心の器 4

 

 

 

 
しん、とした部屋で目を覚まし、シホはいつもの習慣で目覚まし時計に目をやり……がばり、と飛び起きた。
「あ……そうか」
今日からシホは有給消化として五日間の休みに入る。
本当ならば昨夜、イザークとともに帰宅するはずだったのだがシホはそれを断った。
もっとも、直接告げる勇気はなく、不在の間にイザークの執務机にメモを残してきたのだったが。
 
 
溜まっていた家事をこなし、軽い昼食をとったシホは、ぼんやりとソファに沈み込んだ。
と、プライベート用の端末が震え、着信を知らせる。
「……っ」
画面に目をやったシホの表情が厳しいものへと変わった。
「もしもし」
『シホ?シホなのね?ああ、やっと出てくれた…』
「何かあればお父様を通して下さい、と前に言いましたよね?お母様」
 
 
聞こえてきた声は、シホの母親であるミラ・ハーネンフースのものであった。
 
 
『もう聞いているでしょう?私のコンサートの件。ごくごく内輪のものなのだけれど、あなた』
「招待状に何をどう書かれたのかは知りませんけれど、歌うつもりはありません」
母の言葉を遮りぴしゃり、と告げたシホに、電話の向こうから明らかにムッとする気配が伝わってくる。
 
『あなたの恋人のお母様からも、楽しみにしている、と返事を頂いたのよ?』
「だから何?そんなのお母様が勝手にやったことでしょう?」
『母親の顔を潰すつもり?それにジュールさんだってもしかしたらお友達に、息子の恋人が歌うと言っているかもしれなくてよ?』
「関係ありません。お母様の思い通りに何でも進むとまだ思っているのなら、いい加減認識を改めて下さい」
『あなた、親に向かって…!結婚の話が出ているのならば、ハーネンフースの家にも関係があることでしょう?これ以上の勝手は許しませんよ!』
「それはこちらのセリフです。これ以上私の周りで勝手な真似をするならこちらにも考えがあります」
 
冷静に、落ち着いて。
そう言い聞かせながら、シホは母親の挑発に乗せられぬよう慎重に言葉を選びつつ、きっぱりと拒絶の意を示した。
『何のためにあれだけ時間とお金をかけてあなたの教育に頭を悩ませたか……』
「その言葉ももう聞き飽きました。それじゃ」
これ以上聞いていられず、シホは通話を終わらせ端末をぽいと投げ捨てた。
膝に置いた両手がかたかたと震えているのに気づき、溜息交じりの苦笑を浮かべる。
こんな風に表立って母に逆らったのは初めてで。
自分の意思をきちんと伝えることが出来た、という達成感と、少しばかりの自責の念に駆られたシホは、ぶるぶると頭を振って立ち上がった。
「……いいのよ、これで」
自分に言い聞かせるように呟き、シホはバスルームへと向かった。
 
 
 
***
 
 
 
山のようなショップ袋を手にシホが自宅へ辿り着いたのは深夜、とも言える時間帯だった。
『たまのお休みに一人だけで出掛けて、ぱぁっと買い物するの。そうするとすっきりして、嫌なことも忘れちゃうのよね』
以前ミリアリアがそう言っていたのを思い出し、ならば自分も、と思ったのだ。
そう、確かあれはディアッカとの喧嘩についてお茶を飲みながら色々と相談されていた時のこと。
 
『最初はね、やっぱりどこか気が引けてた部分もあるの。別れる前なんて特にね。コーディネイターとナチュラルってだけで差は歴然としてるじゃない?でも復縁して、同棲し始めて思ったの。私たち、やっと同じ高さにいるな、って』
『同じ高さ……?』
『結婚して一緒に暮らすって簡単なことじゃないでしょう?価値観も習慣も違うし。どっちかが高いところにいたら、手は届いても同じ目線でいることは難しいわ。昔感じていたのはそういうことだったのかなぁ、って思うのよね』
『……本当に、ディアッカのことがお好きなんですね、ミリアリアさんは』
『すっ…!いや、うん、そう…ね……でも、喧嘩もたくさんするけどね』
 
そうやって真正面から喧嘩ができる関係こそが、同じ高さにいる証なのだろう。
──それなら、私とイザークは?
冷たい何かが胸にずん、と落ちてきたが、シホはそれについて考えることをやめた。
 
 
 
自炊すら面倒で外で食事を済ませてきた為、帰宅後は今日の戦利品を片付けて眠るだけだ。
明日は、何をしようかな。
本当なら仕事を終えたイザークが毎日部屋まで立ち寄ってくれることになっていたが、昨日のこともあり、次に会うのは休暇明けになるだろう。
それまでに、自分の気持ちをきちんと整理しなければ──。
 
「……え」
 
部屋の鍵を取り出し前方を見据えたシホの口から、小さく声が漏れる。
そこには、いつか見たものと同じ光景。
シホの部屋の前で、腕を組んでドアにもたれかかるイザーク・ジュールが顔を上げた。
 
 
「ちょ…た、隊長!?どうして…!」
 
 
通常の勤務ならば、もうとっくに定時は過ぎている。
一体いつから、何時間ここにいたのだろう?
「……買い物か」
「え?あの、はい…」
どんな顔をすればいいかも分からず、シホは両肩にショップ袋を提げたまま視線を泳がせた。
どうしよう……どうしよう!
動揺を隠せないシホだったが、どれだけイザークがここで自分を待っていたのかも分からない。
仕事上がりであれば当然お腹も空いているし、疲れてだっているはずだろう。
「と、とにかく家に入ってもらえますか?ここじゃ…」
「いいのか?」
「は、はい」
「そうか。…重かろう。貸せ」
ひょい、と左肩にかけていた幾つかのショップ袋を手に取られ、シホの体がびくり、と震えた。
全部持つ、といえばシホが困るのを、イザークはきっと分かっている。
そんな気遣いが嬉しくて。
シホは素早くキーを差し込み、玄関の明かりをつけた。
 
 
 
 
 
 
 
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ミリアリアの言葉を思い出し、自分とイザークの関係性について思うシホ。
そんなシホの元に突然現れたイザーク。
さて、どうなるでしょう…

 

 

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2016,9,1up