薔薇の刻印 2

 

 

 

 

「すまない、連絡もなしに遅くなった。…シホ?」
 
少し息を切らせたイザークが隊長室に現れたのは、エザリアの電話からさらに1時間後の事だった。
時刻は、すでに昼に近い。
隊長室に誂えられた小さなサブデスクにぼんやりと座っていたシホは、イザークの声が聞こえないかのようにじっと一点を見つめたまま俯いていた。
長い黒髪が、シホの白い顔を半分以上隠してしまっている。
 
「おいシホ!どうしたんだ?」
 
思わず肩に手をかけがくがくと揺さぶると、夢から覚めたかのようにシホははっと顔をあげた。
「隊長…。」
「何かあったのか?」
そう言って薄紫の瞳を覗き込むと、シホはすっと目を逸らした。
 
「別に、何も。ただエザリア・ジュール様からお電話がありました。」
「母上から?」
目を丸くするイザーク。
母上が何かシホに言ったのだろうか?
シホと自分の事はディアッカとミリアリア以外知らないはずだ。
どこか固い表情のシホに、イザークは首を傾げた。
と、シホが口を開く。
 
 
「不在の旨をお伝えした所、また改めてお電話すると仰っていました。
あと、隊長室宛にお見合い写真を発送したので、目を通すようにと伝言を言付かっています。」
「そうか。分かった。…は!?」
 
 
イザークは素っ頓狂な声を上げた。
見合い?写真???
 
 
いったい何のことだ?!
 
 
「…今日は午後二時から評議会議事堂にて会議があります。
私は別件で外出しますので、直接議事堂に向かいます。…では。」
 
突然降って湧いた話に唖然としたままのイザークに一礼し、シホは黒髪をさらりと靡かせ踵を返すとドアに向かう。
「シホ、ちょっと待て…」
我に返ったイザークが発した声は、閉じられたドアに跳ね返って空しく部屋の中に響いた。
 
 
 
 
ザフト本部からほど近いカフェ。
同僚の妻でありシホの友人でもあるミリアリアがお気に入りのこのカフェは、コーヒーのみならず紅茶も豊富な種類が用意されている。
シホは、チャイを注文してほっと息をついた。
普段ならしないオーダーだが、今は甘くて濃厚なものが飲みたい気分だった。
 
 
考えてみれば、イザークはあの『ジュール家』の次期当主だ。
ディアッカにも同じ事が言えるが、イザークもまたプラントの中でも指折りの名家の息子なのだ。
しかも結婚適齢期。
婚姻統制は事実上『強制』ではなくなったようなものでも、当然見合いの話など絶えないだろう。
 
 
シホの両親はそこそこ著名な作曲家と声楽家だ。
シホが常人よりずば抜けた聴力を持っているのも、子供を音楽家にしたいと願った両親のコーディネイトによるものだ。
それでも、あのジュール家と比較すれば、たいした家柄ではない。
そしてシホは、両親の願いをよそに軍人になった。
 
両親の制止を振り切り目指したのは、指向性高エネルギー発振システムの開発研究技術者。
そこでMSのテストパイロットに任命されたことと、かつてナチュラルとの間に起こった戦争について自分なりに考え軍に志願した事から、今の自分がある。
両親とは、もうかなり長い期間顔を合わせていない。
期待に添えなかった娘は、彼らにとって必要ないのだろう。
 
 
「上司と部下って関係だけだったら、こんな事で悩まなくてすんだのにね…」
 
 
ぽつりと呟かれた、自嘲。
シホの目の前に、ほんわかと湯気を立てるチャイが届けられた。
 
 
 
会議開始5分前に現れたシホは、黙礼だけしてイザークの後ろに座った。
イザークはシホに声をかけようとしたが、エザリアの知り合いである議員に声をかけられ、機会を失う。
そのまま会議が始まり、イザークは不承不承前を向いて話に無理矢理集中した。
 
 
永遠とも思える会議が終わったのはそれから3時間後。
息をついて背後にいるはずのシホを振り返ったイザークは、唖然とした表情になった。
そこに、シホの姿はなかった。
 
 
 
外に出たイザークは、苛立ちを隠そうともせず乱暴に携帯の通話ボタンを押す。
程なくして、落ち着いたシホの声が通話口から聞こえて来た。
 
『ハーネンフースです。』
「シホ!お前、今どこにいる?」
『…すみません、会議の途中に呼び出しを受けたもので。先に退出させて頂きました。
今、隊長室に戻った所です。』
「呼び出し?どこからだ?」
『本部内の総務課からです。ディアッカの提出した報告書に不備があったようで。
至急確認を、との事でした。』
「ディアッカが?…珍しいな。」
『休暇前の慌ただしい中作成したものですから。きっと疲れもたまっていたのでしょう。』
 
いつもよりも無機質なシホの声。
イザークの心に不安が忍び寄る。
 
「シホ、今から戻る。そこで待っていろ。」
シホは無言になった。
「おい、シホ…?」
『先程言付かったお見合い写真、早速届いていました。デスクの上に置いておきますね。
…今日は送って頂かなくて大丈夫です。それでは。』
「シホ、待て…」
そのまま通話は切られ、イザークは途方に暮れて立ちつくした。
 
 
 
 
「ディアッカに会ったら、謝らなくちゃ…」
久しぶりに一人で部屋に向かいながらーーあの事件以来、余程の事がない限りイザークはシホを部屋まで送り届けていたーーシホは思わずそう呟いていた。
 
先程イザークに言った事は、全部嘘だった。
休暇をもぎ取る為に奮闘していたディアッカだったが、仕事は常に完璧だ。
書類のミスなど、今まで一度も聞いた事がない。
 
会議中、イザークの後ろ姿を見つめていたシホは、次第に耐えられなくなり思わず部屋を出てしまったのだ。
お見合いの話、家柄の違い。
考えれば考えるほどどんどん胸が苦しくなり、シホはそのまま本部に一人で戻った。
そして隊長室に辿り着いた時、エザリアからイザークに宛てられた包みがちょうど届いたのだった。
 
 
イザークの言葉を信じられないわけではない。
シホももちろんイザークが好きだ。
でも、今感じている胸の苦しさがなんなのかが分からない。
シホは深い溜息をついた。
 
この角を曲がれば、自室に辿り着く。
シホは疲れていた。
何も考えず、シャワーを浴びて眠りたい。
そう思いながら顔を上げると。
 
 
 
部屋のドアの前に、腕を組みながらこちらを見つめるイザークの姿があった。
 
 
 
 
 
 
 
007

シホの背景(というか設定?)に少し触れてみました。

 

 

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