1, 一歩、前へ

 

 

 

 
初めて彼女を目にした時、頭を殴られたような衝撃を受けた。
みっともなく書類を取り落とし、そわそわと落ち着きのないサイをミリアリアが訝しげに見ていたことすら気づかなかった。
白くて艶やかな肌。
綺麗に切りそろえられた厚めの前髪に、背中の真ん中まである淡い茶色の癖毛。
大きな瞳の色は、左がグレー、右が水色。
そのすべてに見惚れた。理由なんてわからなかった。
 
だがサイは同時に、かすかに覚えているこの感情がなんという名を持つものなのか、知りたくないし認めたくないと思っていた。
今でもすぐに思い出せるグレーの瞳、赤い髪、甘い声。
わがままで寂しがりやで……本当の意味で甘えるのが下手だった、元婚約者。
何度も、いいかげん前に進もうと思った。
それでもやはり、彼女を忘れることなど出来なかった。
フレイ・アルスターのことを。
 
 
 
***
 
 
 
「おはよう、ええと…サイ?」
「っ、お、おおおおはよう、ございます」
 
総領事館の簡易キッチンでアンジェラと鉢合わせたサイは、素っ頓狂な声を上げた。
ほっそりと伸びた白い足。
なだらかな弧を描く胸の膨らみを覆うのはシフォンだろうか、柔らかな素材の夜着。
そしてなぜかその上に無骨なエプロンをつけ、髪は器用にまとめあげられていた。
 
色々透けまくりな上になぜエプロンを!?煽情的すぎるだろ!!
 
赤くなってあわあわするサイに、アンジェラは「どうしたの?」と首を傾げる。
目の毒なんです、ていうか俺ってば独り身生活長いんです!とも言えず、サイはますますうろたえてしまう。
 
 
「アンジー。ここはコミュニティじゃねーんだ。ちょっと薄着すぎるんじゃねーの?」
 
 
はっと振り返ると、そこにはもう一人の証人である、ラスティ・マッケンジーが呆れたような笑みを浮かべながら立っていた。
「エプロンなら付けてるわ」
「その下が問題なの。ったく、着替えくらい持ってきてるだろうが。サイが困ってるだろ」
「……そうなの?サイ」
突然話を振られ、サイの肩が跳ね上がった。
 
「いやその、困るというより…驚いちゃって」
「…そう。なら次からは適当に何か着るようにするわ」
 
何でもないようにそう言って、アンジェラはこちらに背を向けフライパンを手に取る。
「あー、あいつああいう部分無頓着なんだ。悪い」
「い、いや、大丈夫。俺が免疫ないだけだし」
サイはラスティのフォローになんとか笑顔を浮かべ、首をぶんぶんと振った。
 
 
 
***
 
 
 
それ以来、サイは領事館で二人と共に暮らしていた。
ミリアリアの妊娠、そして長きにわたって懸念材料となっていた一連の事件もようやく幕を引き──最も、事件は多くの者の心に傷を残したのであったが──、ディアッカも無事ミリアリアの元へと帰ってきた。
ミリアリアは切迫流産と診断され、しばらく休暇を取っている。
アマギとサイはミリアリアの穴を埋めるべく業務に勤しんでいたが、そこにアンジェラから申し出があった。
自分に出来ることがあれば手伝わせて欲しい、というのだ。
だが、アンジェラもラスティも、カガリから遣わされた大切な客人だ。それに、ここで取り扱う情報には機密事項も多く、おいそれと手を借りるわけにはいかなかった。
アマギは丁重に申し出を辞退し、なおかつアンジェラが負担に思わないよう、滞在中の料理や掃除などを頼むことでその場は収まったのだった。
 
 
 
その夜もアンジェラの作った料理をありがたく頂き、サイはあてがわれた自室で本を読みふけっていた。
と、小さなノックに気づき顔を上げる。
日付も変わろうというこんな時間に一体、誰が?と思いながら、サイはドアを開け──固まった。
 
「部屋に、入れてくれる?」
 
いつぞやの薄い夜着を纏ったアンジェラの小さな声に、サイはゴクリと唾を飲み込み、頷いた。
 
 
 
プラントに移り住んで三年とすこし。
仕事の後に友人たちと外で食事を取ることもあれば、休みの日には買い物だって行く。
だから、見慣れていたはずだった。コーディネイターの美貌など。
 
それなのに。なぜ今自分はこんなにも狼狽え、彼女を直視できずにいるのだろう。
 
 
「えーと…アンジェラ、さん。何かあった?こんな夜遅くに」
「…誰かと話がしたい、と思ったの」
「は?」
 
 
なぜそれが自分でなければいけないのだろう?同僚であるラスティがいるはずなのに。
「…証人喚問の日が決まったって。さっきラクスさんから連絡があったわ」
サイのベッドに腰掛けたアンジェラがぽつりと呟いた言葉に、思わず息を飲む。
 
証人喚問。それはミリアリアがかつて必死の思いで取材を続けてきたダストコーディネイターの存在と痛ましい出来事を、ここプラントで問題提起するためのものだった。
ダストコーディネイターに関しては、ミリアリアのレポートを読ませてもらい知識としては頭に入っていた。
証言者である彼らの境遇も、前もってカガリから聞かされている。
アンジェラはともかく、ラスティに関しては面識もあった。
 
 
「…忘れられないの。親の顔が。大事なことは忘れてしまうくせに、覚えていたくないことほど忘れられない」
 
 
色違いの瞳に捉えられ、サイは小さく息を飲んだ。
 
「きっとあの人たちは証人喚問にやってくるわ。もう、ここにも来たんでしょう?」
 
イザークとラクスはダストコーディネイターの問題に着手するにあたり、ミリアリアのレポートを地球、プラントそれぞれの大手メディアを使って公表した。
その翌日から、在プラント・オーブ総領事館にはマスコミから政府高官まで、それはそれはたくさんの人々が押し寄せていたのだ。
発表された記事の信憑性、独占取材の申し込みなど用件は様々だったが、その中で友好的と思えるものはほとんど無かった。
ミリアリアがここにいなくて本当に良かった、とサイは胸を撫で下ろしたものだった。
 
「確かにここ数日、総領事館には多くの客人が押しかけてきてる。でも…その中に君のご両親がいたかどうかは、分からない。そもそも君とラスティは証人喚問当日までその存在自体が公には公表されないことになっているからね」
 
ディアッカの発案により、出廷する証人についてはミリアリア・エルスマンの名前のみが公表されていた。
やっと平穏な日々を手に入れたばかりの中、苦渋の決断だっただろうが、きっとミリアリア自身の強い希望もあってのことだろう。
「当日は俺もシン・アスカ君も君たちの護衛に付く。まぁ俺なんて戦闘はからっきしだから、大して役に立てないかもしれないけどさ」
「シン・アスカ…?」
首を傾げるアンジェラに、サイは大事なことを失念していたことに気づいた。
アンジェラは記憶障害のせいで、頻繁に顔を合わせる人物以外の顔を覚えておくことが難しい。
シンとアンジェラが顔を合わせたのは片手で数えられる程だろう。
 
「あ…ええと、地球の…スカンジナビアのコミュニティにディアッカと一緒に行ったザフトの赤い軍服の兵士。黒髪に赤い瞳の…」
「覚えてないわ」
「っ、そっか。でも、彼は優秀な軍人だし、きっと何かあった時には力になれると思う」
「…そう」
 
膝の上でキュッと握りしめられた手。俯きがちに泳ぐ目線。
どこか見覚えのある仕草に、サイの口から自然と言葉がこぼれていた。
 
 
「……アンジェラさん。やっぱり、不安?」
 
 
どこか虚ろだった色違いの瞳に、すぅっと感情が戻る。
 
「これ…不安、ってことなの?」
「え?」
「不安、って、どういう状態のことを指すのか、わからない。でも、両親のことを考え始めたら誰かに聞いて欲しくなったの。どうして、かしら」
 
そう言って首を傾げる人形のように綺麗なアンジェラの境遇を思い出し、サイの胸がちくりと痛んだ。
記憶障害言え、彼女は例えば怖いこと、嫌なことがあっても、次の日になれば忘れる。
傭兵として身を立てているということだが、彼女が自分の仲間であるラスティと接するときに感じるのは、絶大な信頼だ。
──だから、不安を感じないのだ。感じる必要がなかったから、それがどんなものか忘れてしまったのだ。
 
「…今は無理に、そういう感情に名前をつけなくてもいいと思う。でも…アンジェラさんがそうしたい、って思って、自分で決めたことなら迷わずにいてほしい、って俺は思うよ」
「自分で決めたこと…」
「そう。たとえ明日、今のその感情を忘れてしまっていても、俺が覚えてる。君が俺に話をしてくれたことも、何があったかも全部。だから、怖がらなくていいんだ」
 
一気にそこまで言い切ったものの、きょとんとするアンジェラに、余計なことだったか、とサイの鼓動が跳ねた。
だが、アンジェラは──ゆっくりと微笑んだ。
 
 
「ありがとう、サイ。私は、怖がらなくていい。守ってくれる。サイや、ラスやみんなが。それで、合ってる?」
「……ああ。合ってる」
 
 
ひとつずつ、一歩ずつ前に進んでいけばいい。
変わろうとしている……みんなが変えようとしている世界と一緒に、アンジェラもゆっくり前へ進んでいけばいい。
そして自分も──。
 
似ているところなどないはずなのに、アンジェラの笑顔に、記憶から消えることのない赤い髪の少女の笑顔が、重なった。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

はい。誰得なのかわからないシリーズが始まってしまいました。
いつか書きたいと思っていたサイの物語です。
オリキャラが苦手な方はごめんなさい;;
うちはディアミリサイトなので、基本こちらのシリーズにもちょこちょこ彼らは出張ってくる予定なのですが、やっぱりサイにも幸せになって欲しいのです。
なので、自己満足全開ですが、亀の歩みでちょこちょこと更新していこうかと思っております。
サイは聡明で優しいナイスガイゆえ、フレイを始めちょっと癖のある女の子と組み合わせたいな、という妄想の産物です。
そこまで長くはならない予定ですが、一人でもお楽しみいただける作品になれば幸いです!

 

 

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2017,5,8up