68, 虎穴に入らずんば虎子を得ず 2

 

 

 

 
『妊娠……だって?!』
 
 
通話口の向こうでそう言ったきり絶句するタッド・エルスマンに、ミリアリアの表情が幾分和らいだ。
「すぐにお知らせできなくて申し訳ありません。ディアッカの件もあって…」
『ああ…構わんよ。仕方のないことだ。それよりも、今どこにいるんだね?』
「自宅近くの病院です。悪阻が酷くて動けなくなってしまって…」
『ナチュラルを診るには心許ないな。エルスマン系列の病院に転院の手配を取ろう。まだ安定期には大分あるからね。主治医には私から話を通しておくから、君はそこで待っていればいい』
「はい。あの、これから栄養剤の点滴を受けるんです。終わったらここで待ってます」
『ああ、分かった。……ミリアリア。ディアッカはあれで悪運の強い男だ。今は余計なことを考えず、自分と胎児のことを優先するんだよ』
「──はい。私は大丈夫です。彼のこと、信じてますから」
『…そうだね。ああ、言い忘れるところだった』
「え?」
『──妊娠おめでとう、ミリアリア』
「……はい。ありがとうございます」
 
通話を終わらせたミリアリアは、携帯端末を胸に抱え、ほぅ、と息を吐いた。
そうよ、きっと大丈夫。
黒幕の手に万が一落ちていたとしても、もし何かされていたならきっと奴らはそれを誇示する行動に出るはずだ。
それが無いのは即ち、ディアッカはまだ生きている、ということに他ならない。
イザークたちも力を尽くしてくれている。
だから、私はここでこの子とディアッカの無事を信じて待っていればいい──。
ミリアリアは大好きな夫の顔を、声を思い出す。
『俺はいなくならない。どこにいたって助けに行く。必ず探し出して、迎えに行く』
そう言って柔らかく微笑むディアッカの顔が浮かび、不意に涙が滲む。
 
 
ねぇ、どこにいるの?
早く帰ってきなさいよ。
伝えなきゃいけないことがあるのよ。
ここに…私たちの、こどもがいるの。
新しい、家族ができたのよ?
 
 
ぽろり、と零れた涙をミリアリアはぐい、と軍服の袖で拭った。
泣いちゃいけない。しっかりしなくちゃ。
 

「ミリアリア・エルスマンさんですか?」
 

突然背後から声をかけられ、ミリアリアはびくりと肩を跳ねさせ振り返った。
そこに立っていたのは、スーツに白衣を羽織った若い男性。
「お待たせしました。どうぞこちらへ」
奥のドアを指し示され、ミリアリアは首を傾げた。
「あの…処置室に移動、って言われているんですけど…。それともお父様…エルスマン系列の病院の方ですか?」
「いいえ。とにかくこちらへ」
きっぱりとした口調に、ミリアリアは思わず男を凝視した。
妊娠が発覚したこの病院には、ラクスの方から慎重な対応を、と話を通してもらっている。
護衛の件もその際にしっかり説明をしているはずだったのに、それについての言葉もない。
伝達ミス?あのラクス・クラインの言葉を?
 
 
──それとも、まさか。
 
 
すぅっと体が冷えていくのを感じながら、ミリアリアは男の目をまっすぐ見ながら口を開いた。
「ところで、どちらの科の先生ですか?認証カードも下げていらっしゃらないし、初めてお会いしますけれど」
途端、男の目が眇められる。
「……ナチュラルのくせに察しがいいな」
一気に低くなる男の声に、ミリアリアは自分の予想が当たってしまったことを悟った。
この男は──「あの方」の仲間だ。
くらり、と眩暈に襲われたが、ミリアリアは気丈にも男から目をそらさず、言葉を続けた。
 
「ディアッカはどこ?」
「答える必要はない。貴様が俺達とともに来るというなら話は別だがな」
「……私がここにいることは大勢の人たちが知っているわ。逃げ切れるとでも思ってるの?」
 
男は驚いた表情を浮かべたが、すぐにそれは残忍なものへと変化を遂げる。
「君がおとなしく我々に従ってくれればどうということもないだろう。もし何か事を起こせば──この場にいる者たちも、君の夫の命も保証出来ないがね」
外にいるラスティとアンジェラに、なんとかして知らせる手立てはないだろうか。
必死で考えを巡らせたが、この短時間で良い案が思いつくはずもない。
「ディアッカは…無事なの?」
「──生きてはいる。無事、と言っていいかは疑問だがな」
 
 
生きてはいる。
 
 
その言葉にどっと体の力が抜ける思いだったが、男に促されミリアリアは立ち上がった。
「行くわ」
生きているなら、私はディアッカのそばに行きたい。
お腹の子のことを考えると無謀極まりないのは分かっていたが、それでも、ディアッカに会いたい。
一人では何もできなくとも、二人なら活路が見出せるかもしれない。
──何より、ディアッカを、助けたい。
ミリアリアは慎重に立ち上がると男を見上げた。
 
「ナチュラルのくせに、随分と肝のすわったお嬢さんだ」
「…ここに現れたってことは、私の体調についても理解しているのよね?」
 
妊娠中の身を手荒に扱われることだけは避けたくて、ミリアリアは精一杯の虚勢を張った。
「身重の女性に手荒な真似はしない。ユーリ様の命令だからな」
ユーリ?どこかで聞いたことがある名前だ。
「さあ、こちらへ。エルスマン夫人」
……考えるのは、今じゃなくてもいい。
ラスティとアンジェラに心の中でごめんなさい、と謝罪し、ミリアリアは男の後について歩き出した。
 
 
 
 
 
 
 
016

 

 

ついにミリアリアに手を伸ばしてきた「あの方」。
ミリアリアはディアッカを取り戻すべく、敵の真っ只中へ飛び込みます。
一方ラスティは……?

 

 

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2016,10,15up