キスもその先も、ただ隣にいるだけでも

 

 

 

 
「なぁ、マジで休めば?サイに頼めばいいじゃん」
「そういうわけにはいかないの!ほら、もう出ないと遅刻しちゃうわよ?」
 
気を張っていなければふらついてしまう足を内心で叱咤し、ミリアリアは立ち上がった。
ディアッカが用意してくれた朝食はほとんど手つかずのままだ。
「…食欲ねぇの?」
「時間がないからよ。帰ってきたら食べるから、冷蔵庫にしまっておくわ。せっかく作ってくれたのにごめんね?」
「そりゃ別にいいけどよ…」
歩いていく、と言い張るミリアリアをなんとか説き伏せ助手席に押し込み、ディアッカはエアカーのエンジンをかけた。
 
 
 
今日はオーブから視察団がやって来る日で、ミリアリアはその案内役を仰せつかっていた。
ラクスとの面会も予定されており、サイもアマギもそちらの調整にかかりきりとなるため、休むわけにはいかない。
そう考えて出勤したもののーーディアッカに手を振り領事館の扉をくぐってすぐ、ミリアリアはひどい目眩に思わずよろめいた。
目眩の理由は、充分過ぎるほど分かっている。
ディアッカと籍を入れて、結婚式を挙げて、いっちょまえに新婚旅行なんて行って。
やっとひと段落ついたな、と思い始めたのは結婚式から数ヶ月経った頃だった。
毎日二人分の食事を用意して、たまに喧嘩もしながら色々な話をして、手を繋いで眠りについて。
 
 
だからつい、油断していたのだ。
ひどく甘くて優しい自分の夫が、意地悪な獣の一面を持つことを。
 
 
たまたま二人して二日間の休日が取れたのをいいことに、ディアッカはその獣の一面を存分に発揮した。
どこへ出かけることもせず、居場所はベッドの上かバスルーム。
満ち足りすぎてお釣りがくるくらい愛され、何度か意識を失った。
数え切れないほど高みに押し上げられ、思い出すだけで恥ずかしいくらい行為に耽ったせいで、あちこちの関節が痛いし声もまだ少し枯れている。
一方のディアッカと言えば、どれだけ激しい行為の後でも全く疲れを感じさせないままで、今朝は朝食まで作ってくれた。
…コーディネイターって、みんなあんななのかしら?
イザークあたりが聞いたら「一緒にするな!」と怒り出しそうなことを考えながら、ミリアリアはよろよろと執務室へと向かい歩き出した。
 
 
「ディアッカ、ずいぶんご機嫌ですね。」
シホの小さな声に、鼻歌交じりに仕事をこなすディアッカをちらりと眺めイザークは苦笑を浮かべた。
「ミリアリアと公休が重なったらしい。そのせいじゃないか?やたら生気に溢れているようだし。」
「…はぁ」
不思議そうに首をかしげるシホを見下ろし、イザークはつい頬を緩めた。
恋人になってまだやっと半年。
かつて巻き込まれた事件のトラウマを気にし、二人の関係はキスより先に進んでもいなかった。
だからそういったことにシホが疎いのは仕方がないし、その清純さがまた愛おしい。
そこまで考え、隊長から恋人目線になっていることに気づいたイザークは気をとりなおすように咳払いをし、書類に目を落とした。
「シホはこの後オーブからやってくる視察団の出迎えと警護を。俺とディアッカはラクス上の護衛につく。」
「はい。あの、ヤマト准将は…」
「使節団の中に顔なじみがいるそうでな。今回は出迎えの方に列席するそうだ。そのまま視察にも加わり、議事堂でこちらと合流する。」
「了解致しました。」
凛とした表情で敬礼をするシホに、イザークは一瞬だけ恋人の顔に戻って微笑み、頷いた。
 
 
 
異変に最初に気づいたのはシホだった。
「ミリアリアさんっ!?」
ぐらり、と体を揺らしそのまま床に倒れたミリアリアの元に駆け寄り、細い体を抱き起こす。
「ミリィ?!どうしたの?!」
「ヤマト准将、ここは私が。間もなく視察団の方々がシャトルを降りられます。」
キラが神妙な顔でうなずき、隊列へと戻って行くのを確認し、シホはミリアリアに声をかけた。
「ミリアリアさん。私が分かりますか?」
ぼんやりと視点が合わなかった碧い瞳が、ゆっくりとシホを見上げる。
「……シホ、さん?」
「はい。ご気分がお悪いのですか?」
「だい、じょうぶ…ちょっと、めまい…」
「貧血を起こしておられるようですね。ひどい顔色です。少し襟元をくつろげさせて頂きます。」
「…あ、ちょ…」
か細い声に構わず軍服の襟元を開き、インナーを少しずらしたところで、シホの手がぴたりと止まった。
ちらりと覗くミリアリアの鎖骨。
そこに散りばめられた赤い痣がどんな意味を持つか分からないほど、シホも奥手ではなかった。
 
「いたた…」
「え?どこか痛みますか?」
「あ…うん、ちょっと、腰、が」
 
インナーの下にあるいくつもの赤い痣。腰の痛み。どこか潤んで憂いを帯びた碧い瞳。
ちょっと。これって。まさか。
ひとまずこんな冷たい床にミリアリアを転がしておく訳にはいかない、と思い、シホは自分の想像に戸惑いながらもミリアリアに手を貸し立ち上がらせた。
「遠慮せず掴まって下さい。歩けそうですか?」
「う、うん…ごめんね、シホさん」
違和感を感じたシホはミリアリアの足元に目をやり、ぎょっとした表情になった。
細い足ががくがくと震えている。
この様子から見るに、股関節の痛みで膝に力が入らないのであろうことは、曲がりなりにもアカデミーを赤服で卒業しているシホにはすぐに見当がついた。
足元がおぼつかないのはこのせいか。
想像がだんだんと確信に変わっていく中、自分に半ば寄りかかるミリアリアの体温が平時より高いことに気がつき、いよいよシホの表情が能面のように固まった。
 
「総領事館に連絡を取ります。視察団の出迎えまではあと一時間弱ありますから、それまでの間だけ別室で休んでください。」
「でも…!サイも館長も他の仕事が…」
「分かっています。念のための措置です。とにかくミリアリアさんに今必要なのは休息です。何なら点滴等の処置も考えますから、今だけは私の言うことを聞いて頂けませんか?」
 
一瞬だけ柔らかな表情に戻り、優しく諭すようにそう口にしたシホを情けない顔で見上げ、ミリアリアは弱弱しく頷いた。
 
 
 
荒々しい勢いで駆け込んできたディアッカに、シホは氷のような視線を向けた。
「シホ!あいつは?」
「視察団の案内で館内を巡回中よ。」
「な…っ、あいつ、倒れたって」
「ご自分の奥様の頑固さはよくご存知でしょう?責任感の強さも。」
他人行儀な口調からシホの怒りが伝わってきて、ディアッカは言葉を失い目を泳がせた。
 
ーー休みの間、羽目を外しすぎた自覚はある。
それでなくとも、コーディネイターである自分とナチュラルの女性であるミリアリアとの体力の差は歴然としている。
新婚旅行以来のまとまった(と入っても二日間だが)二人揃っての休日に舞い上がり、ほぼ終日ベッドで過ごしたのは事実だ。
二人とも多分、服を着ていた時間の方が少なかったのも気のせいではないだろう。
 
「出迎えのセレモニーの間に解熱剤の点滴を受けてもらったわ。本人とドクターとで話し合って、少し強めのものにしたそうよ。」
「は?解熱剤?」
「ええ。じゃなきゃたぶん長い時間歩き回って接待なんて無理でしょうし。」
 
今朝の様子を思い出し、ディアッカは奥歯を噛み締めた。
やはりあの時からミリアリアは体調を崩していたのだ。
「ちょっと!どこに行くつもり?」
無言でくるりと踵を返したディアッカは、慌てたようなシホの声に振り返り一言返事をした。
「連れて帰る。」
そのまま部屋を出ようとし、ぐっと肩を掴まれ振り返った瞬間。
ぱぁん、と小気味良い音が室内に響いた。
 
 
 
仕事を終え駆けつけてくれたサイに接待をバトンタッチし、ミリアリアは倒れこむように控え室のソファへと体を沈めた。
医師に頼み込んで処方してもらった薬のおかげで目眩はだいぶ治まっていたが、一気に体が重く感じるのはやはり気が抜けたせいもあるのだろう。
と、視界が暗く陰りミリアリアは視線を上げ、ぎょっとした。
「ディアッカ?!え?な、なんで?」
そこには、何故か左の頬を少しだけ赤く腫らしたディアッカがなんとも言えない顔で立っていた。
 
 
ピピ、と電子音が鳴り、ミリアリアは無言で伸ばされたディアッカの手にそっと体温計を乗せた。
「…39度ちょうど。」
「…薬、切れちゃったかな…」
「だろうな。どうする?さっきのよりは軽いけど解熱剤もらってるなら飲んどくか?」
「そう、ね。うん。」
迎えに現れたディアッカに連れられて早々に帰宅し、暖かなルームウェアに着替えさせられたミリアリアはそのままベッドへと直行させられた。
ディアッカは軍服のまま、水や薬を黙々と用意している。
「……着替えないの?」
熱でぼんやりする頭でそれを見つめていたミリアリアの呟きにディアッカは答えず、代わりに小さな錠剤とコップが手渡された。
体を起こしてこくり、とそれを飲み込むと、大きな手がそっとコップを奪い、空いた手が頬を撫でる。
「……やっぱ、熱いな。」
「……うん。でも、冷たくて気持ちいい。」
小さく笑いながら囁き、ミリアリアは少しだけ重く感じる腕を上げて黒い軍服の袖を引っ張った。
 
「ちょっとだけでいいから…隣に、いて」
 
その言葉に、紫の瞳が少しだけ見開かれた。
 
 
 
「シワになっちゃうね。」
「いいって。替えがあるんだし。それより辛くないか?」
「いいの。こうしてたいの。」
 
 
ベッドの中で黒い軍服の胸に頬を摺り寄せ、ミリアリアはそっと目を閉じた。
「…シホさんに怒られた?」
「ん。ちょっとな。でも確かに俺も調子乗りすぎたっつーか、その…ごめん。」
「謝らないでよ。無理矢理されたわけじゃないんだし、私だって…したい、と思った、から…そうしたんだし…」
したい、なんて口に出してしまったのはきっと、熱に浮かされ羞恥心が少しだけ飛んでしまっているから。
じゃなきゃこんなこと、言えないーー。
それでもだんだん歯切れが悪くなってしまうのは、残っている羞恥心のせいなのだろうか?
はぁ、と熱い息を吐いたミリアリアは、ディアッカがどんな顔で自分を見下ろしているかなど気がつかなかった。
 
 
「……あのね。私、こうしてるだけでも、充分幸せなのよ?」
 
 
ああして愛を交わし合う行為も、決して嫌いではなくて、むしろ好き、だ。
もちろん相手がディアッカだからこそ、ではあるが。
でも結局のところミリアリアはこうして、二人寄り添っていられたらそれだけで、幸せなのだ。
だってそれは、もう決して叶わないと思っていたミリアリアの夢だったのだから。
たくさん話をして一緒に笑って、喧嘩して仲直りして。
だがあんな別れ方をして、それすらももう叶わないと思っていた。
それなのに、まるで引力が導くかのように二人はまた出会い、種族の壁を越え夫婦となりひとつ屋根の下で暮らしている。
ただそこにいてくれるだけで、こんなにも安心できて幸せを感じられる存在。
ミリアリアはそっと手を伸ばし、薄い唇に自分からくちづけた。
 
「こうして二人で一緒にいるだけで、幸せなの。でもね…キスもその先も、私はディアッカとしかしたくない。」
 
その言葉に、ディアッカはふわりと微笑み熱い額に唇を寄せた。
「セックスだけが愛情を確かめる手段じゃねえもんな。俺も…なんかすげえ、落ち着く。こうしてると。」
「何だか…結婚式の夜のこと、思い出しちゃうね」
熱に潤んだ瞳を細めてふわりと微笑んむミリアリアに、ディアッカもまた柔らかな笑顔を向けた。
「少し休めよ。眠るまで一緒にいてやるから。」
「…うん」
熱のせいですっかり熱くなっている体に、それでもディアッカはしっかりとブランケットを掛ける。
「…愛してる」
「……うん……私、も…すき…」
ほどなく眠ってしまったミリアリアを愛おしげに眺め、ディアッカはそっと跳ね毛に手を伸ばし、優しく撫でつけた。
これだけすぐに眠りに落ちたということは、やはりひどく疲れていたのだろう。
体を繋げて、互いにしか見せない表情をさらけ出し、愛を与え合うことはひどく甘美だ。
だがこうして二人、身を寄せ合っているだけでも感じることが出来るのだ。
とてつもない、幸福を。
 
『あなたのこと怒らないで、ってミリアリアさんから言われたわ。私も羽目を外しすぎたから、自己責任だ、って。それなのにあなたは一体なんなの?少しは彼女の頑張りを認めてあげなさいよ!連れて帰って謝るのも労わるのも、それからだって遅くはないでしょう?』
 
頬を張られて呆然とするディアッカにそうまくし立てたシホの気持ちが今更少し分かった気がして、自嘲めいた苦笑が漏れた。
そっと様子を伺った時のミリアリアは、体調の悪さを感じさせない凛とした表情でてきぱきと任務をこなしていた。
意地っ張りだし無茶もするけど努力家で、頑張り屋の愛しい妻。
「…ごめんな」
それでも自分のことが好きだと、隣にいるだけで安心する、と言ってくれたミリアリアの唇に、自戒の念を込めながらディアッカはそっとキスを落とすと、柔らかな髪に顔を埋め、目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 

「パパラッチ」の後、プラントに戻ってきてからのある日のエピソード。
このお話の前夜に何があったのかは、後日補完ページ(という名の裏ページ)
にアップしたいと思っています(笑)
結局どんな形であれ、この二人は互いが手の届く距離に居られることが一番幸せ
なんだろうな、と思います。

 

 

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2016,5,10拍手up

2016,6,22up