失った命がそれほどまでに大切であったなら

 

 

休憩の時間になり、ミリアリアはブリッジから離れた。
宇宙で上がって間もないため、いまいち無重力や低重力という空間に馴染めない。
これならまだ、ヘリオポリスから出た頃の方がうまく動けたかもしれないなぁ。
そんなことを思い出しながら、急激に熱くなる喉に気づきミリアリアははた、と立ち止まった。
あの時は民間人もたくさん乗っていて、フレイもいてカズイもいて──トールも、いて。
食事の時はみんなで一つのテーブルを囲んでいた。
ミリアリアの隣にはいつもトールが座り、戦艦の中だというのにたわいもない話をしていたこともあった。
 
 
でも、トールはもう、いない。
 
 
不意に急激な吐き気に襲われ、ミリアリアは近くのトイレに向かい床を蹴った。
 
 
 
***
 
 
 
「…っ、う」
胃の中のものを全部出し尽くしても吐き気は止まらなくて。
ぽろぽろと生理的な涙を零しながら、ハンカチで口元を拭う。
少しずつでも、受け入れなければならないのに。
受け入れられるようになってきたつもりだったのに。
ふとした瞬間蘇る恋人との甘い思い出は、ミリアリアからこうして力を奪っていく。
何も食べたくなかった。
動くことすら本当は億劫だった。
オーブを離脱する時、あいつに言った言葉はなんだったんだろう。
 
『あたしはAAのCICよ!』
『オーブはあたしの国なんだから』
 
あの時は確かにそう思っていた。
でも、オーブのマスドライバーは破壊されて、代表であったウズミ様も亡くなって。
崩れゆくマスドライバーとともに、ミリアリアの心まで崩れてしまったかのようだった。
「う、ぐ…っ」
出すものもないのに吐き気は止まらない。
苦しい。辛い。
どうしてこんなに辛いことばっかりなんだろう。
トールはいなくて、両親の安否もしれなくて、ヘリオポリスだけでなくオーブまで失ってしまったかもしれなくて。
もう、いやだ。
どうしたら楽になれるのだろう。
ぐったりと壁にもたれるミリアリアの脳裏に、驚きに見開かれた紫の瞳とそこに流れる赤い血が浮かんだ。
初めて本気で殺そうと思った相手。
今はどうしてだか同じ艦のクルーとしてここにいる、掴み所のないコーディネイター。
何かと自分を気にかけてくれるところを見るに、本来はいいやつなのかもしれない。
泣いているといつの間にかそばにやってきて、黙って隣にいてくれて。
でもあいつは、トールじゃない。
その時だけは少し心が軽くなっても、結局こうして自分の心が制御できなくなるのは、辛い。
どうすればこの苦しさから逃れられるの?
そこまで考えたところで、唐突にある考えが降りてきた。
 
 
──ああ、そうか。死ねばいいのかもしれない。
 
 
ふらつく足を叱咤してミリアリアは立ち上がると、ゆっくりと歩き出した。
 
 
 
***
 
 
 
医務室には誰もいなかった。
医療品独特の匂いはミリアリアにとってもう慣れたもので。
部屋に入ってすぐ右手にあるスツールの引き出しを開ける。
確かあの時、ここには拳銃が入っていたという。
きっとフレイはそれに気がついて、あんな行動に出たのだろう。
 
 
──だが、そこに拳銃はなかった。
 
 
「そんなにうまくいかない…か」
小さく独り言を呟き、何の気なしに視線をずらしたミリアリアの目に、医療用のハサミと包帯が飛び込んできた。
なんだ、これでいいじゃない。
鋭い刃先はナイフと似たようなものだし、これで太い血管の一本でも掻き切れば、出血多量であっという間に死ねるだろう。
すっとハサミを手に取り、首筋にあてる。
不思議なくらい迷いはなかった。
これで、楽になれる。それしか考えられなかった。
首筋に刃を当てた、その時。
 
 
「よせ!」
 
 
鋭い声とともに、ミリアリアの手からハサミが弾き飛ばされる。
声のした方にぼんやりと顔を向けると、そこにはかつて自分が殺そうとしたコーディネイター。
ディアッカ・エルスマンが息を切らせて立っていた。
 
 
「──この、馬鹿!何考えてんだお前!」
聞いたことのない怒声に、ミリアリアの肩がびくりと揺れる。
綺麗な紫の瞳に浮かぶのは、明確な怒り。
浅黒い額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
 
「……ひとりぼっちは、辛いの」
「ああ?」
「死んじゃえば、楽になれると思ったの」
「っ……」
「トールがいないんだもの!どうしていいかわかんないんだもの!バカで結構よ!だったら教えてよ!どうしたらまた前みたいにご飯が食べられるの?どうしたら眠ることができるのよ?」
 
泣き崩れるミリアリアを前にディアッカはきゅっと唇を噛み締め、医務室のドアにそっとロックをかけた。
 
 
「死ねば、そういうのから全部解放されると思ったのかよ?」
「そう、よっ…悪い?」
「あのさぁ…お前にとって、トールってなんだったんだ?」
 
 
思いもよらない問いかけに、ミリアリアは涙で濡れた顔を上げディアッカを見上げた。
「トールは…恋人、で…大切な、人で」
「お前の大切な人はトールしかいねぇの?」
ずばずばと切り込まれ、なんと答えたらいいか分からずミリアリアは目を泳がせる。
 
「──パイロットってのはさ、訓練を受けて敵を駆逐するためにMSを駆って戦う。でも、だからって何の感情も持たないわけじゃない」
「……え?」
「つ いさっきまで軽口叩き合ってたやつが目の前で死んじまうことだってある。俺だって昔はただ闇雲に敵を倒せばいい、って思ってたけど、今は違う。守りたいも のが出来て、自分の信念に従うと決めて。大事なものを守りたくて、それでも失くすこともあることを知った。簡単になんて割り切れねぇよ」
 
目の高さを合わせるように自らもしゃがみ込み、ディアッカはミリアリアの頭を優しく撫でた。
一人隠れて泣いている時、いつもそうしてくれるように。
 
 
「冷たい言い方かもしれねぇけどさ。俺たちはまだ生きてる。そして失った命が大切であればあるほど、そいつらの想いを背負って戦わないといけねぇ。逃げたら、駄目なんだ」
 
 
失った命が大切であればあるほど、想いを背負って戦う。
その言葉はすぅっとミリアリアの心に染み込み、広がっていく。
「それに、さ。お前はひとりじゃねぇじゃん。サイやキラだっているし、AAのクルーだっているだろ。それに…数には入んねぇだろうけど、俺も、さ」
「……あ」
そうだった。
ミリアリアのことを心配してくれて、事あるごとに声をかけてくれるサイ。
ミリアリアの食事の時間に合わせ、エターナルから度々やって来てくれるキラ。
オーブの姫であるカガリも、自身も父を亡くして辛い中明るく振る舞い、声をかけてくれる。
ブリッジクルーたちも、腫れ物に触るようにだがつとめて明るくミリアリアに接してくれている。
そして、目の前の男もそう。
人目を避けて泣いているミリアリアをいつだって見つけ出し、どれだけ罵倒しても泣き止むまでそばにいてくれる。
ディアッカこそ、かつての敵艦であるAAでひとりぼっちなのに。
 
 
「周りに気を使わせるのが嫌なのはわかるけど、必要以上に頑張らなくてもいいし、食べられないなら少しずつでいい。眠れないなら薬に頼れ。──お前がそんな風になることを喜ぶようなやつじゃなかったんだろ?トールってのは」
 
 
ミリアリアはトールの笑顔を思い出す。
優しくて友達想いだったトール。
ミリアリアがこんな風になることを、彼が喜ぶはずなんてない。
 
「ま、泣きたい時はいつでも俺が参上するし?どうせ散々泣き顔見てるんだから気ぃ使う必要もねぇだろ?だから、いいぜ?泣きたいだけ泣いて」
「……なに、よ。偉そうに」
「ああ、さっきドアにロックかけといたから。当分ここには誰も来ねーよ。だからさ、ぱーっと泣いて仕切り直せば?」
「お、礼なんて、言わない、わよ」
「んなもんいらねーっつーの。その代わり、たまには俺の話にも耳貸してくんない?ほら、早く」
 
ぐい、と引き寄せられ、腕の中に閉じ込められる。
ディアッカの胸は暖かくて、とくん、とくん、と心臓の音が聞こえて。
張り詰めていた何かが一気に崩れ落ちるように体から力が抜けて、ミリアリアはディアッカの胸に縋り付き、大声をあげてただ、泣きじゃくった。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 

無印時代、AAが宇宙に上がって間もない頃のトルミリでディア→ミリなお話です。
ミリィの精神的な脆さを前面に出しすぎてしまった気もしますが、この当時から
ディアッカはミリィのことを心配し、支えとなる存在になっていってくれたらいいなと
思いながら書きました。
ディアッカがここまでトール語りするのって、私の作品ではあまりないかも;;

タイトルはTwitterのお題botよりお借りしました。

 

 

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