仮面舞踏会 4

 

 

 

 
「失礼。こちらのご婦人と同じものを俺にも。」
 
 
ディアッカの低くて甘い声に、キンダーソン夫人は顔を上げた。
 
「…どなた?」
「そう聞かれて、素直に言うと思う?」
くすり、と微笑んで頬杖をつく美青年に、夫人は少しだけ目を見開いた後ーー妖艶に微笑む。
「そんな風に言われたら、ますます気になるわ。」
「仮面の意味がないでしょ?俺だってあなたの綺麗な顔が見たいの、我慢してるのに。…今日は、ひとり?」
す、とディアッカの指が伸ばされ、夫人の頬を撫でる。
「…夫が、いるわ。」
「罰当たりな男だな。こんな綺麗な奥様を一人にするなんて。それとも…俺がラッキーなだけ、かな?」
頬を滑る指が、いつしか首筋から顎へと移動して、夫人は思わず溜息を付く。
 
気の進まない仮面舞踏会なんてものに連れて来られて辟易としていたが、思わぬところでこんないい男ーー仮面越しでも分かる、年下の、生意気そうな美青年ーーに出会えるなんて。
 
 
「乾杯、しよ?」
「…ええ」
ちりん、とグラスが鳴る。
婚姻統制で結ばれた夫への興味などとっくの昔に消え失せていた夫人は、今夜の遊び相手をこの不遜な美青年に、決めた。
 
 
 
「…シホ。ディアッカは何を話している?」
イザークは、先ほどから俯いて黙り込むシホを不審に思い、そっと声をかけた。
 
 
「………ミリアリアさん、やっぱり結婚早まったんじゃないでしょうか。」
「………は?」
 
 
きっ、と顔を上げたシホの紫の瞳は、明確な怒りに燃えていた。
「あの、エロガッパ…!どこまで恥知らずなの…!」
 
えろがっぱ?シホは今えろがっぱと言ったか?
 
首を傾げるイザークに、シホは何か言いかけ…はっとした表情になった。
「隊長。バーカウンターの向かって右側にドアはありますか?」
「…ああ。通用口のような小さなドアならある。半分カーテンで隠されているがな。」
「どうやら、そこが密談場所のようです。」
「なに?」
シホは手にしたシャンパンを一息に煽った。
 
 
「あのエロ大魔王が夫人とどこかの部屋に消えてしまう前に、さっさと片付けましょう。
…ミリアリアさんの為にも。」
 
 
イザークはシホの気迫に押され、こくこくと頷いた。
 
 
 
***
 
 
 
はぁ、と吐き出した息の白さに、ミリアリアはマフラーを巻き直した。
よく考えたら私服で外出するのは久しぶりで、ついちょっとだけおしゃれを楽しみ防寒を怠ってしまっていて。
こんな短いコートにワンピースとブーツなんてやめときゃ良かった、と自分の格好を見下ろし溜息をついていると、「ミリアリアさん?」と聞き覚えのある声が聞こえた。
 
 
「ラクス!キラも…本部に用事だったの?」
 
 
静かに停まったエアカーの窓からにっこりと微笑み手を振るのは、ラクス・クライン。
隣にはミリアリアの友達でありラクスの恋人でもある、キラ・ヤマトの姿もあった。
 
「こんばんは、ミリアリアさん。ザフト本部に何かご用事ですの?」
「あ、うん…ディアッカに忘れ物を届けに来たんだけど、連絡が取れなくて…」
「まぁ、忘れ物?」
ミリアリアはコートのポケットからIDカードを取り出した。
「うん、これなんだけど…。無いと困るでしょ?任務の時だってきっと持ってないといけないんだろうし…」
「ミリィ、えっと」
「ミリアリアさん、ディアッカさんは既に任務でこちらを出ていると思いますわ。それに、今日の任務にそちらのカードはかえって…」
「ラクス!もう時間だよ?バルトフェルド隊長が待ってるんじゃないの?」
 
にこにこと言葉を続けるラクスに、キラが慌てて声をかけた。
 
 
「あら、そうでしたわね。ごめんなさい、ミリアリアさん。お引き止めしておきながら…」
「え?ううん、大丈夫よ!そっか…じゃあ連絡の取りようも無いわよね…」
「あら、ディアッカさんならホテル・オリエ…」
「ラクス!そろそろ行こうか?ミリィごめんね、また今度ゆっくり!」
「あ、え、うん。」
 
 
そのまま風のように走り去るラクスのエアカーを、ミリアリアはぽかんと見送る。
「キラ…何であんなに慌ててたのかしら?」
それに…ラクスの言いかけたのってもしかして…。
ミリアリアはくるりと踵を返し、思い当たった場所へと行き先を変え歩き出した。
 
 
 
***
 
 
 
「これ、ずっと音拾い続けるの?」
「……ええ。回収はいつでも出来るでしょう?何も密談が終わるまであそこにいる必要は無いし。
あなたはどうだか知らないけど。」
 
 
なぜシホはこんなに機嫌が悪いんだろう?アレが来たのか?
ディアッカは曖昧に微笑みながら首を傾げた。
 
 
三人は任務を終え、早々にホテルから退散し本部へとエアカーで移動していた。
イザークとシホが手際よく密談場所に高性能のマイクを仕掛けている間、ディアッカはキンダーソン婦人の相手を務めながら議員の普段の生活や付き合いのある重要人物の話を聞き出していた。
仮面越しでもかなりの美人と分かるキンダーソン婦人に散々部屋に誘われ、香水の香りが移るくらいに密着され内心辟易としていたディアッカだったが、神に誓って不埒な真似もしなければキス一つ贈らなかった。
数年前ならいざ知らず、今の自分にはミリアリアという最愛の女性がいるのだ。
彼女以外に興味も持てないし、何かする気になど全くなれないディアッカは、昔の自分の所業を思い出し満足げに溜息をついた。
 
「…なんだ、その気色の悪い吐息は」
 
IDカードを置いてくるという失態を犯したディアッカーー車内に置いて行けばいいものを、自宅に置いて来たと言う!ーーに変わり、エアカーを運転するイザークが苦々しげに呟く。
車を本部に戻す為にはザフトのIDカードが必要だった為、やむなく運転に回っていたのだ。
そして、助手席に録音機材を置いているせいで、シホはディアッカの隣に座らせるしかなくて。
子供じみた感情だと分かっていても、今日に限ってフェロモン全開のディアッカの隣に恋人を座らせておく事がイザークにはたまらなく苦痛だった。
救いは、先程のキンダーソン夫人とディアッカのやり取りを目の当たりにしたシホが、目に見えない分厚い壁を後部座席のど真ん中に築いている事だった。
 
 
「いや、俺ってさ、ぶっちゃけ昔はああいう所にそれなりに出入りしてたりしたわけじゃん?
でも今は、ミリィって言う大事な奥さんがいるだろ?
人ってやっぱ守るものがあると変わるよなぁ、ってなんかほっこりしちゃってさー」
 
 
ほっこり、の意味が著しく違う気がする、と感じるのは自分だけだろうか、とイザークは思うが、懸命にも口には出さない。
 
 
「シャツにルージュの痕を付けながら言う台詞じゃないわね。それに、この香りは夫人の香水かしら?
ミリアリアさんのものとは全く違う香りだし。」
「げ、まじでそんな残ってる?帰る前にシャワー浴びねぇと。
…あの夫人、相当旦那に無関心だったからなぁ。つーか場所変えようって誘いを必死にかわした俺の努力、褒めてくんない?」
「褒めません!やってる事も会話も全て、楽しんでるようにしか見えなかったわよ!」
「それにしてもきつい香りだな…窓を開けるぞ。もう帰るだけだし多少目についても構わんだろう。」
 
信号にぶつかり、エアカーが停止する。
ディアッカはシャツを確認しようとするが、仮面が邪魔でよく見えない為さっとそれを外してぽい、と座席に放り投げた。
「ひっでぇ誤解…。どのへん?襟んとこ?」
「私に確認しないでミラーで見なさいよ!とりあえずその禍々しい香りをこれ以上車内に振り撒か、ない、で……」
「は?」
不自然に終わったシホの言葉に、ルージュの痕を見てもらおうと体を寄せていたディアッカは首を傾げる。
 
 
「ミリアリア、さん…?」
 
 
震える声でそう呟くシホに、ディアッカは慌てて背後を振り返る。
イザークも驚き、スモークガラス越しにそちらに目を向けた。
 
 
信号待ちで停止するエアカーの、反対車線添いの歩道。
そこに、驚愕に目を見開いてこちらを見つめるミリアリアの姿を認め、ディアッカの目の前が一瞬暗くなったーーー。
 
 
 
***
 
 
 
そのエアカーが目に留まったのは、本当に偶然だった。
あれって…さっきの酔狂な人達の車?
反対車線で信号待ちをしている大きな黒いエアカーをミリアリアがじっと見ていると、ふいに窓が開き、車内の光景が飛び込んで来た。
 
 
 
「……ディアッカ?」
 
 
 
そこにいたのは、先程の美しい女性に寄り添う自分の夫の姿。
こちらに背を向けているが、ミリアリアが愛しい夫の姿を見間違える筈も無かった。
どうやら女性にぐっと顔を近づけていたらしいディアッカだが、ミリアリアの視線に気付いたのかーーくるり、とこちらを振り向き、目が合う。
豪奢な仮面を付けた女性がさっと顔を隠し、こちらを見つめるディアッカが愕然とした表情になるのを、ミリアリアもまた呆然と見つめていた。
 
なにこれ。どういう事?だってディアッカは任務で遅くなる、って…!
 
呆然とディアッカを見つめるミリアリアの目に、赤い何かが飛び込んでくる。
目を凝らすと、ディアッカの着ているシャツにルージュの、痕。
片側一車線の狭い道路だ。反対車線越しでもその赤い痕はとても目を引き、車内で何が行われていたかを嫌でもミリアリアに想像させる。
 
 
自宅に残されたIDカード。襟元のルージュの痕。
軍服ではない、しかし着飾った姿で美女と車内で寄り添うディアッカ。
ミリアリアの中でがちゃがちゃと思考が組み上がり、一つの形を作った。
そして同時に、かっと頭に血が上る。
 
 
「嘘、だったの…?」
 
 
信号が青に変わり、停まったままだったエアカーは後続車のクラクションを受け静かに発進する。
ミリアリアはくるりと車道に背を向けると、一目散に駆け出した。
「ミリィ!」
自分を呼ぶディアッカの声が聞こえた気がしたが、後ろを振り返る事はしなかった。
ミリアリアはいつの間にかぽろぽろと零れ落ちる涙を拭う事もせず、ただひたすらに前を見て、ディアッカから逃げるかのように走り続けた。
 
 
 
 
 
 
 
ma01

かつてのスキル(?)を存分に活かし、無事任務を終えたディアッカ。
シホが激怒した会話の内容、どんなんだったんでしょう(´・ω・`;)
そしてやっと!一瞬二人が再会!!したんですが…;;
気持ちはしっかりすれ違ったまま、その場を走り去るミリアリア。
とんでもない誤解をされてしまったエロガッパディアッカは、この後どうするのでしょう…(笑)

 

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2014,12,19up