プロローグ

 

 

 

 
「ねっむ…」
 
ふあ、とあくびを漏らし、ディアッカはスタジオの施錠を確認すると、自宅に向かって歩き出した。
今にも降り出しそうな空模様なのは、こんな深夜でもよくわかる。
空気が湿っているからだ。
なんとか降り出す前に帰りつければいい──そんな小さな願いは見事に届かず、歩き出して数分でぽつぽつと空から水滴が落ちてくる。
「んだよ、走れってか…」
急病で休んだバイト仲間の代わりにほぼ一昼夜スタジオに詰めていた体に、走る体力など残っていない。
あっという間にざあざあと降り出した雨に打たれ、Tシャツとジーンズがどんどん重くなっていく。
角を曲がれば、五分とかからずアパートだ。
諦めの境地なままはぁ、とため息をついたディアッカの目に奇妙な光景が映った。
 
 
「……女?」
 
 
そこには、さらに激しさを増す雨に打たれながらぼんやりと立っている女がいた。
まさか、ユーレイとか?
ディアッカはオカルトに興味もなければ信じてもいなかったが、こんな深夜にノースリーブのワンピースの女がびしょ濡れで道に立っていれば、そんな風に思ってしまうのも無理はないだろう。
と、女のシルエットがふらり、と揺れ、車道に飛び出す。
 
「なっ…!」
 
真夜中とはいえそれなりに交通量のある道だ。
たちまち大きなクラクションが深夜の街に響き渡る。
「気をつけろ!馬鹿野郎!!」
口汚ないドライバーの声とエンジン音が遠ざかる中、咄嗟に駆け寄ったディアッカの腕の中には、ぼんやりと虚空を見つめる女の体があった。
 
 
 
***
 
 
 
「ほら、タオル」
 
ぽふ、と押し付けられたバスタオルを、女は玄関に立ったまま受け取った。
「……あのさ、とりあえず上がったら?」
ディアッカの声に女はゆっくりと顔を上げ──こくりと頷き、体を拭き始めた。
アクアマリンのような色の、綺麗な瞳。
その色にどこか見覚えがある気がしたが、まずは自分自身も着替えねば風邪をひいてしまう。
「ちょっと待ってて」
女に声を掛け、クローゼットから適当に見繕ったカットソーとショートパンツを取り出す。
華奢な女にはサイズが大きいだろうが、まぁしょうがないだろう。
着替えを手に戻ると、女はバスタオルを抱えぼんやりと俯いていた。
 
「まだそんなとこにいたのかよ」
「…あ、あの…」
「シャワーこっち。あとその洗濯機、乾燥まで出来るから、ついでに脱いだ服洗って乾かせば?」
 
ぐい、と細い手首を引き、半ば強引にバスルームに押し込む。
「俺眠いし、何もしねぇから、どーぞごゆっくり」
濡れた髪をかきあげて気怠げに微笑み、ディアッカはパタンとドアを閉めた。
 
 
「……何やってんだろ、俺」
 
 
手早く体を拭いてラフな部屋着に着替え、もう一度髪をゴシゴシとタオルで拭ってベッドに倒れ込む。
目を閉じると、途方にくれた表情と綺麗な碧い瞳が脳裏をよぎった。
アクアマリン…ブルートパーズ?エメラルドとはちょっと違うよな……。
どこで見たんだろう?やはり見覚えがある気がする。
それにしても、パーソナルスペースに他人を入れないのが信条な自分が、なぜ彼女に限っては着替えやシャワーまで提供なんてしているんだろう。
ぼんやりとそんなことを考えたまま、いつのまにかディアッカは眠りに落ちていた。
 
 
 
***
 
 
 
ふわり、と舞うカーテンに、ディアッカはうっすらと目を開けた。
昨夜の雨が嘘のように、外は晴れわたっている。
「──あ」
そういえば、彼女はどうしただろう?
迂闊にも寝込んでしまった自分に内心舌打ちしながらディアッカはベッドから飛び起き、リビングへと向かった。
 
「……いない?」
 
リビングにもバスルームにも人の気配はなく、ディアッカは一瞬あれは夢だったのだろうか?と首を捻った。
キッチンに目をやると、出した覚えのない皿が置かれている。
慌てて駆け寄ると、そこに卵のサンドウィッチと簡単なサラダが鎮座していた。
皿の下にあったメモに気づき、そっと手に取る。
 
 
『昨夜はありがとうございました。服も乾いたので帰ります。借りた服は後日お返しします。風邪を引かせてしまっていたらごめんなさい。それと、昨夜のお礼です。お口に合わなかったら捨ててください。』
 
 
読みやすい字で書かれた手紙には、差出人の名が無かった。
穴があくほどメモを凝視し、ディアッカの顔にゆっくりと笑みが広がる。
 
「とりあえず…あと一回は会える、ってことだよな。これって」
 
適当に貸した服なのに、わざわざ持ち帰ったのは洗濯か何かするためで。
きっと律儀な性格なのだろう。
卵サンドに目を落とすと、きゅる、と腹の虫が鳴く。
「あり合わせで作ったにしちゃ…うまそーじゃん」
コーヒーを用意すべくケトルの電源を入れると、ディアッカは皿にかかっていたラップを外し、ぱくりとサンドウィッチを頬張る。
 
「……うめぇ」
 
雨に濡れた奇妙な女とディアッカの出会いは、ここから始まった──。

 

 

 

 

 

 

 

c1

 

 

 

やっとお届けできた、バレエパラレルのプロローグです!
この時点でなかなかに長くなりそうな予感…w
まだ二人は互いの素性も名前も知りません。
正しくはそうでもないんですが、それについては追々明らかになっていく予定です。
初パラレルでお見苦しい点もあるかと思いますが、気長に楽しんでいただければ幸いです!

 

 

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2016,9,23up