おかえり

 

 

 

 
ミリアリアは、砂浜に座り込み携帯の画面をじっと見つめていた。
オーブの海の色は、お前の瞳の色だ。
かつてそう言って笑った男は、今プラントにいる。
 
 
『きっちりケジメつけてくる。そしたらさ、連絡していい?』
 
 
飄々とした口調でさらりとそう口にしたあいつーディアッカ・エルスマンは、ザフトの軍人だった。
紆余曲折を経て自分と同じ陣営につき、戦ったコーディネイターの少年。
明日をも知れない中、恋人を失い壊れかけていたミリアリアの隣にいつのまにか立っていて、支えてくれて。
あいつを意識し始めたのは、いつからだったろう。
 

ミリアリアの心の中から、トールという存在が消えることはない。
それでもーーもう誰も好きにならない、と思っていても、一度気づいてしまった想いを無視することは出来なくて。
ディアッカがプラントへ戻る、と告げた時、ミリアリアは言葉を失った。
AAとともに戦ったディアッカを待っているのは、軍事裁判だということを知っていたからだ。
ザフトの軍規などミリアリアは知らないが、概ね地球軍のそれと変わりはないだろう。同じ軍隊なのだから。
脱走艦とみなされているAAのクルー達が揃ってオーブに亡命したのも、故郷で軍事裁判にかけられるのを恐れてのことだった。
それなのに、ディアッカはプラントに戻る、と言う。
行かないで。もう、あんな思いはしたくない。
そう言って止めていれば今、あいつは自分の隣にいてくれただろうか。
 
 
「…それでもきっと、帰っちゃうわよね。あいつのことだし?」
 
 
あいつの口調を真似て、語尾を少しだけ上げてみる。
結局最後までミリアリアは自分の気持ちを言葉にして告げることはせず、あいつもまた、核心に触れるような言葉は口にしなかった。
『あんた私の連絡先なんて知らないでしょう。それに私、ヘリオポリスに携帯置いてきちゃったし。教えようがないわ。』
いつものごとく可愛くない言葉を口にするミリアリアに、ディアッカはクク、と笑った。
『ま、そりゃそうだ。携帯ごとお前の居場所ぶっ壊した側のセリフじゃねぇな。』
『っ、べ、別にそういう意味じゃっ…!』
ハッと口に手をあて狼狽えるミリアリアの頭をポンポン、と軽く叩き、ディアッカは微笑んだ。
それは、ヤキンでの出撃前に見せたものと同じ笑顔だった。
 
 
『それじゃあ、な。ミリアリア。』
 
 
温かい手が頭から離れ、そのまま足音ごと、どんどん遠くなっていく。
何か言わなければ、と思っているのに、ミリアリアはどうしても、振り向くことができなかった。
 
 
 
***
 
 
 
その日のうちにディアッカはプラントへと戻り、ミリアリアたちはオーブへと艦を向けた。
地球軍に拘束されることを恐れ、ほとんどのクルーたちはそのままオーブへと亡命手続きを取り、それぞれの生活へと戻っていった。
ミリアリアやサイはもともとオーブの国籍を所持していたため、そのまま親元に帰された。
サイはすぐに復学し、オーブ国内のカレッジに通っている。
だがミリアリアは、まるで糸が切れた人形のようになってしまっていた。
来る日も来る日も部屋にこもり、机に飾ったトールの写真を眺め、夜になれば星空を眺めた。
それでも艦を降りて三ヶ月が過ぎる頃には少しずつ外にも出られるようになり、こうしてオーブの浜辺を軽く散歩するくらいまでになっていた。

 
手にした携帯は、ミリアリアを心配した両親が最近買い与えてくれたものだ。
気晴らしにもなるし、無事にヘリオポリスから脱出した友人と連絡を取ってもいいのでは、と手渡されたが、結局連絡を入れたのはキラとサイだけ。
そういえばキラから、カガリが連絡先を知りたがっている、とメールをもらい、教えて構わない、とだけ返信した。
以来、カガリからもたまにメールが送られてくるようになり、それまでより少しだけミリアリアの周囲は賑やかなものになった。
オーブの国家元首のプライベートナンバーを知っているなんて、なんだか不思議な気分だ。
自分はただの民間人なのに。
 

と、携帯が突然震え、ミリアリアは危うくそれを落としそうになった。
「…メール?」
画面に表示されているメールの発信者は、カガリだった。
慣れた手つきで画面を操作し、メールの内容を表示させる。
 
 
「………え?ちょ、え?」
「ミリアリア!」
 
 
興奮気味なメールの文面にさっと目を通して小さく声を上げるのと、風に乗って自分の名を呼ぶ声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
カガリからのメールの内容を脳内で咀嚼しながら、ミリアリアは声のした方をゆっくりと振り返る。
ミリアリアのいる場所から、目測でおよそ100メートル。
そこに、こんなところにいるはずのない人物が立っていた。
 
 
「…っ、ばか、じゃないの?」
 
 
ゆっくりと立ち上がり、ミリアリアは走り出す。
だが、ただの散歩のつもりで履いてきたミュールは、砂浜を走るにはあまりにも不向きで。
数歩走ったところでミリアリアは派手に転んだ。
それでもすぐに体を起こし、手元の携帯を投げ捨て、鬱陶しいミュールもついでに脱ぎ捨てて。
再び立ち上がったミリアリアは、今度こそ自分の名を呼んだままその場に棒のように突っ立ったままの少年の元へと全速力で駆け寄りーー反射的に腕を広げていたらしいその胸に飛び込み、力の限り、抱きしめた。
 
 
「…なんでそっちが泣きそうなのよ。なんで、こんなとこにいるの、よ?!」
「…だってお前、連絡先教えてくんなかったし?」
「だからって!ずるいわよ!カガリだって忙しいのよ?」
「俺が連絡出来て、なおかつお前の連絡先知ってそうな相手なんて、姫さんくらいしかいねぇもん。」
「サイだっているじゃない!」
「あー、うっかり連絡先聞くの忘れちゃってさ。…つーか、それ今問題にすべき案件?」
「は?!」
「いや、どっちかって言えば、あれだけ派手にすっ転んだお前の方が俺にとっちゃ大問題なんですけど?」
 
 
いつも通り、ふざけたことを口にするディアッカを、ミリアリアはきっ、と睨んだ。
 

「バカ。大バカ野郎よあんたなんて。さっさといなくなって、連絡一つ寄越しもしないでいきなりこんな…っ」
「連絡先がわかんなかったの。それに、ゴタゴタしてその余裕がなかったのも事実だし?…つーか、だいじょぶ?怪我してない?」
「どうでもいいわよそんなこと!バカっ!!そんな大変な時に、何しにこんなとこに来たのよ?!」
 

口調とは裏腹に、ディアッカの背中にしっかりと回されたミリアリアの腕の力が緩むことはなくて。
ディアッカはそっとミリアリアの細い体を抱きしめ、柔らかな笑みを浮かべた。
「あっちでケジメつけたから、今度はこっちでもちゃんとケジメつけたくてさ。」
きつい視線に混じって浮かんだ疑問の色を見逃すことはせず、ディアッカは綺麗な碧い瞳を見下ろした。
ミリアリアはそれを受け止め、ディアッカの言葉を待つ。
 
 
「トールのこと、忘れてほしいなんて思ってない。多少…妬くことはあるかもしれねぇけど、それでも、そういうお前ごと受け止めたい。それを伝えたくて、ここに来た。」
 
 
落とされた告白に、ミリアリアは目を見開いた。
険のある眼差しは瞬く間に消え、そこに浮かぶのは戸惑い、だった。
それに気づかぬはずもないのに、ディアッカは言葉を続けた。
 
 
「俺はそういうお前を好きになった。本当はずっとそばにいたかった。離れている間、お前のところに戻りたい、ってしょっちゅう考えてた。…だけどやっぱり俺は軍人だし、ケジメはつけたかった。」
 
 
ディアッカの口からこぼれ出る言葉を、ミリアリアは全身で受け止めようと必死で耳を傾けた。
いつも斜に構えて、たまにひどく打算的で、ふざけたことばかり言っていたディアッカ。
でもいま彼が口にしているのは、何の打算もない、真実だ。
根拠などないけれど、ミリアリアはそう確信していた。
 
 
「好きだ。ミリアリア。」
 
 
まるで心に直接染み込んでくるような、声。
いつの間にか大きな瞳いっぱいに溜まっていた涙が、瞬きと同時にぽろぽろとこぼれ落ちるのが分かった。
それを拭うこともせず、ミリアリアはもう一度瞬きをし、ディアッカを見上げた。
仮にも愛を告白しているというのに、何でこいつは、こんなに泣きそうな顔で笑っているのだろう?
ああ、そうか。
私、何もまだ返事をしていない。
本当の想いを、一つも伝えられていない。
伝えなければ。ちゃんと、自分の口から、自分の言葉で。
会いに来てくれてありがとう。こんな私を、好きになってくれてありがとう。
せっかくまた会えたのに、こんな顔、させたくない。
だから、言ってあげなくちゃ。自分の、素直な想いを。
 
 
「…おかえり、ディアッカ。」
 
 
少しだけ垂れた紫色の瞳がここまで大きく見開かれたのを、ミリアリアは初めて見た気がした。

 
「………え」
「私も、あなたが好き。会いたかった。声が聞きたかった。だから…おかえり、なさい、ディアッカ。」
 

よく見たら着ているシンプルなシャツもジーンズもよれよれで、綺麗な金髪も潮風でちょっとだけ乱れていて、砂浜だというのに全くそぐわないショートブーツなんて履いていて。
それでも、ぽかんとした顔から徐々にぱぁっと広がるディアッカの笑顔が、こんなにも愛おしくて。
 
 
「…ただいま、ミリィ。」
「おかえり、ディアッカ。」
 
 
きつく抱きしめられ、腕の中に閉じ込められながらミリアリアはそっと目を閉じた。
何度でもおかえりって、言ってあげる。
だからどこに行ってしまっても、ちゃんとーー帰ってきてね。私のところに。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 

 

Twitterで拾ったネタから生まれたお話です。
種終了後、プラントに戻ったディアッカとの再会を、長編沿いとは別で書いてみました。
ディアッカの帰る場所は、どんな時でもミリアリアの元であって欲しいです。

 

 

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