「……そちらの都合は分かった。少し、考えさせて頂きたい。ーー1時間後に、また通信を。」
そう言って一方的に回線を切ったセリーヌ・ノイマンは、深い溜息をついて椅子に背中を預けた。
人質のひとりであるカガリ・ユラ・アスハは意外な程に大人しくしている。
彼女は武闘派、と聞いていたから、屈強な男を見張りに配置しているせいもあるだろうが、一国を担う立場にある女性だけに、度胸も違うのだろうか。
人づてに聞かされたカガリのイメージだけしか知らないセリーヌは、まさかカガリが自室のパソコンからウィルスのデータをミリアリアに送っているなど考えもしていなかった。
万が一に備え、カガリの目の前でパソコンを使うなどと言う真似も出来なかった、という理由もあったのだが、それが裏目に出た形だ。
セリーヌは胸元から小さなカードケースを取り出し、そこに納められた写真に指を滑らせる。
連邦軍の軍服に身を包みにっこりと笑う、セリーヌがこの世界で一番大切だった人。
パナマでの戦いで、仲間と共に投降の意思を見せたにもかかわらず無惨にも撃ち殺された、大好きだった婚約者。
「キール…これで、いいのよね?」
“協力者”には内緒で弟であるアーノルドに連絡を取ってしまったのは、自分の心のどこかに迷いがあったから。
誰かに、なぜ自分がこんなことをしているか、理由を知っていて欲しかった。
認めてもらえるはずも無いのは承知だ。それでも、聞いて欲しいと心のどこかで思っていた。
自分がとんでもないことをしている、というのも分かっている。
自分が開発したウィルスで、下手をすれば万単位の命が消えるのだ。
協力者の手引きのもと、休職している職場の研究室から研究途中の様々なデータを抜き取り完成させた、対コーディネイター用のウィルス。
ウィルスの組成式は自室の端末に補完してあるが、ワクチンの精製方法はセリーヌの頭の中にしか存在しない。
最も、優秀な頭脳を持つコーディネイターであればそれほど時間もかからずワクチンを開発出来るだろう。
だが、ウィルス自体のデータが無い中で、しかも三日と言う期間ではそんな事は不可能だ。
「もう…止められないのよ、キール。始まってしまったんだもの。」
セリーヌはもう一度だけ写真に指を滑らせ、愛おしげにその笑顔を見つめ。
テーブルの上にそっとカードケースを置くと、通信機に手を伸ばし教えられているコードを正確に入力した。
『どうした?緊急の用件かね?』
程なくモニタに現れたのは、名も知らない協力者のうちのひとり。
亜麻色の髪の、柔和な顔をした男性だった。
背後にはもうひとり、気難しげな顔をした男性がいるのが見える。
きっとこの男が、この協力者達の元締めであるのだろう。
だがセリーヌにとっては、彼らの名前や出自などどうでもいいことだった。
こうして、キールの仇を取る機会を与えてくれて、代わりに自分は持てる知識の全てを惜しみなく提供する。
そういう、契約なのだから。
どうせ、幸せな未来などもう無いのだ、自分には。
彼のいない世界なんて、どうなってもいい。
だから、復讐が果たせればそれでいいのだ。
「先程ラクス・クラインから通信がありました。ミリアリア・ハウの処遇についてです。」
『ラクス・クラインから?…それで、彼女は何と?』
セリーヌはまっすぐにモニタの向こうの協力者を見つめた。
「本人から申し出があったそうです。明日、プラントを出てこちらへ向かうと。」
その言葉に一瞬、亜麻色の髪の男が沈痛な表情を浮かべたのはセリーヌの気のせいだろうか?
反面、背後の男は満足げな、そしてぞっとするような笑みを浮かべた。
『そうか。では予定通りシャトルに彼女を乗せて…』
「待って下さい。それ以外にも条件を提示されました。」
『条件?』
怪訝そうな表情を浮かべる亜麻色の髪の男に、セリーヌは先程ラクスから告げられた言葉を伝えた。
「ミリアリア・ハウが体調を崩し、倒れたと。先程意識が戻ったとの事で、こちらに通信をして来たそうです。
過呼吸の既往歴があるそうで、今回も同じ症状だと。」
『過呼吸…?ではどうやって、そんな体で明日プラントを出ると言うのかね?』
訝しげな亜麻色の髪の男に、セリーヌは自身の持つ知識を伝えた。
「過呼吸症候群は過剰なストレスでも発症します。症状が落ち着けば、動けない訳ではありません。
私があちらに提示したリミットのこともありますし、彼女の夫はカーペンタリアに滞在していますから…きっと、何としてでもプラントを出るつもりなのではないでしょうか。」
『ふむ…そうか。』
「ですがラクス・クラインは、彼女の体調を考慮し、オーブ総領事館の特別補佐官であるサイ・アーガイルを彼女に同行させることを条件として提示してきました。
彼に関しては、アスハ代表をお迎えする際一度対峙しましたが、ただのナチュラルなようですし危険があるとも思えません。
ですが私の一存では決めかねる条件でしたので、一度回線を切りご連絡させて頂きました。
……この条件については、どうすれば?」
セリーヌは一気にそこまで言い切り、モニタの向こうにいる男達の言葉を待つ。
亜麻色の髪の男は後ろを振り返り、背後の男に判断を仰ぐような素振りを見せた。
『…かまわんよ。その特別補佐官も共にプラントから出てもらえばいい。何の恨みも無いが、いざという時の交渉材料くらいにはなるだろう。』
『しかし!ラクス・クラインは見た目通りの人物ではない。何か企みがあるのかもしれないぞ?』
『それなら、その場で殺してしまえばいいだけのことではないか。』
不意に男の声色が変わり、セリーヌの体が震えた。
なぜ、こんなに簡単に人の命を奪う決断が出来るの?
ぞっとする思いでモニタを見つめていたセリーヌだったが、自分のしていることを思い出し、内心で自嘲した。
ならば、自分が作ったウィルスは?自分がしようとしていることは何だと言うのか?
『ーー君の話は分かった。あちらの条件はそれ以外には?』
亜麻色の髪の男の声に、セリーヌははっと我に返った。
「いえ。それ以外には特に何も。アスハ代表の様子を聞かれたことと、病みあがりであるミリアリア・ハウの扱いについて丁重に、とは言っていましたけれど…」
『もちろん丁重に扱うさ。大事な…駒なのだからな。あいつらをおびき寄せる為の。』
再び低い声で発せられた言葉に、セリーヌは訝しげな表情になった。
あいつら、とは誰のことだろう?
『おい、やめたまえ。喋り過ぎだ。…では、君には引き続きあちらとの交渉を頼む。ウィルスは手元にあるのかね?』
「…はい。この艦のクルーにとってもあれは危険なものですので。私の部屋に保管してあります。」
『そうか。分かった。では。』
ぷつり、とモニターが暗くなり、通信が切れる。
セリーヌは心細げな顔で、テーブルに置きっぱなしにしていたカードケースを手に取る。
「私はキールの仇を取る。あの人達は…それを手助けしてくれる、協力者。それで、合ってるのよね?キール…」
あいつらをおびき寄せる、と言っていた背後の男。
この違和感の正体は、何?
「もう、止めることなんて出来ないのよ…」
迷いを断ち切るようにそう口にしたセリーヌは、カードケースを大切そうに胸元にしまうと、テーブルに肘をつき、顔を両手に埋め深い息をついた。
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セリーヌと“あの方”視点でのお話でした。
ディアッカ達が息子を見殺しにしたと信じているジェレミーの深い恨み。
ニコルの戦友でもあった二人に対し、恨みだけではない感情をちらつかせるユーリ。
そして、セリーヌもまた内心では葛藤し続けています。
2015,3,5up