ごめんね、ありがとう 4

 

 

 

 
時は少し遡り。
ミリアリアは、そっと手を伸ばすと端末の上に置かれたディスクを手に取った。
時計を見れば、もう真夜中と言っていい時間帯。
熱で体は怠く、節々も痛い。
鎮痛剤の影響で腹痛は大分和らいでいたが、頭痛はまだ残っていた。
しっかり睡眠を取って、早く治さなくてはいけないのに、ミリアリアは一向に眠れないままじっとディスクを眺める。
 
 
マリューが言っていた言葉。
ディアッカが、エターナルから持って来たディスク。
だがミリアリアは既にキラに確認して、知っていたのだ。
エターナルにも、あのような古い言語を解読するソフトなどなかった、という事を。
という事は、この中身はきっと、ディアッカが作った言語解析ファイルが入っているのだろう。
エターナルから持って来た、などとすぐばれるような嘘までついて、自分では顔も出さずマリューに託してまで、ミリアリアの為にこれを用意してくれたディアッカ。
その優しさに、ミリアリアは自分がぶつけてしまった言葉を思い出し、ただ打ちひしがれた。
自分が倒れてから三日が経とうとしているが、その間ディアッカは一度もミリアリアの前に顔を出さなかった。
愛想を尽かされても無理はない、とまた思うミリアリアだったが、それでも彼の思いやりには応えなければいけない、と思った。
二度と顔も見たくないと思われていたとしても、もうあの優しい手で、頭を撫でられる事が無いとしても。
ディアッカをひどく傷つけてしまった事実は変わらないから。
このディスクの事もちゃんと御礼を言って、ひどい事を言ってしまった事も謝らなければ。
ミリアリアは怠い体を叱咤してそっと起き上がると、足元にあったブーツを履き、ディスクを手にすると点滴のスタンドを静かに引きずりながら医務室を後にした。
 
 
しん、と静まり返った艦内に、カラカラとスタンドのキャスターの音だけが響く。
深夜と言っておかしくない時間だ。ディアッカは寝ているかもしれない。
しかしミリアリアには、そこまで考える余裕が無かった。
居住区にさしかかり、ミリアリアの視線は自然とトールが生活していた部屋に釘付けになる。
 
トールのさりげない優しさは、確かにミリアリアを助けてくれた。
だが、優しさは一つではないのだ。
 
ディアッカのくれたディスクを、ミリアリアはぎゅっと胸に抱える。
 
トールの事を忘れるつもりは無いけれど、トールとは違う方法で、ディアッカはミリアリアを助け、支えてくれた。
キラやサイ、そしてマリュー達も同じ。
 
 
たくさんの人がいるように、たくさんの優しさの示し方がある。
前を向く事は大事だけど、だからって何でもひとりでやろうとしなくても、いい。
いつの間にか、自分以外の全てを拒絶しようとしていたミリアリアは、そっとトールに語りかける。
 
 
「……わたし、間違って、無いよね?トール。」
 
 
ミリアリアの脳裏に、にっこりと笑って頷くトールの姿が見えた気が、した。
 
 
 
 
「…これ。作ってくれたのあんたでしょ?違うの?」
再び発せられた問いかけに、ディアッカは寝起きでぼさぼさな頭を掻きむしり、溜息をついた。
 
──結局、返しに来たって訳かよ?!
 
「ああ、そうだけど?だってお前、俺が作ったって言ったら嫌がるだろ?」
つい、きつい口調になってしまうディアッカ。
 
「…ゃ、ない」
「あ?」
 
小さな、小さな呟き。
明後日の方向を向いていたディアッカは、ミリアリアに視線を戻し──あまりの衝撃に固まった。
「や、じゃ…ない。…め…さい。ごめん、なさい…」
ディアッカの目には、ディスクをぎゅっと胸に抱き、ぽろぽろと涙を零しながらそう口にするミリアリアの姿。
 
 
「わ、たし…あんたに、ひどい事言ったのに…優しくして、もらう…資格なんて無いのに…っ。ひどい、事…言って、八つ当たり、して…ごめんなさい…」
 
 
手にしたディスクが邪魔で、涙を拭えないのだろう。
零れ落ちるままの涙もそのままに、ミリアリアはディアッカを見上げた。
濡れた碧い瞳に捕らえられ、ディアッカの心臓が、飛び出しそうな程にどくり、と音を立てる。
 
「これ…あり、がとう…。疲れてるのに、無理して、作って…くれたんでしょう?」
「あ、いや」
「……今まで、ごめんね、ディアッカ。都合良く…甘えてばっかりで」
 
どこか寂しげな表情で、ディアッカを見上げるミリアリア。
ディアッカはなんと答えていいかわからない。
女にかける言葉なんて、星の数ほど知っている筈なのに。
いざ相手がミリアリアになると、その知識は何の役にも立たなくて。
ディアッカはただ、ミリアリアの顔をじっと見下ろしたまま突っ立っていた。
 
 
「…や、べつ、に…」
「それでも。きちんと…謝りたいの。ごめんね、ディアッカ。あんたのおかげで…たくさんの大切な事に気付いたから。だから…ありがとう。ディスクの事も、ほかにも、ね」
 
 
ミリアリアはそう言ってふわり、と笑い、踵を返した。
「あ、おい」
そういえば、今何時だ?
ディアッカは通路に設置された時計に目をやり愕然とする。
こんな夜遅くに、夜着であろう薄いワンピース一枚でここまで来たのか?こいつ!?
──熱だって、まだあるくせに!!
 
「医務室、戻るね。…もう少し良くなったら、これ使って…解析、終わらせるから。じゃあ…寝てたのにごめんね。おやすみなさい」
 
こんな誰も歩いてないような時間に、熱だってまだあるのに。
自分と話をする為に、こいつはこんなとこまで歩いて来たのか?
ディアッカの心臓が、ぎゅっと締め付けられた。
 
「待てよ」
「きゃ…」
 
ディアッカは、熱で体の弱ったミリアリアの熱い手首を掴み、引き止める。
後先の事など、何も考えていなかった。
今までぼんやりとしていた感情が、頭の中でどんどん組み上がって行く。
 
 
──守りたい。そう、守りたいんだ。
 
 
ぐい、とミリアリアを自分の方に引き寄せ、その額に手をあてると、やはりまだかなりの熱があった。
ディアッカの部屋は居住区の端にあり、医務室からは少し距離がある。
 
「…寒い?」
「え?」
「…ああもう!ちょっと部屋入れ!」
「え、ちょ、でも…」
「病人に何かする程俺は飢えてねぇよ!いいから早くしろって!」
 
ディアッカは点滴のスタンドごと、ミリアリアを半ば強引に部屋へと連れ込む。
そして、胸に抱えていたディスクを取り上げテーブルに置くと、さっきまで自分が寝ていたベッドを手早くメイキングし、そこへミリアリアを座らせた。
「寝て」
ぶっきらぼうなその言葉に、きょとん、とミリアリアはディアッカを見上げる。
 
 
「あ、の…え?」
「それだけ熱が出てりゃ寒いだろ?とりあえずここで休んでろよ。さっきまで俺が寝てたから、まだ暖かい筈だし。……嫌なら、無理にとは言わねぇけど」
 
 
ミリアリアは、温もりの残るブランケットにそっと手を這わせる。
そして、ごしごし、と夜着の袖で涙を拭うとブーツを脱いできちんと揃え、素直にベッドに横になった。
 
「…あったかい」
 
ぽつり、と呟くミリアリアに、ディアッカは呆れたような、それでいてひどく優しい視線を落とす。
だが、ミリアリアは点滴をしたままだった。
そのせいで、片手ではなかなかうまくブランケットがかけられないようで。
その事に気付いたディアッカは、そっとその小さな体を包むように自分が使っていたブランケットをかけてやる。
 
 
「今、先生に内線で連絡して、どうするか話するから。お前はそこでおとなしくしてろよ」
 
 
そう言って内線に手を伸ばすディアッカを、ミリアリアはぼんやり見つめていた。
軍医とのやり取りは数分で終わり、ディアッカはミリアリアを振り返る。
その表情は、何とも言えず複雑で。
ミリアリアは思わず、「どうしたの?」と声をかけていた。
 
「あー、その。艦長が、熱が落ち着くまでしばらくここにお前置いとけって…」
「…へ?」
 
思わず間抜けな声を出してしまうミリアリア。
 
「とりあえず今晩はその点滴で凌いで、朝になったら俺が必要なもん持ってくるから。簡単な医療行為なら俺でも出来るし、問題ないだろってさ。それに俺、ほとんど整備に出てて部屋には戻らねぇし、まぁ、なんだ。とりあえず寝とけよ」
「……あの、ひとつ聞いていい?」
「あ?」
おそるおそる告げられた言葉に、ディアッカは首を傾げた。
 
 
「ディアッカ…私の顔、とか…もう、見たくない、んじゃないの?」
「………はい?」
 
 
本気で訳が分かりません、と言ったディアッカの顔。
「だ、って…。私、ひどい事ばっかり…」
思い出してしまったのか、またミリアリアの瞳に涙が浮かぶ。
 
 
 
「…ばーか」
「…ば、か?」
 
 
 
あまりな言葉についディアッカを見上げたミリアリアだったが、くしゃり、と髪を撫でられ驚きに体を強張らせた。
 
「あのな。お前、どうしようもなく精神的に参ってたの。だから、矛盾した事言ったり必要以上に苛々したり泣いたりしてたの。ここまで分かる?」
「う、ん」
 
ディアッカは優しくミリアリアの髪を撫でる。
まるで慈しむかのように、時折柔らかい癖っ毛を指に絡めて軽く引っ張るその仕草に、ミリアリアの強張った心と体はどんどん解されて行った。
 
「でも…怒ってた、でしょ?」
 
気まずげなミリアリアの視線を受け止め、ディアッカは柔らかく微笑む。
その笑顔に、ミリアリアの胸が何故か、どきん、と脈打った。
 
 
「もう、怒ってねぇよ。あの時俺が怒ったのは、お前があんまり無茶しすぎるから。そりゃキツい事言われてちょっとはグサッと来たけどさ。それともあれ、お前の本心?」
 
 
優しかったディアッカの紫の瞳が、最後の一言を発した瞬間すっと真剣味を帯びて。
ミリアリアはその瞳をぼんやりと見上げ、小さく首を振る。
それは、不思議なひととき。
いつもならディアッカの姿を見ただけで顔を顰めてしまうのに、どうして自分は、ここに──ディアッカの部屋の、ディアッカがさっきまで寝ていたベッドに、迷いも無くこうして横になっているんだろう。
 
 
──どうして、こんなに安心してしまうんだろう?
 
 
「ううん。本心、なんかじゃない…」
 
 
その、子供のようなあどけない表情と素直な言葉に、ディアッカは柔らかい表情になって、また優しく微笑んだ。
その笑顔は、ミリアリアが今まで目にした中で一番綺麗で、そして本当に嬉しそうで。
 
「じゃ、いいじゃん。もう気にすんなって」
「……うん」
 
ゆっくりと宥めるように髪を撫でる手と、優しい声。
ミリアリアの心にどっと安心感が押し寄せる。
 
「眠くなって来ちゃった?」
「…ど、しても…ねむれなか、たの…」
「うん。そっか」
「でも…ごめん、ねむ…」
ミリアリアの瞳が、ゆっくりと閉じて行く。
 
 
「おやすみ、ミリアリア」
「…ん…」
 
 
あっという間に夢の国に旅立ったミリアリア。
内線越しに話した軍医の言う事は、あながち間違いではなかったのかもしれない。
 
 
『艦長から話は聞いている。現状では、どうやら君の傍でないと彼女はゆっくり眠る事も出来ないらしい。すまんが、体調が回復するまでそこで面倒を見てくれないか?…ああ、必要以上に手は出すなよ?』
 
 
「手なんか、出せる訳ねぇじゃん。…病人で、しかも初恋の女に、なんてさ」
すやすやと眠るミリアリアの髪からゆっくりと手を離し、立ち上がろうとしたディアッカは違和感に気付く。
そしてその正体を確認し──驚きに目を見開き、見た事の無い程の優しい表情で苦笑した。
いつの間にか、ベッドからちょこんと飛び出した手が、ディアッカのアンダーシャツをしっかりと掴んでいる。
これでは、隣のベッドで眠る事も出来ない。
 
「……これって、俺のせいじゃ、ないよな?」
 
不可抗力、とはこういう時の為にある言葉だとディアッカは確信する。
明日は、意地でもこいつより早く起きないと、下手したら血の雨が降るな…。
ディアッカは、ミリアリアを起こさないようにそっとその熱い体の隣へ自分の体を滑り込ませる。
そして、点滴に気をつけながら、そっと力の抜けた体を自分の方へ引き寄せた。
 
 
熱が下がらないのは、芯から心と体が休めていないから。
トールの存在が、ミリアリアの中から消える事などきっと無い。
それでも。敵だったコーディネイターである自分でも、ミリアリアの支えになれるなら。
 
 
「お前は、ひとりじゃない。……俺が、ひとりになんて、しないから。だから…安心して、早く治せよな」
 
 
熱の引かないミリアリアの、火照った耳元でディアッカはそっとそう囁く。
今はまだ、届かなくてもいい想い。
それでも、自分の想いをはっきりと自覚したディアッカは、すやすやと眠るミリアリアのあどけない寝顔を見下ろし、くすり、と笑った。
ミリアリアの華奢で小さな体が発する熱。
それを全部吸い取るかのように、ディアッカはミリアリアの体を少しだけ強く抱き締め、そっと柔らかい髪に顔を埋めた。
 
 
 
 
 
 
 
007

えーと(笑)
なぜか最後はラブラブな感じに(まぁ一方的ですが)なってしまいました。
ミリアリアはまだトールの事をきちんと整理しきれていません。
時間軸としては、100hit御礼小説「借りた上着、あと一日だけ」の後くらい、かな?
ミリアリアも、深層心理ではディアッカに惹かれ始めているんですよね。
でもトールを亡くした悲しみもとても大きくて、まだ幼い彼女には自分の感情が処理しきれない。
それがああいった形で、構ってちゃん的に表に出てしまったのだろうと思います。
そしてこの当時からディアッカは、ミリアリアの事を守りたい、ひとりにしない、と
思っていたんだなぁと思うと、とても感慨深いです。

気付けばカウンタも8000を突破し、キリリクもやっと途中まで行きました。
御礼のはずがすっかりお待たせしてしまって申し訳ありません!
いつも当サイトに足をお運び頂き、本当にありがとうございます!
応援して下さる全ての方々に、感謝を込めてこのお話を捧げます!

 

 

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2014,11,26up