79, ようこそ、世界へ 1

 

 

 

 
『それで?最近はどうなの?九ヶ月ってことは…もう間も無くね』
「まだ34週よ。ディアッカはハラハラしてるみたいだけどね」
『いい旦那様ねぇ…お父さんにも見習ってほしいわ』
「ふふ、あ、ディアッカが次にそっちへ帰ったら一緒に日舞を観に行くんだって言ってたわよ?」
『そうみたいねぇ。その時は孫ちゃんも一緒なのよね…男の子かしら。それとも女の子かしら。今から楽しみだわ』
 
 
三月も半ばに差し掛かった穏やかな昼下がり、ミリアリアはヴィジフォンでオーブにいる母、エイミーとの会話を楽しんでいた。
妊娠を伝えた時、エイミーは飛び上がって喜び、父親であるレオナルドは落ち着いていたように見えたものの、通信を終えると号泣したそうだ。
ディアッカとミリアリアは二人で話し合い、産まれるまで性別は聞かないでおこうと決めた。
コーディネイターの価値観では珍しい選択だったようだが、初めにその提案をしたのは意外にもディアッカだった。
コーディネイトを施すのなら性別を決めるのは親だ。
だが、遺伝子調整を施さず、ありのままの姿で産まれてくるのならば、性別も楽しみに取っておかないか、と言うディアッカの言葉に、ミリアリアもまた笑顔でその提案を快諾したのだった。
 
一連の事件に関しては、オーブにいるカガリとアスランが話をしてくれた。
とはいえ、民間人である両親は自分たちが二年にわたり護衛対象になっていたことなど気付きもしていなかったので、なるべく刺激の少ない表現で、要点だけを説明してくれたらしい。
出産にあたってオーブに里帰りをするという選択肢もあったが、意外なことに難色を示したのはエイミーだった。
 
 
『あなたたちは親になるのだから、ディアッカくんと二人でまずはやってみなさい。何かあれば私がそっちに行くから。お父さんもそう言ってるわ』
 
 
ミリアリア自身里帰りをするつもりはなかったのだが、両親と初孫とすぐに会わせてやれないことに後ろめたさも感じていた。
だが、それすらもエイミーにはお見通しだったのだろう。
一人娘をプラントに嫁がせ、心配でないはずがない。
そんな中こうして力強い言葉をかけてくれるのは、夫であるディアッカのことを二人がなにより信頼してくれている証であった。
 
「九ヶ月にもなるとさすがに体が重くって。でも適度な運動は必要なんでしょ?」
『そうねぇ…太りすぎも良くないし。そういえばミリィ、またちょっとふっくらしたんじゃない?』
「そっ!そんなことないわよ!ディアッカがお休みの日は一緒にたくさん散歩してるし!」
『家でもゴロゴロしっぱなしはダメよ?お料理はしてるの?ディアッカくんは器用だから…』
「してるわよ、もう!食べ過ぎてお腹が痛いくらいだわ!」
『あら。お腹が?』
 
不意に声色が変わったエイミーに、ミリアリアは首を傾げた。
「ああ、うん。たまにね。日に何回かちょっと痛いな、って。それに、ベッドに入るとすぐにポコポコ蹴るのよ、この子。そのせいもあるのかしら」
『……そうねぇ。でも、もうすぐ臨月なんだし、主治医の先生には逐一報告するのよ?あなたはそういうところがずぼらだから』
「もう、お母さんったら。大丈夫。マリアさんはしっかり診てくださってるわ」
『そう?ならいいのだけど…』
どこかいつもと違うエイミーの様子が気になったが、ミリアリアはその後もたわいのない会話を交わし、ヴィジホンを終えた。
 
 
 
「…っ、いたたた…」
 
ディアッカと買い揃えていたベビー服の整理をしていると突然引きつるような痛みが下腹部に走り、ミリアリアは思わず声をあげた。
ゆっくりと腹部をさすると、すぐに痛みは引いていく。
だが、いつもよりそこの感触が硬い気がして、ミリアリアは念のためそのままソファに横になった。
驚くほどに大きく膨らんだ腹部のせいで、最近は仰向けになることも難しい。
甲斐甲斐しく靴下を履かせてくれたり、果ては足の爪まで切ってくれるディアッカには申し訳なかったが、これも後一ヶ月もすれば終わる。
「……早く、会いたいね」
愛おしげに腹部を撫でながら、ミリアリアは優しい声でその中にいる命に語りかけた。
 
 
 
「遺伝子研究チーム?お父様が?」
 
帰宅したディアッカから告げられた言葉に、ミリアリアは目を見開いた。
 
「ああ。行政府とはなんら繋がりのない民間の組織として親父が立ち上げるんだ。アンジェラのような先天性の遺伝子疾患を減らすための研究、ってとこかな」
 
ナチュラルのミリアリアにはよく分からないが、遺伝子をコーディネイトする資格を持つ医師や研究者には、やはり力量に差があるものらしい。
どんなにコーディネイターが優れた頭脳を有していても、遺伝子という分野はまだ謎に包まれている部分も多い。
だが、金さえ積めばリスクを無視して好みの遺伝子調整をするものも一定数存在する。
その被害者が、アンジェラたちのようなダストコーディネイターなのだ。
 
「アンジェラさん…具合はどうなのかしら」
「ああ、もうすぐ包帯が取れるらしい。そっちがうまく行ったら先天性の遺伝子疾患についても検査を受けることにしたってさ」
「そう…。いい方向に行くといいね」
 
私財を投げ打って研究機関を立ち上げたタッド・エルスマン。
自分の体と向き合うことを決意したアンジェラ。
ダストコーディネイターに対する救済措置案は、未だ議会での採決をめぐって紛糾しているそうだ。
だが、自分を含む当事者たちの証言、そしてミリアリアの記事が発表されたことによって、世論は少しずつ動いているという。
 
 
……約束、果たせたことになりますか?ニールさん。
無骨で、だが優しいニールの笑顔を思い出し、ミリアリアはどうかこれ以上悲しい存在が増えないように、とただ祈った。
 
 
 
***
 
 
 
なにかが、おかしい。
しくりと痛んだ下腹部に手を添えながら、ミリアリアは眉を顰めた。
エイミーと話をしてから数日、35週目を迎えたミリアリアだったが、ここ最近頻繁にお腹が張るようになって来ている。
週に一度となった検診でも相談したが、マリアは『前駆陣痛かしらね。すぐ治まるようであればそれほど心配いらないわ』と優しく微笑んだ。
 
前駆陣痛──。
 
リアリティのある言葉に、ミリアリアの表情が変わったことに気づいたのだろう、マリアが安心させるようにぽん、と肩を叩いた。
『大丈夫よ。普通分娩なら誰にでも多かれ少なかれ起きる、自然なことだから。そうね…出産に向けた準備運動、ってとこかしら』
そう、これは自分の体が出産に向けて準備運動をしているものなのだ。
安静にして治るようなら問題ない、との言葉に、ミリアリアはようやく微笑むことができた。
 
 
だが、今日に限ってなかなかお腹の張りが治まらない。
痛みはそれほどでもないのだが、大人しく座っていてもベッドに横たわっても症状は変わらなかった。
「…っ」
きゅうっと下腹部が一瞬痛み、ミリアリアは思わず時計に目をやった。
時刻は昼の三時。
ディアッカが帰宅するまでまだ最低でも四時間はある。
張りに気がついたのがちょうど昼の十二時だったから、あれから三時間。
「まだ折り返し地点かぁ…」
少しだけ心細さを感じながら、ミリアリアはベッドに横たわったまま目を閉じた。
 
 
 
***
 
 
 
目を開けると、窓からオレンジ色の光が差し込んでした。
いつの間にか眠ってしまったらしい、と気付いた時、不意に強い張りがミリアリアを襲った。
「う、わ…」
顔をしかめながら時計に目をやると、もうすぐ六時。
お腹の張りは相変わらずだったが、簡単でも夕食の支度をしなくては、と起き上がったミリアリアは、ふと違和感を感じトイレへ向かった。
 
 
『──マリア・エルスマンです』
「あの、ミリアリア・エルスマンです!マリアさん、ええと、あの…」
『あら、ミリアリアさん?何かあったの?』
訝しげなマリアに、ミリアリアは受話器を持ったまま必死で心を落ち着け、言葉を探し口を開いた。
 
「今日、お腹の張りがひどくて、痛みもあって…少し休んでいまお手洗いに行ったら、その…少しだけ、出血、してるんです」
 
マリアが小さく息を飲んだのが通信越しにも分かった。
 
 
 
***
 
 
 
どたん、ばたんと騒々しい音が玄関から聞こえ、ミリアリアは顔を上げた。
 
「ミリアリアっ!!」
 
勢いよくドアが開き、飛び込んできたのは黒いコートを羽織ったままのディアッカだった。
首元にはかつてプレゼントしたマフラーがぞんざいに巻かれている。
きっと、マリアから連絡を受けてすぐに飛び出してきたのだろう。
 
「お、おかえりなさいディアッカ」
「お前、大丈夫なのかよっ!?そんなとこで!」
「え、あの、うん。マリアさんが、出血が増えなくて痛みがなければディアッカが帰るまで待ってろって…。でもお腹の張りも今は治まってるし、せっかくだから入院の準備とか」
「…あーもう!いいから!俺がやるからお前はおとなしくしてろって!もしかしたら切迫早産かもしれないんだろ?!」
 
ミリアリアはマリアの言葉を思い出していた。
 
『ギリギリのラインね…。今、35週でしょう?前駆陣痛があっておしるしが来た。ちょっと早いけど、もしかしたらこのまま本陣痛に移行するかもしれないわ』
 
36週に達する前に陣痛が起きてしまうと、それは切迫早産、というものになるそうだ。
胎児の器官は概ね出来上がっているが、外の世界に出てくるにはまだ充分とは言えず、出産後のケアも生産期を迎えた場合のそれとはだいぶ違ってくるらしい。
切迫流産を乗り越えた後、ここまではミリアリアも胎児も概ね順調だった。
臨月を迎えるのは四月に入ってから。
三月もあと数日だし、早産とはいえそこまでナーバスになる必要もない、はずだ。
あの事件を共に乗り越えた、小さな命。
大丈夫。きっと、大丈夫。
 
「ミリィ?」
 
ぼんやり考えこんでいたミリアリアに気づき、ディアッカが心配そうに声をかける。
ミリアリアは顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
 
 
「大丈夫。この子は……強い子だもの。マリアさんもお父様も、ディアッカもいる。だから私もこの子も絶対に、大丈夫よ」
 
 
その言葉に、ディアッカは一瞬だけ困ったような表情を浮かべた後、「ああ、そうだな」と頷いた。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

意味深なタイトルですが、前半はミリアリアを中心とした穏やかな日常です。
なかなか書く時がなかったのですが、オーブのご両親にも二人はちゃんと妊娠の事実を伝えています。
私の作品には度々オリキャラが出てきますが、アンジェラもマリアもエイミーもみんな大好きです。
オリキャラ苦手な方には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、どうぞわがままをお許しください…;;
さて、臨月間近のミリアリアに突然起こった異変。
おろおろするディアッカを励ますように微笑むミリアリアですが、この後、ついに……!

 

 

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2017,2,23up