薔薇の刻印 1

 

 

 

 
「…疲れているようだな、シホ」
 
ぼんやりしていたシホはその声にはっと顔を上げる。
「あ、いえ。大丈夫です。」
「ディアッカが休暇を取っている分、お前にかかる負担が多かったからな。すまない。」
「ほんとに大丈夫ですから。気になさらないで下さい!」
ぶんぶんと首を振るシホ。
あの事件以来下ろされたままの長い黒髪がさらさらと揺れた。
 
 
「あ、あの、送って頂いてありがとうございました。ではこれで…きゃ!」
「おい、大丈夫か?」
 
 
ザフトの独身寮でもあるシホの部屋の前につき、勢いよくぺこりと頭を下げたシホの髪がイザークの軍服のボタンに絡まってしまったのだ。
「いたた…」
「こら、動くな!今取ってやるから…」
イザークの指が、ボタンに絡まったシホの髪に触れる。
「すみません…お手数おかけします…」
恥ずかしそうに俯くシホの姿に思わずくすりと笑みを零し、イザークは絡まってしまった柔らかい髪をボタンから外す事に意識を集中させた。
 
 
 
「ほら、取れたぞ」
 
数分後、無事シホの髪は解かれた。
「あ、ありがとうございます…。」
「切れていなければいいが…。少し跡がついてしまったな」
「すぐ取れますから…ほんとに、大丈夫です」
意外なほど細かい所まで気にしてくれるのね…。
くすぐったい気持ちになり、シホはイザークを見上げた。
同じタイミングで、イザークのアイスブルーの瞳がシホを捕らえ。
 
 
そのまま落ちて来たイザークの唇を、シホは少しだけ体を固くして受け止めた。
 
 
 
 

翌朝、ドレッサーの前でシホは溜息をついていた。
手にしているのは、いつも髪をまとめていた髪留め。
事件の際、犯人に襲われた場所で落としたものを助けに来たミリアリアが見つけ、イザークに託してくれたのだ。
しかし、シホはどうしてもその髪飾りを付ける事が出来なかった。
怖かったのだ。
 
 
手首に食い込んだ縄。
無遠慮に体中を弄るあいつらの手。
爪を立てて掴まれ、傷をつけられた胸。
衣類を剥ぎ取られて行く時の絶望感。
 
 
この髪留めを見れば、あの時の事が鮮明に脳裏に蘇ってくる。
シホはふるりと震えると、乱暴な手つきで髪飾りをチェストに放り込み、勢い良く閉めた。
 
外面はいつも通りに見えても、シホが負った心の傷はそう簡単に消えるものではなかった。
 
 
 
 
「おはようございます…」
 
ノックをしても返事がなかったので、シホはそっと隊長室のドアを開けた。
イザークの姿はない。
今朝、何か予定が入ってたかしら?
珍しく遅い出勤にシホは首を傾げたが、気を取り直すと備え付けのキッチンに入り、紅茶の準備を始めた。
 
 
 
「遅い…」
 
出勤予定時刻を1時間半過ぎてもイザークは現れなかった。
スケジュールを幾度となく見返したが、午前中に目立った予定はない。
何もなければいいのだけど…。
少しだけ不安になっていたシホだったが、静寂を破った電話の音に、びくりと身体を震わせた。
 
 
「はい、ジュール隊隊長室です」
『こんにちは。エザリア・ジュールだけれど。イザークはいるかしら?』
通話口から聞こえた涼しげな声に、シホは危うく受話器を取り落としそうになった。
 
隊長の、お母様!?
 
「は、はいっ!隊長は本日まだ出勤されておりません!」
『あら?そうなの?珍しいわね…。』
意外そうなエザリアの声に、シホはひどく緊張してしまった。
『何時頃の出勤か分かって?』
「いえ、その、午後には会議が入っているのでそれまでにはみえられるかと思います!」
『そう。じゃあ携帯の方に連絡してみるわ。ありがとう。』
「はいっ!」
ああ、何をこんなに力んで返事しているんだろう、私…。
軽い自己嫌悪に襲われたシホは、『ああ、そうだわ』とエザリアが続けた言葉に耳を疑った。
 
 
 
『イザークに伝えてほしいの。お見合い相手の写真を隊長室宛に送ったから目を通しておいてほしいって。』
 
 
 
ーーーお見合い?
あまりの事に返事が出来ずにいたシホに、訝しげなエザリアの声が『もしもし?』と問いかけた。
「あ…すみません。かしこまりました。必ずお伝えします。」
『ありがとう。よろしくね?』
 
通話を終えた後も、シホは受話器を持ったまましばらくその場に立ち尽くしていた。
 
 
 
 
 
 
 
007

恋人のお母さんから電話!

あちらは知らないといえども、心構えが出来ていないと緊張しますよね(笑)

 

 

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2014,8,7up