「あ、シホ」
本部内を歩いていると、背後から声がかけられた。
「ああ、おはようディアッカ。……どうしたの?」
声の主は、ディアッカ・エルスマン。
つい数ヶ月前、ナチュラルであるミリアリア・ハウと結婚し、二つの種族の架け橋と話題になった男であり、シホの同僚だ。
「イザークが探してたぜ。エザリアさんから通信が入ってさぁ、そしたら急にソワソワし始め…っておい、シホ!」
ディアッカの言葉が終わる前に、シホは走り出していた。
なぜその可能性に気がつかなかったのだろう。
ザフト本部にまで手紙を送りつけてくるあの人が、それだけで満足するはずがないとどうして気がつかなかったのか。
ノックもせずに隊長室のドアを開けると、執務机に座っていたイザークが驚いたように顔を上げた。
「シホ?」
「……ディアッカから、私を探しておられると聞きました」
少しだけ乱れた息を整えながら、薄紫の瞳を真っ直ぐイザークに向ける。
どうか、杞憂であってほしい。
だがその思いは一瞬で打ち砕かれた。
「母上から連絡があった。ミラ・ハーネンフース殿からコンサートの招待状が届いたと」
シホは拳をぎゅっと握りしめ、その言葉を受け止めた。
「……そうですか。母は何と?」
「ああ、是非この機会に娘であるシホにもゲストとして一曲披露してほしいと考えている、とあったそうだ。だがお前は確か…」
「歌うつもりはありません」
強い口調に、イザークは目を丸くした。
と、背後のドアが開きディアッカが顔を覗かせる。
「……俺、仮眠室にいるわ。三時間後に起こして?」
なるべく無関心を装った口調でそう告げてちらりとイザークに視線を投げ、奥にある仮眠室へと消えていくディアッカの姿に、血の上りかけたシホの頭が少しだけ落ち着きを取り戻した。
「……とにかく。私はザフト軍人です。歌の道を志していたのはもう過去の話ですし、人前で歌うつもりはありません」
「そう言っていたのはもちろん覚えているが…本当にいいのか?」
「──え?」
何を言い出すのか、と今度はシホが目を丸くする番だった。
「母君から届いたのは正式な招待状だったらしい。俺はあまりそう言ったことに詳しくないが…日程や場所ももう押さえておられるのだろう?急な変更は母君にとっても……」
心配そうに眉を顰めるイザークの顔を穴が開くほど凝視しながら、シホはゆっくりと立ち上がる。
再びかぁっと頭に血が上るのが自分でも分かった。
「以前お話しましたよね?両親とは…特に母とは連絡を取り合っていないと」
いつもより数段低い声に、イザークはうろたえたように頷く。
「あ、ああ。だがせっかくの機会に…」
「あなたはあの人の本性を知らないからそんなことが言えるんです!」
ひゅ、とイザークが息を飲んだ。
「何でも思い通りになると思っていて、自分の子供の進む道まで勝手に決めて。逆らったら“お前のコーディネイトにどれだけ時間と金をかけたか”を延々と語られて。挙げ句の果てにはラクス様にまで嫌がらせをするような人の為に、私は存在してるんじゃありません!」
「シホ、それは…」
いつの間にか零れ落ちていた涙を拭おうともせず、シホはイザークを睨みつけた。
「世の中の母親がみんな、あなたのお母様のように無償の愛を子供に注ぐわけではないんです!何も知らないくせに、分かったような口をきかないで!」
言葉を失い立ちつくすイザークに、シホははっと我に返った。
──今、自分は何を言った?
自分が母からされたことと、イザークの生まれ育った環境など、何の関係もないことなのに。
母親思いのイザークだからこそ、シホと両親の関係をうっすらと知りながらも、母のことを案じてくれたのだろう。
それなのに、私は。
「……これから演習があるので、失礼します」
頭の中がぐちゃぐちゃで、自分のしてしまったことがいたたまれなくて。
イザークの方を見ることもできないまま、シホはくるりと踵を返し、逃げるように隊長室を後にした。
イザークはきっと優しさからの発言だったんですよね。
でもその純粋さが、シホにとっては違う意味を持ってしまって…
ていうかこのお話はイザ誕なんですが、どうしようこんな殺伐としちゃって;;
2016,8,30up