな親友に休暇を与えていた。
 
「イザーク…」
「なんて顔をしている。睡眠もろくにとっていないな?全く…もうすぐ父親になる男の顔とは思えん」
「…ったく、マリアと同じこと言うんだな」
 
それは、お産が長引きそうだと察したミリアリアからの伝言──いちど自宅に戻って休め──を預かったマリアが現れた時のこと。
開口一番に言われたのが、『あなた、もう少ししゃんとしなさいよ。彼女の方がよっぽどしっかりしてるわよ』だった。
 
『ミリアリアさん、言ってたわ。いつもあなたに守ってもらってばかりいるから、こんな時くらい自分ひとりでも頑張りたいんだ、って。そばにいて貰えれば確かに心強いけど、母親になるんだからこんなことで負けてなんていられない、ってね。それに…』
 
一瞬口ごもったマリアは、しばらく考えた後肩を竦めて口を開いた。
 
 
『あんな風に泣きそうだったり困ってるあなたの顔、見ていられないんですって。…本当に、愛されてるのね、あなた』
 
 
その言葉に、ディアッカは息を飲んだ。
妊娠中の体の変調も、出産の痛みも苦しみも男である自分には一生解らない。
だから、少しでもそばにいて支えになれたら、と思っていた。
だが、予想をはるかに超えたミリアリアの苦しむ様に、ただ手を握って励ますことしかできない自分がもどかしかった。
だがミリアリアは、あんなに苦しんでいたのに自分の様子にまで気をまわし、心を砕いてくれたのだ。
 
 
『あいつを、頼む』
『もちろんよ』
 
 
その想いを受け止めることが、今自分がすべきことだ、と確信し、ディアッカはマリアに頭を下げた。
 
 
 
それからディアッカは分娩に際しての様々な書類を渡され、サインをした後一旦自宅へと戻った。
だがやはりじっとしてなどいられず、イザークに連絡を入れ休暇を申請し、数時間で病院に戻り、先ほどまでいた廊下のベンチに腰を下ろした。
部屋の中からは時折悲鳴のようなミリアリアの声が聞こえ、そのたび心臓が冷たくなる思いだったが、ディアッカはミリアリアの言葉を信じ、時間が経つのも忘れ、ただ祈っていたのだった。
 
「悪い、俺、もう本部に…」
「愚か者が。お前の休暇延長については昨夜のうちにシホが書類を提出し、受理されている。最も今の情勢では二日間が限度だったがな」
 
ふん、とそっぽを向くイザークに、ディアッカは少しだけ目を見開いた後、ふわりと笑った。
 
「……サンキュ、イザーク」
「礼ならシホに言ってやれ。言い出したのはあいつだ」
 
と、その時数人の足音が聞こえ、二人は振り返った。
廊下の角から現れたのは、白衣に身を包んだ看護師たち。
その手にあるものを目にし、ディアッカの顔色が変わった。
 
「ちょ、それ…」
 
看護師の一人が足を止め、安心させるように頷いて見せる。
 
「奥様は先程破水しました。出血がやや多めだとのことですので念のための輸血パックです。大丈夫、奥様は頑張っていらっしゃいます」
 
ひゅ、と言葉もなく息を飲むディアッカに黙礼し、看護師は足早に立ち去る。
「……ディアッカ。ミリアリアは強い女性だ。それはお前が一番よく知っていることだろう」
「……ああ。分かってる。イザーク、悪い。俺は大丈夫だからお前は本部に行ってくれ。何かあれば連絡する」
「分かった。ミリアリアによろしくな」
そうしてイザークが踵を返そうとした瞬間、奥の部屋のドアが大きな音をたてて開いた。
 
 
「ディアッカ!早く!」
 
 
顔を出したマリアの声に弾かれるようにして走り出した親友を見送り、イザークはくるりとドアに背を向け本部へと向かった。
 
 
 
 
 
部屋に飛び込んだ瞬間、ディアッカの耳に飛び込んできたのは、今まで耳にしたことのないか細い泣き声、だった。
途端にどくりと高鳴る胸を思わず手で押さえ、奥にあるカーテンまで一気に歩を進める。
泣き声は、カーテンの向こうから聞こえているようだった。
そっと伸ばした手が驚くほどに震えていることに頭の片隅で驚きながら、ディアッカはカーテンを一気に開ける。
 
 
「──ディアッカ」
 
 
ディアッカが何より愛する、穏やかで優しい声。
目の前には、ベッドに横たわりにっこりと微笑むミリアリアと、その隣でふにゃふにゃと泣き声をあげている、小さな小さな、二人の宝物──。
 
「男の子、ですって。体にも問題はない、ってマリアさんが」
「……うん」
 
ゆっくりとベッドに歩み寄り、ディアッカはそっと小さな宝物を覗き込む。
自分とミリアリアの──二人の遺伝子を持って産まれてきた、愛の結晶。
 
「夢、みてぇ…」
「ばかね。夢じゃないわよ、おとうさん?」
 
くすくすと笑うミリアリアの髪は、汗で濡れていた。
そっと額に張り付いた髪をかきわけてやると、気持ちよさそうに碧い瞳が細まる。
 
 
「ありがとな。ミリアリア」
「…うん。ディアッカも、ありがとう。私を信じて待っててくれて」
「かわいい、な」
「そうね。かわいい」
 
 
いつの間にかおとなしくなった息子にそっと手を伸ばし、柔らかな頬に触れてみる。
 
──あたたかい。
 
そう感じた瞬間、ディアッカの手の甲にぽたりと雫が落ちて、跳ねた。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

本当に、本当にお待たせしました。
二人の愛の結晶、無事誕生しました。
タイトル、散々迷ったんですが、二人の想いが込められているのかな、と会えて作中にはない言葉を選んでみました。
得ることが叶わないと言われていた子供の誕生。
ずっとずっとこのシーンを書きたいと思い続けてきました。
二人が復縁して、婚約して結婚して…と段階を進めてきた長編シリーズの中で、このお話が一番執筆に時間がかかったことは内緒です(笑)
そして、次のお話で「天使の翼」、いよいよ最終回となります。
ここまでお読み頂いた皆様には、どんな言葉を尽くしても感謝の思いを伝えきれません。
あと一話だけ、どうかお付き合いいただければと思います。

 

 

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2017,2,23up