忘れていたこと 1

 

 

 

 
ディアッカが重い瞼を開けた時、隣にいるはずのミリアリアの姿がなかった。
しばらくぼんやりとした後、はっと起き上がりキョロキョロと辺りを見渡す。
ゆっくりと回転を始めた脳内に昨夜の記憶がよみがえり、ディアッカは深い溜息をついた。
 
 
昨夜、ミリアリアと喧嘩をした。
どちらも言い分を曲げることなく、話し合うこと小一時間。
先に立ち上がったのは、ミリアリアだった。
 
「ほんっとに強情よね!もういいわ、私、今日はシホさんのところに泊まるから!」
「はぁ?何逃げてんだよ。」
「逃げる?馬鹿にしないでよね!呆れてるのよ!一緒にいたくないくらいね!」
「…っ、あっそ。好きにすれば?シホの都合も聞かないで、お前こそずいぶん勝手だよな?」
「ここにいるよりマシよ!シホさんがダメでも、泊まるところくらい自分で探すわ!」
 
鼻息荒くそう言い切って家を出ていくミリアリアを、ディアッカはあえて止めなかった。
強情なのはどっちだよ。こっちの気も知らねぇで。
ちっ、と舌打ちをして、ディアッカは軍服のポケットに入れっぱなしだった携帯に手を伸ばした。
 
 
 
「あら、おはようディアッカ。早いのね。」
紅茶の香りが漂うジュール隊隊長室のドアを開けると、そこにはティーポットを持ったシホが立っていた。
「…ああ。おはよう。」
不機嫌全開、と「いった表情のディアッカに一瞥をくれ、シホは黙って作業に戻った。
昨夜のミリアリアとの喧嘩について、知っているはずなのに何も触れてこないのが逆にディアッカの苛立ちを誘う。
がさ、とやや乱暴に手にした紙袋を机に置き、コーヒーでも買いに行こう、と再びドアに向かったその時、背後から声がかけられた。
「紅茶で良ければ飲む?空きっ腹にコーヒーじゃ、胃に悪いでしょう。」
自分の行動が読まれていたことに顔をしかめながらディアッカは振り返りーーすとん、と自分の席に腰を下ろした。
「イザークのじゃねぇの?それ。」
「多めに煎れたから。はい、どうぞ。」
ことりと机に置かれた温かい紅茶に口をつけると、自然にほぅ、と息が漏れる。
いつもならミリアリアが朝食を用意してくれて、それを食べてから本部に向かうのが当たり前になっていたディアッカの胃袋は、持ち主の心情関係なく空腹を訴えていて。
だが、それがまた悔しくて、ディアッカはあえて自宅では水一杯も飲まず、こうしていつもより早く本部へとやってきたのだった。
 
「それ、朝ごはん?」
「え?ああ、そうだけど。」
 
ディアッカの机に置かれた紙袋は、軍本部の食堂に立ち寄って調達してきたパンが入っていた。
朝食抜きのせいで任務中に腹が鳴る、などと言う事態になっては情けなさすぎる。
「……本当に、子供みたいよね。あなたって。」
ぽつりと落とされた、やや呆れを含んだ声にディアッカはむ、と顔を上げた。
「あいつからどう聞いたかは知らねーけど、俺は間違ってないぜ。」
「じゃあミリアリアさんが間違ってるの?」
「…全部が全部、とは言わねぇよ?でもあいつはいつもああやって…」
「そうね。あなたの言いたいことはわかるわ。」
てっきりミリアリアの味方だとばかり思っていたシホの言葉に、ディアッカは虚を突かれた。
 
 
「ミリアリアさんもあなたも、お互いに傷ついてほしくない、嫌な思いをしてほしくない。要はそういうことでしょう?」
 
 
確かに、それはその通りで。
ディアッカはぐ、と顎を引き言葉を詰まらせた。
 
 
昨夜の喧嘩の原因。
それは、まさに今日ミリアリアが任務として赴く先で会談をする予定の、国防委員の発言がきっかけだった。
先の大戦時には反ナチュラル派であったその男は建前上中立派に鞍替えし、現在も政治の世界に身を置いているが、その中身は今も変わってなどいないことをディアッカは知っていた。
ナチュラルであるミリアリアとの婚約、結婚はプラントで大きく報道され、当然その男も知るところとなっていた。
軍人という職業柄、国防委員と顔を合わせることの多いディアッカは、その男に会うたびチクチクとミリアリアについて嫌味を言われ続けていたのだ。
慇懃無礼な口調でナチュラルを見下す男に、何度拳を見舞おうと思ったか分からない。
だが、ミリアリアとて別の場所でこうした事態に何度も遭遇しているはずで。
きっと心を痛めながらも、静かに耐えているのだろう、と思うと、自分だけむやみな真似もできず、適当に相手をしつつじっと耐えることしか出来ずにいたのだった。
そんな男とミリアリアが直接顔を合わす、と聞いたディアッカは、仕事に口を出されることを何より嫌がるのを承知で苦言を呈した。
そして予想通りミリアリアはディアッカの苦言に反発しーー最終的に家を出て行ってしまったのだった。
 
「あなたに大切に想われていること、ちゃんとミリアリアさんは分かってるわ。私もね。じゃなきゃ、あんな時間に連絡なんて寄越さないでしょう?」
 
昨夜、ミリアリアが出て行ってしまった後、ディアッカはすぐさまシホに連絡をした。
シホは面倒見もよく優しい女だ。
きっとミリアリアはシホのところで無事夜を明かせたのだろう。
「でもね、ミリアリアさんだってあなたのことを同じくらい大切に想ってる。分かってるわよね?」
「…当たり前だろ。」
「でもひとつ、あなたは忘れていることがあるわ。」
「は?」
 
忘れていること?ミリアリアのことを、この俺が?
 
心外だ、といった顔をするディアッカに、シホはずい、とバッグを差し出した。
「昔よく言ってたわよね。俺の好きになった女は意地っ張りで負けず嫌いだって。…正直、想像以上だったわ。」
「へ?」
突きつけられたバッグを反射的に受け取りながら、シホの言葉の意味が今ひとつ分からずディアッカは間抜けな声を上げた。
「分からなければ、後でサイさんにでも聞けばいいわ。それとこれ。ミリアリアさんからよ。こっちはさすがにわかるでしょう?」
ディアッカはバッグを覗き込み、思わず目を見開いた。
 
 
そこには、きれいに並べられたサンドウィッチが入っていた。
 
 
「どうせ朝ごはんも食べないで出勤してくるだろうから、って。…ミリアリアさんの方が大人ね。早起きして一生懸命作ってたわよ。」
「………うるせーよ」
「ああ、だったら返して。いらないようだったら私がもらっていいって言われてるの。」
「やるか!これは俺んだ!」
 
あんなに怒って、出て行ったくせに。
一日やそこら朝食を抜いたところで、どうってことないのに。
意地っ張りだけど、同じくらい優しいミリアリア。
ディアッカの胸に、ミリアリアへの愛しさがこみ上げた。
 
「だったらさっさと食べて。隊長が来たら叱られるわよ。」
「…サンキュ、シホ。」
 
小さく礼を言うと、シホはつん、と澄ました顔で奥の簡易キッチンへと消えていった。
ディアッカは早速サンドウィッチを取り出し、思い切りかぶりつく。
「…うめぇ」
心だけでなく、胃袋もがっちり掴まれてんな、俺。
ディアッカはそう実感し、満足げにひとり、笑った。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 

だいぶお待たせしてしまった15000hit御礼小噺の更新です。
結婚後しばらくして落ち着いた二人のある一日が舞台。
なんだかんだ言っても、ディアッカはやっぱりミリィのご飯が大好きなのです(笑)

 

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2016,1,8up