不器用な優しさと、強くて脆い心

 

 

 

 
ふわりと漂ってきた香りに、ミリアリアはベッドから体を起こした。
「…コーヒー?」
マルキオ邸でコーヒーを嗜む人物は思い当たらない。
いつもラクスが用意してくれるのは紅茶かハーブティだった。
たまたまかもしれない。だがそんな小さな違和感にも敏感に反応してしまうくらい、今のミリアリアの精神は不安定だった。
コンコン、というノックに、ミリアリアはびくりと肩を跳ねさせる。
だが聞こえてきた声は、意外な人物のものだった。
 
 
 
「…あなたが煎れてくれたの?」
「ああ。マーナさん直伝だから、飲めない味ではない、と…思う」
 
海の見えるバルコニーに置かれた木のテーブルと椅子は、浜辺に流れ着いた木材で孤児院の
子供たちが作り上げたものらしい。
「海風は冷たい。よかったら、これ」
「…ありがとう」
ミリアリアの膝にそっとブランケットを掛け、アスラン・ザラはぎこちなく微笑んだ。
 
「カガリは議会に出ているんだが…ちょっと揉めていて、抜け出せないんだ。終わり次第キサカさんがここへ送り届けてくれる。君に、すまない、と伝えてくれと言っていた」
「そう。無理しなくてもいいのに」
「心配なんだよ、君のことが。今日の議会に出席させるのも一苦労だった」
 
心底げんなりした様子のアスランの顔に、ミリアリアは思わずくすりと微笑んだ。
「…カガリは、頑張ってるわ。口さがない噂は後を絶たないけど、国を思う気持ちはちゃんと伝わってくる。だから…あなただけはそばにいて、カガリを守ってあげてね。アスラン」
アスランは僅かに目を見開き、ゆっくりと頷いた。
「…ああ。そのつもりだ」
 
 
 
ミリアリアは取材先で巻き込まれたテロによって心に深い傷を負い、静養の日々を送っている。
ここ数日は落ち着いているが、それでも毎晩のようにうなされ、今は遠い空の向こうにいる男の名を呼び続けていることをアスランは知っていた。
それなのになぜ彼女はこうして、どこまでも他者を思いやることが出来るのだろうか。
頑なに男への連絡を拒み続けるのもまた、あいつのためを思ってのことなのだろうか。
何度、こっそり連絡を入れようと思ったか知れない。だがそれは、ラクスからきつく止められていた。
 
『ミリアリアさんは戦っておられます。もう少しだけ見守ってあげましょう、アスラン』
 
そう言われてしまえば、自分に出来ることなど何もない。そう思っていたのだが──。
「…これ…このコーヒー…」
カップに口をつけたミリアリアが驚いた様子で顔を上げる。
うまく、言えるだろうか。傷付けることにはならないだろうか。
緊張がばれないように細心の注意を払いながら、アスランは何度も練習してきた台詞を言葉に乗せた。
 
 
「昔…クルーゼ隊にいた頃、コーヒー豆にうるさい隊員がいて。たまに相伴に預かってたんだ。たまたま同じ品種の豆を見つけて、懐かしくなって買ってきた。その、口に合わなければ…」
 
 
碧と翡翠の視線がゆっくりとぶつかり合う。
ああ、いつかあいつが言っていたように、本当にオーブの海みたいだ、とアスランは思った。
強さと儚さを併せ持つ、吸い込まれそうな碧──。
「…美味しい。久しぶりに飲んだわ」
はっと我に返ったアスランが目にしたものは、穏やかで、それでいながらひどく切ない笑顔だった。
「……っ、ミリアリア、その」
「おーい!お前らこんなところにいたのかよ!」
アスランの声は、息を切らしてバルコニーに現れたカガリの声にかき消された。
 
 
***
 
 
鈍い痛みに目を開けると、茶色の跳ね毛が視界に飛び込んできた。
「…痛む?」
「…ああ。少しだけ。でも大丈夫だ…っ」
「起きあがれる状態じゃないんだからおとなしくしてなさいよ。カガリももうすぐ戻るから」
白いオーブの軍服に身を包んだミリアリアはぶっきらぼうにそう言って、そっとアスランを押しとどめた。
 
「君も…戻ってたんだな。ここに」
「ええ。あの席は私の場所だから。それに…見届けたいの。この戦争の行方を」
 
凛とした表情でそう言ってのけたミリアリアは、アスランの記憶より大人びて見えた。
そういえばプラントで会ったあいつも、見違えるように大人びていた。
離れていても目指すものが同じであるならば、心のどこかで彼らはずっと繋がっているのかもしれない。そう思い、アスランは少しだけそのことを羨ましく思った。
 
「で?あの子。メイリンだっけ?新しい彼女?」
「なっ!!そんなわけ…っぐ…」
 
素っ頓狂な声を上げて起き上がろうとするアスランだったが、傷の痛みに思わず呻いてしまう。
ミリアリアは眉を僅かに顰め、呆れの混じった溜息を吐いた。
「だから。あなたひどい怪我してるの。起きられる状態じゃないって言ったでしょ」
起こすような真似をしたのは誰だよ、と喉元まで出かかった言葉をぐっと押しとどめ、アスランは息を整え口を開いた。
「彼女は…助けてくれたんだ。ミネルバのCICだから面識はあったけど…そんな、特別な感情なんて…」
「ふうん。そう」
言葉を詰まらせるアスランを一瞥して溜息を吐くと、ミリアリアはベッド際の椅子に腰を下ろした。
 
 
「あなたって…本当に不器用よね。今も、むかしも」
 
 
それまでとは違う声色に、アスランは僅かばかり目を見開いた。
「不器用…」
「そうよ。本当に不器用。でも…あなたは悪い奴じゃないし、責任感も強い。確かにその通りだわ」
「……え?」
ミリアリアの言葉に、アスランははっと視線を上げた。
カガリの言葉にしては違和感がある。誰が彼女にそんな事を言ったのだろうか?
困惑するアスランを尻目にミリアリアは立ち上がり、くるりとこちらに背を向けた。
「あ、あの、ミリアリア…!」
「…あなたは不器用で…とても、優しい人。私はそう思ってる」
顔だけでアスランを振り返り、ミリアリアは小さく微笑んだ。
 
「あのタイミングでクリスタルマウンテンを出されるとは思わなかったわ。でも…あいつが煎れてくれたのと同じくらい美味しかった。あの時は…ありがとう」
 
思いもよらぬ言葉にぽかんとしていたアスランが我に返った時にはすでにミリアリアは医務室から消えていて。
ふわりと漂う懐かしい花の香りにアスランは、かつて自分を庇ってくれたのであろう戦友と、その男が贈ったトワレを纏うミリアリアの心を思う。
小さくて華奢で、すぐ泣いて。すぐ壊れそうなくらい脆いくせに強くて。意地っ張りだからなかなか甘えるなんてしねぇけど、ひとりになる事を誰より怖がってて。
かつてあの男が言っていた言葉は、確かに的を得ていると思う。
ああ、そういえばこんなことも言っていたっけ。
 
『あいつが一人で泣いていないか、だけ。たまに連絡くれる?』
 
──二人の間にどんなやり取りがあったかなどアスランには分からない。だが、これだけは分かる。
ディアッカ。お前たちはまだ、終わってなんかいないよ。
お前との約束を守ることは出来なかったけれど、彼女は枯れてしまうほどの涙を流して、それでも前を向いて立ち上がった。
彼女は確かに脆い。でも、お前の言っていた以上にしなやかで……強い。
 
「必ず…分かり合える日が来る。そうだろ?ディアッカ」
 
空の向こうにいるであろう戦友に小さく語りかけ、アスランは目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

お久しぶりのブログ拍手小噺は、ディアミリだけどディアッカがほぼ出てこない代わりに、アスランが頑張ってくれました(笑)
こちらのお話、前半は4000hitお礼小噺「そこへ行くことができたら」〜拍手小噺にある「花のトワレ」の間のエピソードとなります。
そして後半は運命時、ミネルバから脱走してきたアスランがAAに収容された当時のエピソードとなります。
アスランとミリアリアの関係性、それこそ和解から壁を作りまくりな設定まで色々可能性はあると思うんですが(運命時のミリィとアスランはちょっと よそよそしかったですよね。フルネームで呼び合ってたし)、私としては、多少の距離感はあれど、接点がないほど疎遠ではない間柄を希望しています。
わかりにくい設定で申し訳ありませんが、お楽しみ頂ければ嬉しいです。

text

2017,10,23blog拍手up
2018,1,19up