「よいしょ…これで全部、かな?」
AA内の書庫。
膨大な量の書類を棚から引っ張り下ろして準備して来たカートに載せ、ミリアリアは額の汗を拭った。
「それにしても、このペーパーレスの時代に何なのよこれ…。」
連邦軍では資料をデータ化するより、昔ながらの紙媒体でファイリングする事を徹底していたのだろうか。
ミリアリアは溜息をつくと、ずり落ちかけていたファイルを綺麗に積み直す。
先程、ミリアリアとサイはマリュー・ラミアス艦長の指示でこれらの書類の内容を全てデータ化するように言われた。
その量、分厚いファイルにして三冊。
そして、まずは当面急ぎの案件を抱えていないミリアリアがその業務に従事する事となったのであった。
「…きゃ!」
ばちん、という音とともに突然首筋に痛みが走り、ミリアリアは悲鳴を上げた。
「いったぁ…」
首筋に手をあて、痛みに顔を顰める。
「これのせい…?」
ぱんぱんに書類が挟まったファイルは、きっと長年使い古されたものだったのだろう。
経年劣化のせいか、ミリアリアが動かした事によって金具が外れ、それがミリアリアの首筋を直撃したのだ。
「血は…出てないみたいね」
押さえていた手をそっと確認するも、そこは綺麗なもので。
だとしてもここまでじんじんと痛むと言う事は、きっと痣くらいは出来てしまうかもしれない。
「もう…ついてないなぁ」
壊れたファイルとそこに挟まっていた書類を手早く拾い集めてカートに載せると、ミリアリアは肩を落として倉庫を後にした。
「ねぇサイ。ここ、痣になってる?」
二人に与えられた作業スペースは食堂の片隅。
時間の空いたサイが分類だけでも、と顔を出してくれて、ミリアリアはそれに甘える事にした。
ファイルを分類しながらサイがミリアリアの耳の下辺りを確認すると、そこにはくっきりと赤い筋のような痣が刻まれていた。
「うわ、痛そう…」
「このファイルが急に壊れて、金具が飛んで来たのよ。これが弾け飛ぶって相当じゃない?もう、ひりひりするったら!」
ミリアリアは溜息をついた。
「結構アナログ派だもんね、連邦軍ってさ。…何か冷やすものとか取って来ようか?」
「ううん、しばらくすれば痛みも治まると思うから大丈夫。ありがと、サイ。」
気遣わしげなサイに、ミリアリアはやや情けない笑顔を向けた。
「そう?じゃあごめん、俺、そろそろブリッジに…」
「あ、うん。ありがと、わざわざ来てくれて。」
「あとで交代するからさ。じゃあ!」
急ぎ足で食堂をあとにするサイを見送り、ミリアリアはラップトップの電源を入れた。
起動音を聞きながら、飲み物を準備するため席を離れる。
食堂は人もまばらで、AAのクルーが数名と、クサナギからヘルプにやって来ているらしい整備クルーがひとつのテーブルを占拠していた。
「ったく、面倒な機体だよな、バスターだっけ?」
偶然耳に入った言葉に、ミリアリアは僅かに体を強張らせた。
ドリンクブースの真後ろにいるのは、クサナギの整備クルー。
「そもそも、元敵兵だろ?アレに乗ってるのって。なんでここのやつらはあんなガキの言う事聞いてんだろーな?」
「まぁいいじゃねぇか。ザフトを裏切ってこっちについてくれたんだしよ。」
「だったら次はこっちがまた裏切られるかもしれねぇだろ。
何てったってあいつはザフトのコーディネイターだぜ?未だにこれ見よがしに赤いパイロットスーツなんて着てよぉ…」
「自分なナチュラルとは違うんです、ってか?へっ!フラガ大尉に堕とされたくせに!優秀なコーディネイターが聞いて呆れるぜ。」
ミリアリアは紅茶の入ったカップを手にして自席に戻る。
かたかたと手が震え、ミリアリアの指を濡らした。
零してしまう前に、と急いで紅茶をテーブルに置き、ミリアリアはラップトップの画面を見つめる。
だが、のろのろとファイルに手を伸ばすも、内容は全く頭に入って来なかった。
今しがた聞こえてしまった話の内容に、心ならずも動揺していたのだ。
彼らの話題に登っていたのは、ディアッカ・エルスマン。
オーブで解放されたのに、わざわざバスターを奪取しAAを守る為に戻って来た、ザフトのコーディネイターだ。
ミリアリアと彼の間にはこの数ヶ月の間、本当に色々な事があり、彼がミリアリアにちょっかいをかけて来るのはAAのクルーならば皆知っている事だった。
最初は戸惑ってばかりいたミリアリアも気付けばディアッカのペースに嵌められ、何かと話をする事も増えて来ていた。
そしてーークルー達も知らない事実だったが、トールを想って涙する時、ミリアリアの隣には常にディアッカがいた。
何度断っても、時には手を出してまで拒否しても、ディアッカはミリアリアの側を離れようとはしなかった。
大きな手に頭を撫でられ、安心して眠ってしまう事さえあって。
トールへの想いと、ディアッカに対する形容しがたい感情は、ミリアリアの中で複雑に絡み合っていた。
人当たりの良いディアッカは、今やすっかりAAのクルー達と打ち解けていた。
戦闘になると彼はしっかりとAAを守ってくれたし、フラガやマードック達とも信頼関係を築いているようだった。
だが、やはり彼はコーディネイターで。
彼の事をよく知らない人からすると、ディアッカは敵側の人間なのだ。
共に戦うべく宇宙へとやって来たはずのクサナギのクルーが発した言葉は、ナチュラルとコーディネイターの確執の根深さを表している、とミリアリアは思い、気付けば作業の手を止めていた。
「なにぼけっとしてんの?お前。」
ぽん、と頭に手が置かれ、ミリアリアは弾けるように顔を上げる。
「あ…ディア、ッカ…」
「ん?」
そこにはモルゲンレーテのジャンバーを羽織った、金髪に紫の瞳のコーディネイター。
クサナギの整備クルー達の視線がこちらに向いている事にミリアリアは気付いていた。
「これさぁ、サイがお前んとこ持ってけって。」
どさ、とファイルを置かれ、ミリアリアははっと我に返った。
「持ってけば分かるって言ってたけど」
「う、うん。ありがとう。これのね、中身をデータ化しないといけないのよ。
サイと私が交代でやってて…」
「この量の書類を?すっげぇ気が遠くなる作業だな…」
眉を顰めてファイルを見下ろすディアッカを、ミリアリアははらはらしながら見上げていた。
すぐ近くには、ついさっきまでディアッカの悪口を言っていたクサナギの整備クルー。
何となく感じる視線が痛いのは、気のせいではないだろう。
「そう、ね。あの、あんた休憩?確かさっき一緒にお昼食べたわよね?」
彼らとディアッカを接触させたくないーー。
そう思ったミリアリアの口調は、必然的にぎこちないものとなった。
「いや?たまたま用事があってブリッジ行ったらサイに頼まれた。
なに?そんなに俺と一緒にいたいの?ランチだけじゃ足りないって?」
にやり、と笑みを浮かべるディアッカに、ミリアリアは目眩がしそうだった。
この馬鹿!こっちの気も知らないで!!
そう言いたいのをぐっと堪え、じろり、とその端整な顔を睨みつける。
「誰もそんな事言ってないでしょう。ほら、もう用事は済んだんだからさっさと格納庫戻りなさいよね!」
「はいはい、アナタ様」
ひらり、と手をふり食堂を出て行くディアッカを見送り、ミリアリアは内心ほっと胸を撫で下ろした。
そしてそっとドリンクブースに視線を送る。
クサナギの整備クルー達はちょうど休憩を終える所なのか、がたがたと椅子を鳴らして立ち上がる所で。
ミリアリアは知らずに詰めていた息をそっと吐き出した。
それから数時間、ミリアリアは一人食堂で書類のデータ化に勤しんでいた。
先程のクサナギのクルー達の言葉が頭から離れたわけではなかったが、ミリアリアがどうこう出来ることではない。
それに彼らは用が済めばクサナギに帰るはずだし、あれだけ嫌っているディアッカにわざわざ自分たちから接触する事も無いだろう。
「ミリィ、交代するよ。」
サイの明るい声に、ミリアリアは顔を上げた。
「うわ、だいぶ進んだね。さすがミリィ。いっつもレポート一番に出してたもんなぁ…」
「レポートの方が楽かもしれないわよ、これ。中身ぐちゃぐちゃだから、まとめるのに時間掛かるわ。」
くすりと微笑んでサイに席を譲ると、ミリアリアは大きく伸びをした。
「艦長が休憩していいって。部屋で休んで来たら?」
「…うん、そうしようかな。肩凝っちゃったし。じゃ、またあとでね、サイ。」
サイは、一瞬言葉に詰まったミリアリアを不思議そうな顔で見送ると、腕まくりをしてファイルを開いた。
ーーなんで、こんな所に来ちゃったんだろう。
自問自答するミリアリアが立っているのは格納庫だった。
先程耳にした言葉がどうしても頭から離れなくて、足を向けたのはバスター。
ディアッカは別の場所で作業しているのか、辺りはしんと静まり返っている。
「…で、いいか?」
ふと聞こえて来た小さな声に、ミリアリアは首を傾げた。
ディアッカの声、では無い。
そっとバスターに忍び寄り、声のした方を覗き込んだミリアリアはーー思わず目を見開いた。
バスターの左足、人間で言えば膝の辺りの関節部分に先程食堂にいたクサナギの整備クルーが二人、工具を持って取り付いている。
手には、MSの部品らしきもの。
確かあの部分には何の武装も装備されていなかったはず。
それでも、きっちりと調整を施されたMSから部品を抜き取れば、当然バランサーが狂い戦闘時に何かしらの弊害が出る。
ーーまさか…バスターに何か細工をしたの?!
「…何してるんですか、そこで。」
凛としたミリアリアの声が格納庫に響き渡り、男達はびくりと体を震わせ振り返った。
キリリク「負けないで」の前くらいにあたる時期のお話です。
プラントの評議会がそうであるように、ナチュラル側だって決して
一枚岩ではない。
はたして、彼らの狙いは…?
2015,4,21up