ボルテールは、いわゆる大人の雰囲気を売りにした、小洒落たバーだ。
稀にタイプの違う客がふらりと訪れる事もあるが、それでもこのバーのバーテンダー達はとても上手にそう言った客の相手をし、周囲が不快にならないよううまくあしらっている、とミリアリアは思う。
それでも、やはり訪れる客は千差万別。
彼らの手腕を持ってしても、フォローしきれない事態もある訳で。
まさにその“フォローしきれない事態”に、現在ミリアリアとフレイ、そしてサイは立ち合う羽目になっていた。
「お客様、少しペースを落とされては?よろしければペリエかミネラルウォーターをご用意致しますよ?」
「いいの!次はミスティアロワイヤルをちょうだい。」
「…かしこまりました」
営業用の笑顔を浮かべつつも僅かに困惑の表情を見せたディアッカがさりげなく近くに立つハイネと目を見交わし、カクテルの材料を用意する為にその場を離れる。
それを見送ったハイネが笑顔でディアッカに代わり女性客に話しかけるも、「私は彼と話がしたいの!悪いけど他へ行ってくれない?」と怒り口調で撥ね付けられるのを眺めながら、ミリアリア達はソファ席で思わず目を見交わし、誰とも無く溜息をついた。
「ねぇ、あれってもう営業妨害の域じゃない?エルスマンさん困ってるじゃない!」
ひそひそ声で怒りまじりにそう口にするフレイに、ミリアリアとサイは困ったように苦笑するしか無かった。
「うーん…まぁ、ここへ来た時点でかなり酔っぱらってるっぽかったもんな、あの女性。」
「だからって!訳分かんない愚痴を大声で言ってみたり、常連客を威嚇してみたり、みっともないったらありゃしない!そう思わない?ミリィ!挙句、エルスマンさんに色目まで使ってさ!何なのあの女!?」
「う、うん、まぁ…そうね。」
フレイの剣幕にたじたじとなりながらも何とかそう返事をしたミリアリアだったが、やはり内心ではもやもやとしていた。
あれが彼の仕事、と言ってしまえばそれまでだが、カクテルを差し出す大きな手を握って離さなかったり、恋人の有無をしつこく問いただしたり、挙げ句の果てにだったら私と一回寝てみましょうよ、なんてあからさまに誘いをかけられているのを目の当たりにしたら、例え仕事中とは言え“恋人”としては穏やかではいられない。
……残念だけど、今日は帰った方がいいのかな。
ミリアリアが一部始終を目撃しているのは当然ディアッカも理解している事で、だからこそ余計な気を使わせてしまうかもしれない。
仕事の邪魔をしたくはないし、万が一にも彼があの女性の誘いに乗るはずは無い、と分かってはいるつもりだけれどーー。
ディアッカの心を縛る事はしたくない、だから、彼のしたいようにすればいい、と常々口にしているくせに、どこかカウンターでのやり取りを気にしてしまう自分にミリアリアは本日何度目かの溜息をついた。
彼女のせいでバーの空気全体も微妙な感じだし、静観しているシホとイザークも何だか雰囲気がぴりぴりしている、気がする。
そして目の前には、きつい視線をカウンターに送り続けるフレイと、そんな彼女を苦笑まじりに宥めるサイ。
やっぱり、今日は帰ろう。
そう決意したミリアリアが目の前の二人にそれを告げようとした瞬間。
「おい、何やってんだよ」
怒気をはらんだ男性の声が店内に響き渡った。
思わずミリアリアが声をした方を振り返ると、そこには派手な色のシャツと細身のスーツに身を包んだ、いわゆる“ホスト”風な男性が、ディアッカと彼に絡む女性に向かって剣呑な視線を向けていた。
………何これ、どういうこと?
一気に張り詰めた空気を感じ取ったミリアリアがカウンター内に視線を巡らせると、奥でグラスを磨いていたハイネが目を僅かに見開きその光景を見ている事に気がついた。
「なによ、今更迎えに来たわけぇ?残念でした、私今日はこのヒトと帰るから!」
「っ…はぁ?!」
カウンター越しにディアッカの腕をしっかりと掴んだ女性の言葉に、今現れたばかりの男性がにわかに殺気立つ。
当のディアッカは目を丸くして、唐突な女性の宣言に言葉を失っているようだった。
サイが小声で呟く。
「…ちょっと、まずいんじゃない?コレ。」
「うん…でも、ジュールさん達の判断に任せるしかないわよね。私達はただの客だもの。て言うか…今日はもう他で飲み直そう?」
「えぇ?!ミリィ、気にならないの?」
眉を顰めたフレイに、ミリアリアは苦笑まじりの笑みを向けた。
「気にしてもしょうがないもの。それより、私がここにいる事で彼が自分の仕事に集中出来なくなるかもしれないじゃない?そっちのが気になるわ。」
「でも!エルスマンさんだって…」
「…とりあえず会計しちゃおうか。ね、フレイも支度して?」
ディアッカの性格をよく分かっているサイには、ミリアリアの言いたい事が伝わったのだろう。シホに向かい小さく手を挙げ、伝票を受け取る。
シホが素早く会計処理をしている間も、男性はディアッカと女性に詰め寄り続けていて。
女性もヒートアップして来たのか、辺りを憚らぬ罵り合いに発展して行く様子を横目で見ながら、ミリアリアはふと不安になった。
ホスト風の男性は、何だか口より手が出そうなタイプだ。
ディアッカの腕っぷしの程は知らないけれど、接客業である以上、手を出されてもやり返す事など出来ないだろう。
…ディアッカ、殴られたり、しないわよね?まさか。
「ミリィ、会計終わったよ。」
サイに促され、はっと顔を上げるとカウンターにいるディアッカと目が合った。
紫の瞳が、心配そうな光を湛えてミリアリアを捕らえる。
自分はいま、どんな顔をしているのだろうか。
目の前の事態だけでも大変なはずなのに、ディアッカにそんな顔をさせてしまった自分が情けなくて、ミリアリアは思わず目を逸らした。
成り行きを慎重に見守るイザークとシホに黙礼を送り、件の男女の脇をさっとすり抜けようとした、その時。
「ーー出口までお送りします。」
きっぱりとそう口にしたディアッカに、ミリアリアは俯いたまま唇を噛み締めた。
馬鹿!どうしてこのタイミングでそんな事言うのよ!!
気を使わせてしまったのも確かだけれど…でも今は、目の前で起きている事態を収めるのが先でしょう?
そんな罵倒の言葉が危うく口から出そうになるが、寸での所で思いとどまる。
「あ?なんだてめぇ、逃げんのかよ?」
その言葉に反応したホスト風男性が、凄みのある声でディアッカに詰め寄った。
「いえ。お客様をお送りするのも私の仕事のひとつ、ですから。」
「あぁ?」
「私はこの店のバーテンダー、ですので。カクテルを提供する事はもちろんですが、お客様との会話も仕事のひとつです。
ですので、こちらのお客様とはそれ以上の関係ではありません。今後、そうなるつもりもございません。」
ディアッカはいつもの営業用スマイルでやんわりと女性の手を自分の腕から引き離すと、男性に向かってこれまたにっこりと微笑んだ。
だが、その目は笑ってなどおらず、むしろ目の前の男性に負けず劣らずな剣呑な色を宿している。
そして、手を解かれた女性は反対にむっとした表情を浮かべた。
いわゆる“夜のお仕事”な雰囲気を醸し出している女性は確かに綺麗で。
ディアッカは彼女に対してぞんざいな態度は取らなかったが、そもそも誘いをかけた男に邪険に扱われた事自体、きっとあまり経験が無いのだろう。
そんな中、戸惑うミリアリア達の目の前で、事態はさらに悪い方向へと進んだ。
「てめぇ、馬鹿にしてんの?人の女にケチつけた挙句、何だよその目つきは?それが客に対する態度かよ!」
ディアッカの慇懃無礼な態度は、遠回しに誘いを断られた女性だけでなく、ホスト風な男性の神経をも刺激したようだった。
カウンターに近寄った男性がディアッカの胸元に手を伸ばし、ミリアリアは思わず息を詰めて体を固くし、ぎゅっと目を瞑る。
「ーーーはい、そこまで。」
不意に落ちて来た柔らかい声に、そこにいた誰もが意表を突かれた。
ミリアリアはそっと閉じていた目を開く。
いつの間にそこに立っていたのだろう。
先程までカウンターの奥でグラスを磨いていたはずの、ボルテールのもうひとりのバーテンダー。
ハイネ・ヴェステンフルスが、自分より少しだけ背の低いホスト風の男の腕を素早く捻り上げ、ディアッカに負けず劣らずの営業スマイルでにっこりと、笑った。
ハイネ登場。なんだか事情がありそうですが…?
2015,6,16up