浮かぶ笑顔、還る場所 3

 

 

 
「ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末様でした。よく食べたわね、リアン。ケーキはお風呂の後にする?」
不安を拭いきれてはいないだろうに、出された食事をしっかりと完食したリアンは目を丸くしてミリアリアを見上げた。
「え?たべないよ?」
その言葉に、今度はミリアリアが驚く番だった。
「食べないって…あんなに楽しみにしてたじゃない。とうさんの分はちゃんと取っておくから」
「とうさんとたべるってやくそくしたから。かあさんとさんにんでくおうな、ってやくそくしたから、おれ、まだたべないよ。…じゃ、おふろいってくる」
「…そう。わかったわ。あ、一人で入るなら、大きいバスタブはダメだからね!」
「はーい」
ぱたん、と扉の閉まる音が聞こえ──ミリアリアはその場にしゃがみ込み両手で顔を覆った。
 
 
***
 
 
──いつも思っていた。この門の先には面白いものなんて何もない。荒れ果てた庭とカビ臭い蔵書、僅かに残された母の私物。そんなものに囲まれてどう過ごせってんだ?
父の言っていた通り、確かに居心地自体は良く、掃除は行き届いていた。ただし、書庫以外は。
おかげで、唯一と言っていい娯楽である読書にも気が向かない。母の私物は今や遺品と名前が変わってしまったが、それをただ眺めたところで何の感情も湧かない。
だからディアッカは、アプリリウスの別邸が大嫌いだった。
 
それがいつの間にか一番帰りたい場所になったのは、世界で一番大切な宝物がそこにあるからだ。
ミリアリアとリアン。何者にも代えがたい大切な妻と息子。
目を閉じればすぐにでも浮かんでくる、二人の笑顔。笑い声。ミリアリアがリアンを叱る声や、リアンが泣きながら自分のところへ駆け込んでくる時の足音までもが鮮明に思い出せる。
 
『とうさんのケーキはどうしていつもまっくろなの?』
『ああ、これはチョコレートだ。お前にはまだちょっと早いけど、一口くらいは許容範囲かもな。何ならミリィに内緒で一口交換するか』
『こうかん…する!そしたらクリスマスイブのときにしようよ!』
『よっしゃ、とうさんとおまえだけの約束な?』
『うん!!』
 
ああ、今日はクリスマスイブだったっけ。ミリィはきっとたくさんの料理を作って俺の帰りを待ってるだろう。最近白菜を克服したリアンにはポトフを作るとか言ってたっけ。
ケーキは二種類。おれの好物のチョコレートチーズケーキに、リアンの好きないちごのショートケーキ。
リアンはチョコレートチーズケーキに興味津々で、こっそり一口くれてやる約束までしちまった。おれって実は親バカかも。
この日のために買い置きしておいたから、とクリスタルマウンテンの袋を手ににっこりと笑うミリアリアは、最近ますます綺麗になってきた気がする。
 
 
──ああ、帰んなきゃ。ミリィとリアンが待ってるあの家に、帰らないと。
 
 
「…ッカ?ディアッカ!!隊長、意識が戻りました!」
シホが泣きそうな声でイザークを呼ぶ声がする。滅多に泣くような女じゃないのに、どうしたんだ?
「ディアッカ!俺が分かるか?!」
視界いっぱいに広がったのは、ビスクドールの顔負けの端正な顔と綺麗すぎる銀髪。アイスブルーの瞳。
「…なんて顔してんだよ、イザーク」
イザークは特大の溜息をつきながらしゃがみ込み、シホもまた目を潤ませながらハンカチで顔を覆った。
「この…馬鹿者が。シンがいなければどうなっていたか…」
「……っ、イザーク、テロは?!」
「安心していいわ、しっかり鎮圧したから。事情聴取はシンに任せてる。どうやら…狙いのひとつはあなただったらしいから」
「あいつは現場に居合わせた上、お前の救助にも携わった。話も早かろう」
「そう、か…」
ディアッカはほぅ、と息を吐いた。シンには後日、きちんと礼を言わなければ。それともミリィに頼んでまた自宅で食事でも──。
「ちょっと、何してるのディアッカ!」
がばりと起き上がったディアッカに、シホが驚愕の声を上げた。
ディアッカは背中に走る痛みに顔を引きつらせながら、腕にはめられたままの時計に目をやる。
「シホ。ミリィから連絡は?」
「…無いわ。でも任務の前にあなたから連絡はしてあるんでしょう?」
ミリアリアは聡い女だ。今回のテロが反ナチュラル派によるものであること、そしてディアッカがなぜ律儀に『絶対に外へは出るな』と念を押したかもきっと理解している。
だからじっと待ってくれているのだ。自分の帰りを、リアンと一緒に。
 
「…二人とも悪い。俺、帰るわ。頭の裂傷と打撲だろ?入院するまでも無い」
 
イザークとシホが息を飲んだ。
「馬鹿を言うな!防弾チョッキを着用してたとは言え被弾したんだ。一晩安静に、と医師から指示が出ているんだぞ」
「それでも。帰らなきゃいけねーんだよ。ミリィとリアンが待ってんだから」
ミリアリアは多分、この怪我について知っている。報道のカメラがあったことに気づいてはいた。遠巻きにザフト軍とテロリストの攻防を中継していたのなら、きっと自分が被弾するシーンも映像として流れただろう。
それでもミリアリアは動かなかった。動かないでいてくれた。それは夫の帰りを信じてくれているからにほかならない。
それでも、どれほどの心配をかけたかと思うと背中の傷以上に胸が痛んだ。
「…ドクターを呼ぶわ。せめて痛み止めの注射を打ってもらって、必要なら薬も用意してもらう。そのくらい譲歩したっていいでしょう、ディアッカ」
「…ああ。最速で頼む」
神妙な顔で頷くディアッカに、シホはまだ涙の残る瞳を細めて微笑み、ナースコールを押した。
 
 
***
 
 
「リアン、そろそろお部屋に行きましょ。眠いんでしょ」
「ん…でも、とうさん…」
「さっきテレビで観たでしょう?多分今頃すごく忙しいのよ。ケーキは明日でも食べられるし、夜更かしはダメってとうさんもよく言ってるじゃない」
 
そろそろ日付が変わろうと言う時間。普段ならすっかり夢の中にいるリアンはディアッカの帰りを待つと言って聞かず、リビングでうつらうつらしていた。
リアンが浴室に行っている間にテレビで確認したが、あれからほどなくしてテロはザフト軍によって鎮圧された。イザークやシホからは特に連絡も来ていない。もしもディアッカが意識が戻らないレベルの怪我をしていたなら、きっと何かしらの連絡があるはずだ。
それに、あの時確かにディアッカは防弾チョッキを着用していた。
だから大丈夫。ディアッカから何の連絡がないのも、後処理で忙しいからだ。
いつ、何があるかわからない。
結婚する時、ミリアリアはそれを分かった上で軍人の妻になる覚悟を決めた。だからこのくらいでめそめそしたり、ましてやリアンの事を疎かにする訳にはいかないのだ。
「明日目が覚める頃には、きっととうさんも帰って来てるわ。だから…」
「──っ、とうさんだ!!」
「え?ちょ、リアン?!」
それまでぼんやりしていたのが嘘のように走り出すリアンにミリアリアは目を丸くした。
今、リアンはなんて言った?とうさん?だって玄関には鍵もかかってるし、そもそもディアッカは──。
「とうさん!」
部屋の外から聞こえてきた息子の言葉が信じられなくて、ミリアリアは慌ててリアンを追って駆け出した。
 
「リアン?ねぇ、リア…」
「──ただいま、ミリィ」
 
エントランスに立っていたのは、見慣れた黒服に珍しく軍帽を被り、柔らかな笑顔を浮かべるディアッカだった。
「ど…して…?任務は…」
「とうさん!おかえりなさいとうさん!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるリアンと視線の高さを合わせる為にしゃがみ込むと、ディアッカはぐしゃぐしゃと息子の頭を撫でた。
「ん、ただいまリアン。まだ起きてたのか?」
「だって…だって、とうさんがっ…」
「リアン?」
不意に涙声になったリアンにディアッカは目を丸くし、驚きに呆けていたミリアリアも慌ててそばに駆け寄った。
 
「テレビにっ…とうさんがいて、しんじゃうかも、て、ひぐっ、おれ」
「…リアン」
「やくそくっ、ケーキ…こわくて、おれ…うわああああん」
 
盛大に泣き出したリアンをディアッカはぎゅっと抱き締めた。
父親が被弾する様を目の当たりにして、不安にならないはずがない。それでもリアンが努めて明るく振舞っていたのは、同じものを目にした母親であるミリアリアを気遣っての事だったのだろう。
なまだ三歳の小さな子どもにこんな気を遣わせて、本当の意味での安心感を与えてやれなかった。
情けなさに唇を噛み締めるミリアリアの考えていることなどお見通しなのだろう。しゃくり上げるリアンを宥めていたディアッカがその様子に気づき、困ったように微笑んだ。
 
「心配かけてごめんな、リアン。あと、ありがとな、ミリィ」
「…え?」
「何よりさ、俺を信じて待っててくれただろ?どこにもいかない、いなくならない、って」
 
それは折に触れてディアッカが口にしてくれた、ミリアリアにとって魔法のような言葉。
「……当たり前じゃない。だってあなたは約束を破らないって知ってるもの。…でも、リアンに気を遣わせちゃったわ。おかあさんなのに」
「それは違うと思うぜ?リアンはミリィを守ろうとしてくれてたんだ。そうだよな、リアン?」
泣きじゃくりながらもこくこくと頷くリアンが愛しくて、そして大好きな夫が帰ってきてくれた事が嬉しくて。
「…リアン、ありがとう」
ミリアリアはリアンの背後にしゃがみ込み、そっと小さな体を抱き締める。
そして目の前で微笑むディアッカにそっと触れるだけのキスを贈り、花のように微笑み囁いた。
 
「おかえりなさい、ディアッカ。メリー・クリスマス」

 

 

ど、どうにか完結いたしました…!
大遅刻のクリスマス小噺、いかがでしたでしょうか?
三歳で自分のことを「おれ」って言っちゃうリアンくんがめちゃめちゃ可愛くてry
それなりに満身創痍で帰宅したディアッカですが、痛み止めの力は偉大という事で…細かい点はお目こぼし頂けるとありがたいです;;
このあとリアンを寝かしつけてから、多分ミリアリアは泣いちゃうと思います。息子の前で涙は見せたくないから。
そしてそして、無理のない範囲で(ここ重要)甘い聖夜を過ごすわけです。いつか裏ページに書けたらいいな♡
で、天使の翼の最終話で発覚した二人目の妊娠ですが、宿ったのはこの日と私の中では決まっています。
そんな感じで最終話につながるお話を今回は書いてみましたが、一人でも多くの方に楽しんで頂ければ幸いです。
最後になりますが、今年もディアミリ頑張って書いていきます!
どうぞよろしくお願いいたします!

 

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2020,1,11up