「ミリィ、ちょっといいか?」
証人喚問から数日後。
夕食を済ませ、のんびり洗濯物を畳んでいたミリアリアは、少しだけ硬いディアッカの声に顔を上げた。
「なぁに?」
「この間お前が言ってた……アンジェラの件なんだけどさ」
「アンジェラさん、病院に行ったの?!」
「ああ。結局親父が診察から検査までしたらしい。で、さっき連絡貰った」
あの日、アンジェラのことを尋ねたミリアリアだったが、「確証が取れるまで待って欲しい」と言われ、その話はそれっきりになっていた。
「まず、あいつの瞳の色の話だけど…後天的に色が変わった原因が分かった」
「え?!原因って…ただの遺伝子異常じゃなかったの?」
ラグに座っていたミリアリアの側にあったソファに腰を下ろすと、ディアッカは一度だけ、深く溜息をついた。
「あいつは…アンジェラは、両親から虐待を受けていた。そのせいで、後天的に瞳の色が変わっちまったんだ」
予想もしていなかった事実に、ミリアリアは驚愕のあまり息を飲んだ。
「虹彩萎縮、っていうんだけどさ。目の中にある虹彩、っていう組織…いや器官、かな。ま、そこに傷を負ったんだと思う。後天的な虹彩萎縮ってのは、事故に遭って虹彩が損傷を受けることで起こるケースがあるんだけど、親父があいつの両親のことをたまたま知ってて。それで、内密にすることを条件として話をしたらしい」
「内密にって…どうしてよ!?アンジェラさんがされたことを考えれば、それこそご両親は社会的制裁を受けてもおかしくないじゃない!」
「そうでもしなきゃ、口を割らなかったんだろ。俺も悔しいけど…当事者のあいつに記憶がない以上、そうするしかない。親父もずいぶん迷ったみたいだった」
伏し目がちに語るディアッカの姿に、ミリアリアはついカッとなってしまった自分の未熟さを恥じた。
確かに、ジャーナリストをしていた頃にもそうやって交渉をしたことがあった。
その時の悔しさを忘れたつもりなどなかったのに──。
「…ごめん。そうよね。お父様もディアッカも悩まないはずないのに、私…」
「気にすんなよ。それがお前のいいところなんだからさ」
くしゃりと頭を撫でられ、ミリアリアは膝の上に置いていたバスタオルをぎゅっと握りしめた。
「先天性の記憶障害については、やっぱり遺伝子異常が原因だった。脳の一部に影響が出ちまったんだな。運動能力に突然特化したのも、簡単に言えば同じ原因だ」
「そんなことがあるのね…」
「ああ。脳ってのは繊細な器官だから…正直、その辺の治療は難しいらしい。遺伝子が絡んでるってのもあるしな。一歩間違えば今より悪い方に行きかねない。アンジェラ自身も現状に不満はないと言っていたらしいし、わざわざリスクを背負う必要はないだろ」
「じゃあ…瞳の件は?」
縋るような眼差しにディアッカは苦笑し、もう一度ミリアリアの髪をくしゃりとかき混ぜた。
「そっちは治る。傷ついた虹彩を手術で修復出来るんだ。あいつの元の瞳の色はグレーだったらしいから、手術すれば元どおりに戻る可能性は高いってのが親父の見解だ」
「そう…。良かった、って言っていいのか分からないけど…アンジェラさんはこのことを知ってるの?」
「親父が話をしたらしい。虐待については記憶がないそうだ。目の手術については考えてみる、って言ってたらしいぜ」
「そう、なんだ…」
あの日、両親の訪問にさしたる興味も見せなかったアンジェラ。
忘れていた虐待の事実を聞かされ、どんな思いをしたのだろう。
何より、望んで産まれてきた我が子に暴力を振るうなど、ミリアリアには理解できなかった。
黙り込んだまま無意識にそっと下腹部に手を置くと、「ミリィ?」とディアッカの気遣わしげな声が落ちてくる。
ミリアリアはディアッカを見上げ、呟いた。
「アンジェラさんにも…いつか家族が、できたらいいね」
愛し愛され、守って守られて。楽しいことも苦しいことも分かち合える、そんな存在ができたらいい。
「……できるさ。絶対に」
「うん」
ディアッカの言葉に目の奥がじん、と熱くなるのを感じながら、ミリアリアはソファからはみ出した長い足にそっと体を預けた。
***
それから数日後。
領事館で書類の処理をしていたミリアリアの元にひょっこりと顔を出したのはラスティだった。
「ラスティ?どうしたの?」
「いや、今日来てるって聞いたから顔見に、さ。ちょっと会わない間に随分育ったな」
「ふふ、軍服が着られなくなっちゃったわ。なんだかこんな格好で仕事するのって落ち着かなくて」
ゆったりとしたワンピース姿のミリアリアに、ラスティは柔らかく目を細めた。
「ディアッカが選んだだろ、それ」
「え!な、なんで分かるの?」
「傭兵は勘が鋭くないとやってられないんですよ」
「またそうやって茶化して…」
「ミリィ!大変だ!…って、ラスティ?!」
「よ、サイ」
駆け込んできたサイは驚いた表情をラスティに向けた。
「どうしたの?サイ」
「あ、いや…その」
「──気ぃ使わなくていいぜ、サイ。俺も今さっき知ったばっかだから」
ふ、と笑ったラスティは、ゆっくりと言葉を続けた。
「──父さん…いや、ジェレミー・マクスウェルが…ついさっき、息を引き取ったそうだ」
ミリアリアは息を飲み、口元を手で覆った。
「う、そ…」
「ディアッカの親父さんから連絡を貰ったんだ。今頃あいつにも知らせが入ってるんじゃねぇかな」
ラスティが父親と直接会話を交わした、と言っていた日からずっと、ジェレミー・マクスウェルは昏睡状態のままだと聞いていた。
治療すら満足に受けないままだった体はどこもかしこも病魔に冒されていて、さすがのタッド・エルスマンも頭を悩ませているとディアッカが言っていた。
それが、こんな早くに──。
「……ラスティは、どうするの?」
サイの言葉にラスティは首を傾げた。
「ああ…とりあえず母さんと相談して決めるわ。俺はあくまでもオーブ行政府預かりの立場だし、母さんももう戸籍上は他人だからさ」
「……そう」
ラスティの置かれた複雑な家庭環境に、ミリアリアは何と言っていいか分からず項垂れた。
「そんな顔すんなって。母さんのことだから、なんだかんだ言っても花くらいは手向けるだろ。葬儀にはさすがに出られないだろうけどな」
「……うん。ごめんねラスティ、逆に気を使わせて」
そう、これはラスティが立ち向かわねばならない問題だ。
そしてミリアリアは、ジェレミー・マクスウェルの起こした事件の被害者でもある。
二年以上も狙われ続け、ディアッカも重傷を負わされ、ミリアリア自身も一歩間違えば胎児とともに命を落としていたかもしれない。
それでも──どうか安らかに眠って欲しい。たとえそれが偽善と言われようとも、構わない。
ミリアリアはそっと目を閉じ、ジェレミー・マクスウェルの冥福を祈った。
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アンジェラの瞳の件、そしてラスティの父親であるジェレミーの死。
これも死ネタに入ってしまうのかな、と随分迷ったのですが、直接の描写は無いので考えていたそのままを書きました。
苦手な方がいらしたら申し訳ありません。
ミリアリアのジェレミー・マクスウェルに対する感情はとても複雑で、うまく表現するのがとても難しかったのですが(表現できているのか心配です;;)、憎しみは何も生み出さないと知っている彼女ならではの想いが伝われば、と思います。
2017,2,8up