Farewell

 

 

 

 
『サチがさ、ちょっと…その、あんま具合良くなくてさ』
モニタの中でやるせなく微笑むラスティに、ミリアリアはリアンを抱きながら息を詰めた。
 
 
証人としての役割を終え、ラスティとアンジェラは地球に戻っていった。
それからまだ一年も経っていない。
AAで観たビデオレターの中でサチは溌剌と駆け回っていた。スカンジナビアでの惨劇をも乗り越えたサチにまた会いたいと願ってはいたものの、妊娠、出産という大仕事をこなし、さらに育児に追われていたミリアリアは未だ地球に足を運べないままでいたのだ。
乳児であるリアンは宇宙間を航行するシャトルに乗ることが出来ず、地球への里帰りは年末を予定していた。その時にはサチに必ず会いに行こうと決めていた。
 
「そんなに…悪いの?あの映像ではすごく元気に…」
『んー…犬は人間の三倍の速さで歳を取るっていうらしいしな。春くらいから急に大人しくなっちまってさ。ボスが医者に診せたんだけど、ナチュラルで言う癌、ってやつ?なんだってさ』
「そんな…!どこに癌ができたの?手術で取りきれないほどなの?」
 
コズミック・イラにおいて医学の進歩は目覚ましく、かつて不治の病と恐れられていた癌も現在はかなり生存率が上がっている。簡易キットを取り寄せれば自宅で検査が出来るくらいだ。
だが、それはあくまで“ヒト”の場合。動物医療に関してはまだそこまで研究が進んでいないことくらいは知っていた。
 
『そうらしい。癌もかなりでかいらしいし、老犬だからまず麻酔に耐えきれるか分からないらしいんだ。安楽死も提案されたんだけど、ボスはそれは最後の手段だ、って断ってさ。今は薬で痛みをコントロールしながらQOLを優先させてる』
「そう…なの。今、サチと話せる?」
『ああ。まだ目はしっかり見えてるはずだから。ちょっと待ってな』
 
せめて顔を見て、声だけでも聞かせたい。そう思い、ミリアリアはいつしかぎゅっと拳を握りしめていた。
 
 
 
***
 
 
 
「…サチ?」
薄茶色の頭をゆっくりと上げ、サチはカメラの方へと振り向いた。
記憶よりも痩せてしまった姿に、ずんと胸が重く、冷たくなる。だがミリアリアは、ゆっくりと微笑んだ。
「久しぶりね、サチ。私がわかる?」
快活だったサチからは想像もつかない、どんよりと濁った茶色い瞳がミリアリアを映す。
「ごめんね、なかなか会いに行けなくて。でも見て、ほら!」
リアンを抱え直してカメラに近づけると、僅かにサチの表情が変わった。
「あのねサチ…私、あの時ずっと会いたいと思っていた人に会えたの。それでね、その人と家族になって、子供が生まれたの。名前はリアン。絆、って意味なのよ。サチも幸せ、って意味があるから一緒ね」
濁っていようとも決して嘘をつかないまっすぐな瞳でこちらを見つめるサチに、ミリアリアはもう一度微笑んだ。気を抜けば涙が零れそうだったが、弱っているサチを不安にさせたくない一心で堪えた。
 
「サチは強くて優しい子だから頑張りすぎちゃうんじゃないかって心配だけど…したいようにしていいのよ?あなたがそこにいるだけでみんな幸せなんだから」
 
北欧のコミュニティで、ミリアリアも他の傭兵たちも、どれだけ彼女から力をもらっただろう。サチという名の通り、彼女は惜しみなく幸せをくれた。皆が忘れがちになっていた笑顔を思い出させてくれた。
ディアッカを想い、夜空を見上げ泣いていたミリアリアのそばにそっと寄り添ってくれたこともあった。
ひどい怪我をして戻ってきた傭兵の枕元から離れないこともあった。
そして、ミリアリアにとってサチはあの惨劇の中、生き残った同志でもあった。
「たくさん元気をくれてありがとう、サチ。大好きよ。また一緒に遊びましょうね」
少しだけ力を取り戻した茶色の瞳でミリアリアを見つめ、サチはクゥン、と小さく鳴いた。
 
 
 
***
 
 
 
無意識に手を伸ばした先にあるはずの温もりが無いことに気づき、ディアッカはぱちりと目を開けた。
「ミリィ…?」
時計を確認すると、時刻は午前一時。子供部屋にいるリアンは一度寝付くと朝まで起きることがほとんど無くなっていたのだが、もしかして夜泣きでもしていたのだろうか?
ベッドから降り、スツールに掛けられていたミリアリアのカーディガンを手に取ると、ディアッカは寝室を出て歩き出した。
 
 
子供部屋のドアをそっと開けて、中を覗き込む。
仄かな灯りが室内と、すやすやと眠るリアンを照らしていた。だが肝心のミリアリアの姿はない。
どうやら夜泣き等ではなさそうだ。
昨年まで暮らしていたアパートと違い、父親から贈与された新居は少しばかり広い。
と、微かな風を頬に感じ、ディアッカは眉を顰めた。
妻と息子の安全を考えてセキュリティシステムはしっかりと施してあるが、まさか侵入者でもあったのか。
軍人らしい身のこなしで階下に降り、そっとリビングを覗いたディアッカの目がわずかに見開かれた。
ローテーブルに置かれていたのは、電源が入ったままのタブレット。
そして庭に面した大きな窓が少しだけ開いており、その外には空を見上げたミリアリアが立っていた。
 
「ミリアリア?」
 
そう声を掛けると細い肩がびくりと揺れる。
「…すこし、風にあたりたくて。ごめん」
何の変哲もない言葉。だがそれを紡ぐ声は明らかに震えていて。
素早く庭に降り立ったディアッカはミリアリアの元へと駆け寄り、そっと小さな背中にカーディガンを掛けた。
「…ありがと」
小刻みに震える肩と、いくつもこぼれ落ちる透明な雫。
ミリアリアは、静かに泣いていた。
「…どうした?」
こんな風に泣くミリアリアを見たのは、いったいどれくらいぶりだったろう?まるで、AAにいた頃のような人目を忍んで泣く、こんな姿を。
 
 
「……サチが今朝、亡くなったって」
 
 
落とされた言葉に、ディアッカは思わず息を詰めた。
サチ。それはまだ二人が別々の道を歩いている頃にミリアリアが北欧で出会った犬の名前だ。
二度の不幸に襲われながらも奇跡的に生き残り、今はスカンジナビアにあるラスティの本拠地で飼われていると聞いていた。
リアンが生まれる前に起きたあの忌々しい事件が終わった時、ビデオレターで見たサチの姿にミリアリアが涙していたことを思い出す。
 
「…知ってたの。もう長くないって。ラスティが連絡をくれて…。その時、きっともう会えないだろうな、って思って、覚悟はしてたつもりだったの。それでも…だめだよね。これじゃサチに心配かけちゃう」
 
泣き顔で微笑むミリアリアはひどく儚く見えた。
こうして悲しみを抱えて、自分の中で消化しようとするのは出会った頃から変わらない。だから、それを放っておけなくて狭い艦内を探し歩いては半ば強引に側にいた。
悲しみに壊れてしまわないかと本気で心配になり──気づけば心を奪われていた。
出会いと別れを繰り返し、ミリアリアの抱える喜怒哀楽を全部受け止めよう、そう誓って二人はいま共にいる。
 
「…そっか」
 
ディアッカは動物を飼ったことがない。だからミリアリアの悲しみを全部理解することは出来ない。だから、こんな風にしか言葉を返せなかった。
それでも、寄り添いたかった。一人で抱え込まないで、分けて欲しいと思った。サチとの思い出を聞かせて欲しかった。
それは残酷な願いなのかもしれない。ディアッカのエゴなのかもしれないけれど。
「ダメなんてこと、ないと思うぜ?」
ぽん、と視線よりだいぶ下にある茶色の跳ね毛に手を乗せると、「え?」とミリアリアが目を瞬かせた。
 
 
「俺は…動物を飼った経験がないから分かんねぇけど。でも、おまえがサチを大事に思ってたことは分かる。それがどんな形であれ、死んじまったやつを悼んで泣くことは間違いじゃない。無理に忘れなくたっていい。気を使わなくてもいい。そっちのがサチはきっと心配するぜ?ああ、またこいつ我慢してる、ってさ」
 
 
人口の月明かりの下でも綺麗な碧い瞳にぶわりと涙の膜が張る。
「一日中我慢してたんだろ?それなのにリアンのことしっかり見ててくれて、いつも通りに美味い飯作ってくれてありがとな、ミリィ」
「…だって、私はディアッカの奥さんで、リアンのおかあさんだもの。しっかりしなくちゃいけないんだもの」
ぽろぽろと頬を転がる涙は真珠のようで。これだけ年月を重ねてもまだ根っこのところは変わらないんだな、と苦笑しながらその細い体を抱きしめた。
「うん。だけど、完璧である必要なんてない。悲しい時はちゃんと教えて?それは全然悪いことじゃないんだからさ。言ったろ?お前の喜怒哀楽全部受け止めたいって」
泣きたいだけ泣いていい。俺に分からない話だってしていい。全部受け止めるから。
その思いが伝わったのだろう。ぎゅっと噛み締めていた唇から嗚咽と小さな声が零れた。
 
「っ、サチに…モニタ越しだけどリアンを見てもらったの。少しだけだけど、私も話をしたの。サチ、辛そうだったけどちゃんとこっちを見て、くれて…っ」
「そっか。嬉しかっただろうな、サチ」
「……うん…っ」
 
なぁ、サチ。これでいいよな?
お前に会えなかったのは残念だけど、ミリィのことは俺が守るから。だから安心して見ててくれていいから。
涙で声を詰まらせるミリアリアを腕の中に収め、ディアッカは夜空を見上げてサチを想い、黙祷を捧げた。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

久しぶりの更新です。それなのにすっかり自己満足な作品となりました。
長編シリーズとリンクした、ちょっと切ないストーリーです。
自分の経験も重ね合わせつつ、強くあろうとするミリアリアとそれを支えて包み込むディアッカを書きました。
ちゃんとディアミリになっていればいいのですが…;;

いつもサイトに足をお運び頂きありがとうございます。なんだかんだで更新も滞りがちですが、今後とも頑張って行きますのでよろしくお願いいたします。

 

text

2018,5,1up