心の器 5

 

 

 

 
「荷物を置いてくるので、座っていてください。あ、先にお茶でも……」
「シホ」
「っ、はいっ!」
 
 
静かに名を呼ばれ、シホは自然と直立不動の姿勢を取った。
「荷物も茶も後でいい。……昨日は、お前の気持ちも立場も考えず、無神経なことを言ってすまなかった」
突然の謝罪の言葉に、シホは言葉を失い立ち尽くした。
違う、イザークが悪いんじゃない。謝らなければいけないのは、きちんと説明もしないで激高した自分だ。
 
『結婚して一緒に暮らすって簡単なことじゃないでしょう?価値観も習慣も違うし。どっちかが高いところにいたら、手は届いても同じ目線でいることは難しいわ。昔感じていたのはそういうことだったのかなぁ、って思うのよね』
 
あの時のミリアリアの言葉が蘇る。
同じ高さにいるミリアリアとディアッカ。
価値観も違うし喧嘩もするけれど、二人の間には固い絆がある。互いを認め合っている。
出来るかどうかはわからない。けれど、自分も……そうなりたい。
シホはショップ袋を床にまとめて置き、イザークの隣にぽすん、と腰を下ろした。
 
「──イザークは悪くありません。悪いのは…私です。未だに母の呪縛から抜け出せないでいる、情けない私なんです」
「シホ……?」
「話……聞いて頂けますか?これまでの私のこと」
 
薄紫の瞳を真っ直ぐ見下ろし、イザークはこくりと頷いた。
 
 
 
それからシホはぽつり、ぽつりと自分のことをイザークに語り始めた。
生まれてくる子供を自分たちと同じ音楽家にすべく、聴力、視力の特化を中心にコーディネイトを施されたこと。
物心ついた時にはすでに音楽の道へ進むと決められていたこと。
幼年学校への通学もそこそこに、大勢の家庭教師たちにピアノや声楽を叩き込まれて育ったこと。
大人たちに囲まれ、同世代の友人がなかなかできなかったこと。
こっそり父親がくれた自由時間を読書に費やし、志向性エネルギー開発の分野に興味を持ったこと。
娘を歌姫としてプラントの社交界にデビューさせる目論見が外れた母がラクス・クラインに嫌がらせをしていたと知り、音楽の道を志すのを止めたこと。
両親の反対を押し切って家出同然でザフトに入隊し、志向性エネルギーの研究にも勤しんだ結果、今に至ること。
 
 
「……なんだか愚痴っぽいですね、私。ごめんなさい」
 
 
自分の目線だけで平等に語ることはとても難しく、シホは苦笑いを浮かべた。
こんなことを話したら嫌われてしまわないだろうか。引かれてしまうのではないか。
そんな不安に苛まれ、今まで小出しに、そして曖昧にしかイザークに伝えてこなかった、シホの半生。
だが、イザークは真摯な表情でシホの話に耳を傾けてくれていた。
そんな恋人の姿に、少しずつシホの心の中にあった重りが取り去られていく気がした。
 
「いや、そんなことはない。むしろ、話をしてくれて…自分の短慮さが改めてよく分かった」
「イザークは悪くありません。……ごめんなさい。話さなかったのは私なのに、あんな風に癇癪を起こして」
 
情けない表情を浮かべたシホを、イザークの腕が引き寄せる。
ぽすん、と腕の中に収まった恋人の髪をゆっくりと撫でながら、イザークは口を開いた。
 
「ディアッカに、説教された」
「……へ?説教?」
 
意外すぎる展開に、シホは間抜けな声を出してしまう。
ディアッカがイザークに説教?逆じゃなくて?
 
「ああ。『まずお前らは同じ高さに立つことから始めないと』と言われた」
シホは思わず息を飲んだ。
それはかつてミリアリアが口にしていたものと全く同じだったからだ。
「どうした?」
「……いいえ。私も昔、似たような話をミリアリアさんから聞かされたことがあったので」
「ほう。似た者夫婦、というやつだな、あいつらは」
笑いを含んだ声に、シホもまた微笑んだ。
「そうですね…でも、ミリアリアさんたちの仰る通りだと思います」
「シホ?」
小さく深呼吸をし、シホはイザークを見上げた。
 
 
「私、イザークに嫌われるのが怖くてきちんと自分のことを話すことが出来なかった。それじゃ同じ高さになんて立てませんよね」
「……俺も同じようなものだ」
「え?」
「俺は、お前しか欲しくない。しかしあんな事件に巻き込まれたお前に俺の欲望を押し付けることはできない、そう思っていた」
 
 
シホの脳裏を忌まわしい記憶が掠めた。
確かに、あの事件でシホには幾つかのトラウマが残った。
髪留めの件、男性に対する恐怖心。
そんなシホを思いやってか、イザークはキスより先の行為をシホに求めて来なくて。
ひとつずつトラウマを癒してくれるイザークの優しさをシホはちゃんと感じ取っていた。
ただ、イザークも男性ならばそれなりの欲求があるはず、ということも理解はしていた。
もし、キス以上を求められたら──そう考えたこともあったが、正直想像がつかなくて。
なんと答えていいか分からず、シホはアイスブルーの瞳を見上げ、言葉を待った。
「だが、あいつに言われたんだ。シホはそんなに弱い女か?と」
どきん、と胸が高鳴る。
どうしたんだろう、私?
 
 
「──今日、泊まってもいいか」
 
 
数瞬の沈黙の後、シホはうっすらと頬を染め、こくり、と頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
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心の内をさらけ出し、核心に触れていく二人。
初心なシホとイザークは、ぎこちないながらも心の距離を詰めていきます。
そしてついに……!

 

 

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2016,9,2up