あなたのために 1

 

 

 

 
「脳波には異常ありません。外傷も足の擦り傷程度。あとは自然に意識が戻るのを待つだけです。」
 
 
聴診器を外す軍医の言葉に、ミリアリアは詰めていた息を吐き出した。
「良かったわね、ミリアリアさん。」
背後に立つマリューがぽん、とミリアリアの肩に手を置き、にこりと笑う。
 
「はい…あの、艦長、すみません…私の確認不足で…」
「起きてしまった事は仕方ないわ。でも…そうね、あなたはもう少しここにいてくれるかしら?」
「でも、サイが…」
「今はとりあえず戦闘も落ち着いているし、エターナルにはアスランくんとキラくんもいるわ。
あなたも少し休みなさい。ひどい顔色よ?これじゃディアッカくんが起きた時、びっくりさせてしまうわ。」
「それは…別にいいんですけど…」
 
マリューは軍医にも休憩を取るよう命じると、お願いね、と一言告げて去って行った。
ミリアリアは、目の前のベッドにすやすやと眠るコーディネイターの少年を心もとなげに見下ろした。
 
 
 
***
 
 
 
静まり返る格納庫に足を踏み入れたミリアリアが違和感に気付いて内心首を傾げた時、それは起こった。
 
 
「ミリアリア!」
 
 
どこか遠くから聞こえる、自分を呼ぶ声。
え、と思った時には、視界がぐるりと暗転していた。
両手に抱えたディスクの束が低重力の空間にふわりと散らばる。
『格納庫内の点検作業のため、整備クルーは全員退避のこと。』
シフト交代の際にちらりと目にした文章がミリアリアの脳内に蘇る。
 
ちょっと、これ、もしかしてーーー
 
 
「きゃああっ!!」
 
 
急激な重力の変化にミリアリアの体は浮かび上がり、壁に向かって飛ばされる。
元々、低重力な空間を移動することすら最近やっと慣れて来たばかりなのだ。
このような状況に、ミリアリアが反応出来る訳がなかった。
このままではひどく壁に体をぶつけるだろう。
打撲程度で済めばいいんだけど…。
どこか麻痺した頭で、ぼんやりとそんな事を考えながら来るべき衝撃に備えて体を固くする。
 
 
「ーーーっ、く…」
 
 
しかし想像していたような衝撃は訪れず、変わりにミリアリアの耳に飛び込んで来たのは何かが壁に当たった鈍い音と、息を詰め苦痛に耐えるような低い声、だった。
 
「………え?」
「坊主!大丈夫か!?おい、何やってる!重力制御を解除しろ!!」
 
マードックの怒鳴り声が格納庫に響き渡る。
事態が把握出来ないでぼんやりしていると背中にとん、と何かがぶつかって来て、ミリアリアはそちらを振り返りーー驚愕に目を見開いた。
 
 
そこには、意識を無くしぐったりと低重力の中を浮遊する、ディアッカが、いた。
 
 
 
***
 
 
 
「…馬鹿よ、あんたは」
 
ぽろりと零れた言葉は、誰からの返事も無くそのまま消えて行く。
 
 
「どうして、私みたいなのを庇うのよ。
あんたは優秀なんでしょ?その気になれば、いくらだってこんな怪我回避出来たはずなのに。
それなのにどうして、退避場所から飛び出してまで私を庇ってくれるのよ。」
 
 
感謝しなければいけないのに。
本当は、心配でたまらないのに。
ミリアリアの口からは、ディアッカに対する罵倒の言葉がぽんぽんと飛び出し続ける。
 
「別にいいじゃない。私が怪我したって。私の代わりはいるけど、あんたの代わりはいないのに。
打ち所が悪かったら、コーディネイターだって死んじゃうんだから。
そのくらい、どうして判断出来ないのよ…」
 
ぽたり、と膝に落ちた雫。
それが自分の涙だと言うことに、しばらくミリアリアは気がつかなかった。
 
「ひ…っく、う…」
 
涙が、嗚咽が止まらない。
なぜこんなにも、涙が溢れて止まらないのだろう。
不安で、今にも胸が張り裂けそうで。
気を抜けば悲鳴を上げてしまいそうで、ミリアリアはぎゅっと目を閉じ唇を噛みしめた。
 
 
 
「………また、泣いてんの?」
 
 
 
いつもよりも少しだけ掠れた声。
ミリアリアは弾かれたように顔を上げる。
瞳に溜まった涙が、その衝撃で飛び散り、軍服のスカートに染みを作った。
 
そこには、ミリアリアの心を捕らえて離さない紫の瞳。
いつ、目を覚ましたのだろう。
つい先程まで意識を失っていたはずのディアッカが、ぼんやりとした表情でミリアリアを見上げていた。
 
「っく…ひ、っく、ディアッカ…」
 
大きな手が、そっとミリアリアの頬に伸ばされ、涙を拭う。
その手つきは、いつも以上に優しくて、どこか無防備で。
ミリアリアはつい、その温かな手を両手でそっと握りしめていた。
子供のような仕草に、ディアッカの目が柔らかく細められる。
 
だが、次の瞬間ディアッカが発した言葉に、ミリアリアは凍り付いた。
 
 
「……トールのこと、思い出してた?」
 
 
ーーートール?
どうして、トールの名前が出て来るの?
 
指先がすぅっと冷たくなって行くのが、自分でも分かる。
気付けばミリアリアはディアッカの手を振り払い、がたんと勢い良く立ち上がっていた。
 
 
「…ミリアリア?」
 
 
心底不思議そうな、ディアッカの声。
目覚めたばかりの無防備な表情とその声に、ミリアリアはひどく狼狽し、思わずその場から後ずさる。
 
 
「……ちがう」
「え?」
「っ…あんた、底抜けの馬鹿よっ!!どうして…あんたなんか…ふ、ぅっ…」
「ミリ…」
「うるさいっ!!」
 
 
ぽかんとするディアッカをベッドに残し、涙を撒き散らしながらそう怒鳴りつけるとミリアリアは医務室を飛び出した。
 
 
 
***
 
 
 
「ミリィ」
 
膝を抱えて小さくうずくまるミリアリアは、その声にびく、と肩を揺らした。
「多分ここら辺にいるだろう、ってあいつが言ってた。さすがだよね。ビンゴだった。」
くすりと微笑みながら、サイはミリアリアの隣に腰をおろした。
 
 
「なんで、怒ったの?ディアッカの事。」
「…怒ってなんか…」
「トールの名前を口にしたから?」
 
 
サイの静かな声に、ミリアリアは息を飲み込んだ。
 
「…サイ…」
「確かに、今のミリィには辛かったかもしれないけどさ。あいつも、ミリィを傷つけるつもりで言ったんじゃーー」
「…う」
「え?」
「ちがう…違うの!」
 
がばりと顔を上げ、サイの腕を掴んだミリアリアの碧い瞳には、今にも零れ落ちそうな程に涙が溜まっていた。
 
 
「心配で、胸が苦しくて…私のせいで、あいつがあんなふうになっちゃうなんて、耐えられなくて!
どうしてあいつは私なんかを構って、あんな風に庇ってくれるの?一度は殺そうとしたのよ?私、あいつの事!
あいつが怪我なんてするくらいなら、私は…私は自分が怪我した方がよっぽど…!!」
「…ディアッカの事、どうしてそんなに心配するの?ミリィは。」
 
 
ひく、としゃくり上げながら、ミリアリアは思わず口元に手をやった。
 
「どうして、って…それ、は…」
 
困ったような表情で、それでもぽろぽろと涙を零し続けるミリアリアに、サイは溜息をつきながらも優しく微笑んだ。
 
「ミリィ。トールは、君がそうやって泣く事なんて望んでないと思うよ。」
「サイ!」
 
核心を突く言葉に、ミリアリアは狼狽えながらサイを見上げた。
 
 
「好きな女の子が泣いている姿を見たいと思う男なんて、いないよ。
どうして泣いているんだろう、って心配にもなるし、何とかしてあげたい、って思う。
それが自分のせいかもしれない、って思うなら、なおさらね。」
「ひっく、え…」
 
 
サイはぽんぽん、とミリアリアの頭を優しく叩いた。
いつもディアッカがしてくれるそれとは違う、でもひどく優しい感触。
そう。サイは、いつだって優しくミリアリアを見守ってくれる。
自分だってフレイの事で、きっと辛い思をたくさんしているはずなのに。
 
……それなら、同じ事を呆れる程何度もしてくれた、ディアッカは?
 
ひく、と嗚咽を漏らすミリアリアに、サイは微笑みながらもきっぱりと、告げた。
 
 
「涙の種類にも色々あると思うけどさ。うれし涙ならともかく、悲しませて泣かせたいなんてトールは絶対、思わない。」
 
 
明るくてお調子者で、友達思いだった優しいトール。
そんなトールを良く知るサイだからこそ言える、言葉。
そしてサイ自身にも同じ事が言えるであろうその言葉に、ミリアリアはただ泣きじゃくる事しか出来なかった。
それでも、何とか自分の気持ちを頭の中で整理して、言葉を紡ぐ。
 
 
「サイ…私…あの…」
「……ディアッカは、まだ医務室にいるよ。軍医は戻ってない。戦闘続きで疲れてるんだろうね。」
「…サイ?」
「いい?ミリィ。もう一度言うよ?好きな女の子が泣いている姿を見たいと思う男なんて、いない。
ましてや、悲しませて泣かせたい、なんてもっと思わない。
…それは、トールだけの話じゃ、無いよ?」
 
 
ミリアリアの頭に、心に、サイの言葉がゆっくりと染み込んで行く。
そして、ばらばらだったパズルのピースが組み合わさるように、ひとつの思いがミリアリアの中で形になった。
 
 
「……トールの事、すっかり頭から抜けてたの。」
 
 
ぽつりと零れた言葉に、サイは微かに目を見開いた。
 
「あいつの事が心配で…不安で、どうしたらいいかわからなくて、気付いたら馬鹿みたいに枕元で泣いてた。
でもあいつ、目を覚ましてすぐに言ったの。また泣いてるの?って。トールの事、思い出してた?って。
その瞬間…トールを忘れてしまうくらいあいつを心配していた事に自分でもびっくりして、そうしたらものすごい罪悪感に押しつぶされそうになって…それで、あいつを怒鳴りつけて、逃げたの。あいつは何も悪くないのに。」
 
想いを吐露する事で感情が昂ったのか、ミリアリアの瞳にまた新しい涙が浮かぶ。
そんな、純粋で真面目すぎる少女にサイは柔らかく微笑み、彼女自身が目を背けている、もうひとつの理由に触れた。
 
 
「……わかって、ほしかったんでしょ?ミリィは」
 
 
ミリアリアはしばらく俯いたままだったが、やがて小さく頷いた。
 
「じゃあ、言葉に出してちゃんと言わなくちゃ。あいつ、コーディネイターのくせに変な所察しが悪いからさ。
それにさ、ミリィ。罪悪感なんて感じる必要ないんだよ。
ミリィにとって、トール以外のみんなはどうでもいい存在なの?それって違うだろ?」
 
子供のように、ミリアリアはまたこくりと頷く。
そして、涙でぼろぼろな顔を軍服の袖で乱暴に拭うとサイを見上げた。
 
 
「…ありがとう、サイ。私、行くわ。」
「うん。」
 
 
そうしてミリアリアが踵を返して走り去るのをしっかりと見届けると、サイは立ち上がり展望室の窓から宇宙を眺めた。
 
 
「君は…もう、泣いてないよね?…フレイ」
 
 
アラスカで転属の為に艦を降りて以来、杳として消息の知れない元・婚約者。
どうか無事でいて欲しい。
もう一度君に逢う事が出来たら、その時、俺はーー。
 
目の前に映る自分の顔は、情けない程に歪んでいた。
 
 
 
 
 
 
 

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長編の合間のお茶請け?な小噺です。
全2話となります!
楽しんで頂ければ幸いです♡

 

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2014,7,20up