コンコン、と言うノックの音に、ぼんやりと窓から外を眺めていたユーリ・アマルフィは振り返り──目を見張った。
「…こんにちは。ご無沙汰しています」
花束を抱えてにっこりと微笑むのは、ミリアリア・エルスマンとその夫であり息子の隊友であった、ディアッカ・エルスマンだった。
「…もう、入院されて二ヶ月近く経ちますけど、お加減はいかがですか?」
「…あ、ああ。おかげさまで、この通り…」
ミリアリアの穏やかな声に、ユーリはしどろもどろになりながらもどうにか返事をした。
「アマルフィさん。その節は聴取にご協力頂き、ありがとうございました」
用意してきたらしい花瓶に手早く花を生けたディアッカの言葉に、ユーリは首を振った。
「当然のことをしたまでだ。その…君たちには本当に申し訳ないことをした、と思っている。その上君のお父上には多忙な中治療まで……」
「気にしないでください。エザリアさんも言ってました。あなたと親父は共に戦った戦友だから、と。それに…俺の戦友の大事な父親でもあります」
きっぱりとそう口にしたディアッカに、はっとユーリは下げていた視線を上げる。
「ニコルは、俺の大事な戦友で…友人、です。そのことに今も変わりはありません。それと」
紫の瞳は、どこまでも穏やかな色を湛えていた。
「妻…ミリアリアと、子供を助けて下さって、ありがとうございます」
深々と頭を下げる息子の戦友の姿に、ユーリはただ言葉を失った。
許してくれるというのか。あんなひどい真似をしたのに。
慌てて顔を上げるようディアッカに声をかけ、ユーリはミリアリアに向き直った。
「……お子さんは、順調かね?」
「はい。私もだいぶ動けるようになってきたので、是非一度お会いしてお礼を言わせて頂きたくて。…と言っても、夫に先を越されてしまいましたけど」
悪戯っぽく微笑むミリアリアはまるで少女のようで。
若い頃の妻とどこかその面影を重ねてしまい、いつしかユーリは瞳を細めていた。
ロミナはユーリの負傷と今回の事件にショックを受け、同じ病院に入院している。
それもまたタッド・エルスマンの計らいと聞き、彼には一生頭が上がらない、と思ったものだった。
とはいえ、ロミナの症状は思わしくなく、また自らの犯した罪に対する良心の呵責から、ユーリは未だロミナの元を訪れてはいなかった。
「あの、私からも言わせてください。その節は…本当にありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げる可憐な少女に、ユーリの瞳が潤んだ。
「本当に…すまなかった。許して欲しいなどとは言わない。ただ…息子の…ニコルのことだけは、どうか忘れないでやって欲しいのだ」
震える声に一瞬驚いた顔をしたディアッカが、すぐに頷いた。
「忘れることなどありません。俺も、イザークもアスランも。あいつは…俺たちの中で一番年下だったけど、努力家で、頭の回転も早くて、穏やかだけど勇気もある立派な男でした。見習わなければならないところが、あいつにはたくさんあった。今になってよくそう思います」
静かな、しかしきっぱりとした夫の言葉に、ミリアリアもまた微笑んだ。
「ニコルさんの曲…とても優しくて、素敵です。人柄が表れているんだな、って、夫の話を聞いて思いました」
「っ…なぜ…きみたちは…っ!」
ついに溢れてしまった涙を拭うこともせず、ユーリは言葉を詰まらせながら口元を手で覆った。
「私は、きみたちを陥れようとした。ジェレミーの言葉が背中を押した、などただの言い訳だ。あれは確かに、私の意思だった。私怨で、君たちの幸せを壊そうとした!それなのに…」
「……でも、たくさん迷われたんでしょう?」
柔らかな声に、ユーリは息を詰めた。
確かに、何度も迷った。
二人の幸せな様子を知るたび、どす黒く渦巻く感情の裏で常にこれでいいのか、と問いかけていた。
空に還ったニコルに。
「迷って…それで、来てくださった。私に危険が迫っていることを知らせるために。そのおかげで、私もお腹の子も、ディアッカも…こうして、ここにいます。だから私も言いたかったんです。ちゃんと自分の口で、そのお礼を」
──ニコル。父さんは間違っていたよ。
お前の仲間は……お前を見殺しになどしてはいない。
お前の死を背負って、お前の志をも背負って、前を向いて生きている彼らを憎むなど、もう父さんには出来ない。
「ディアッカくん。エルスマン夫人も……本当にすまなかった。私が、間違っていた」
「……俺も、たくさん間違えました。それでも、こいつに…妻に出会って、間違えることは罪じゃない、と教えられました。だからもう、これ以上の謝罪はいりません。ニコルも、そんなことは望んでいないと思いますから」
「っ…ディアッカくん。ひとつだけ……頼みがある」
「はい?」
目を丸くするディアッカに、ユーリは目を泳がせ……迷いを断ち切るように、こう言った。
「落ち着いてからでも、いつでも構わない。いつか妻に…ロミナに、ニコルの話をしてやってはもらえないだろうか」
15歳という若さで親元を離れ、戦場に赴いたニコルの様子を、いつも心配していた母親。
ミリアリアはぎゅっと胸が締め付けられるような切なさを感じた。
ザフトでの様子を知る術など、共に過ごした仲間から話を聞く以外無い。
だがディアッカもイザークも、墓を訪れることはあってもきっとアマルフィ家を訪ねることまではしていなかったのだろう。
「ディアッカ……」
見上げたミリアリアの表情で、言いたいことは伝わったのだろう。ディアッカが小さく微笑み、頷く。
「俺で良ければ…是非。お許しが頂けるなら今からでも奥様を見舞わせて頂きます。イザークやアスランにも伝えます。ニコルはよく…アスランと話をしていましたから」
言葉もなく涙を流しながら頷くユーリは、ナチュラルもコーディネイターも関係ない、ただの一人の父親で。
ミリアリアは腕を伸ばし、そっとユーリの背中をさすった。
***
規則的な機械音だけが響く部屋には、たくさんの管に繋がれたジェレミー・マクスウェルが眠っていた。
まっすぐな長髪は記憶のままだったが、その体は痩せ細り、いつの間にかたくさんの白髪が混じっている。
ラスティは溜息をつき、父親の枕元へと歩みを進め、その姿を黙って見下ろした。
「あの時…ひと思いに殺してやったほうが良かったのかな」
傭兵として過ごしていた中で培われた冷静さなど、あの時はすべて吹き飛んでいた。
あるのは純粋な、怒り。
初めて出来た大切な存在を守りたくて、父親に銃を向けた。
知られてはいけない、伝える必要もない想い。
だってミリアリアには、何よりもかけがえのない存在が既にいるのだから。
だがそれと、彼女を守りたい気持ちは別で。
あんな状況ですら彼女を侮辱する言葉を吐き続ける父親など、この世からいなくなればいい。確かにそう思った。
ミリアリアの言葉を聞くまでは。
『ラスティお願い、もうやめて!!!死んじゃったら、そこでおしまいなのよ?いいことも悪いことも全部!!死ぬことは罪滅ぼしになんてならない!!』
そう、死んでしまったらそこで終わりだ。いいことも悪いこともすべて。
生きて、罪を償わせること。その命をもって罪を償わせること。
どちらが正解なのか、ラスティには分からない。
少なくとも、法に則ることが正解なら、裁きを下すのは自分ではないのだろう。
『おとうさんなんでしょう?あなたの!』
あの言葉を聞くまでは、命を奪うことしか考えていなかった。
ミリアリアを執拗につけ狙い、命を狙った父を許すことなど到底出来ないと思っていた。
その命をもって償わせる。それしか頭になかったのに、あの言葉を聞いた瞬間、頭のどこかで警鐘が鳴ったのだ。
本当に、それでいいのか、と。
ミリアリアの言葉でなければ、甘い、と一言で片付けていたかもしれない。
コミュニティで出会ったあの頃から感じていたが、やはり彼女の言葉には人の心を動かす何かがある。
結局、迷いを捨て切れなかったラスティは、わざと急所を外して引き金を引いたのだった。
ふ、と呼吸が乱れ、ラスティははっとジェレミーに視線を移す。
うっすらと開かれた瞳に、気づけば息を詰め見入っていた。
「…ラス…ティ」
酸素マスク越しに発された声はくぐもっていたが、自分の名を呼んでいることだけは分かった。
「……ころしに、きた、のか」
濁った視線を真っ直ぐ受け止め、ラスティは肩を竦めた。
「ミリアリアにあんなこと言われなきゃ、あの時そうしてただろうな」
「ナ…チュラ、ルの…小娘…」
「そうだ。あんたはナチュラルの小娘に命を助けられたんだよ」
ぎり、と悔しげに口元を歪めたジェレミーを見下ろしたまま、ラスティは首を傾げ、問いかけた。
「殺してほしい?父さん」
いつの間にか、ラスティの手には小型の銃があった。
ジェレミーの濁った瞳が、僅かに見開かれる。
そこに浮かぶのは、確かに恐怖の色、だった。
だが、長年治療すら満足にしていなかった体は言うことを聞かないのだろう。
ジェレミーはただ黙って、縋るような視線をラスティに向ける。
「財産も地位も全て投げ打って、復讐のために命を削って。なのに俺はちゃっかり生きてて、父さんの大嫌いなナチュラルに肩入れしてて。これ以上の不幸ってある?しかも殺そうとしたやつの身内のお情けでこんな治療までされちゃって。かつての栄光なんて見る影もないね。ジェレミー・マクスウェル最高評議会議員殿?」
うっすらと微笑み、煽りにしかならない言葉を淡々と吐き出しながら、ラスティはジェレミーの頭部に銃口を突きつけた。
「こんな姿、見られたくないだろ?だから……自慢の息子が、楽にしてやるよ」
ジェレミーの呼吸が乱れ、管が繋がった腕がほんの少し、持ち上がる。
「さよなら。父さん」
少年のように微笑み、ラスティは引き金に掛けた指に力を入れた。
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念願であったユーリの元を訪れ、言葉を交わすディアッカとミリアリア。
ディアッカが語ったニコルへの想いを改めて聞き、ユーリは何を思ったのでしょう。
一方父の元へ向かったラスティは……