チョコレート

 

 

 

 
ミリアリアは泣きすぎてじんじんと痛む目と頭を抱え、展望室の隅に座り込んでいた。
今日は、ここでもきっと大丈夫。
ミリアリアは膝を抱え、そこに顔を埋めた。
 
 
先ほどの戦闘で、バスターが被弾した。
もっともそれは小破、とも言えない程度のものだったが、それでもミリアリアの胸はまるで氷の塊を詰め込まれたかのように冷たくなった。
必死で通信越しにディアッカの名を呼んだ。
しばらくして、耳障りな雑音に混じり、いつも通りの声がインカム越しに聞こえてきた時、ミリアリアはあまりの安堵感に力が抜けたものだった。
 

今頃、バスターのパイロットであるディアッカは被弾した機体の再調整に追われているだろう。
だからいつものように、こうして人気のないところでミリアリアが泣いていようが、近くにやってくることはない、はず。

 
宇宙に上がった頃に比べたら、こうしてひとり涙することは格段に減ったと思う。
だからと言って、トールのことを忘れたわけではない。
泣かなくなったのは、ミリアリアの心の中の隅っこに、いつの間にか入り込んできた存在のおかげ、だと思う。
まだ食は細いが、以前よりは睡眠も取れるようにもなった。
だが先ほどの戦闘は、思いの外ミリアリアの精神にダメージを与えていた。
一度戦闘が始まってしまえば、ミリアリアがどんなに手を伸ばそうともう、届かない。
ミリアリアに出来ることは、目の前のモニタに映る戦況を報告し、艦長の指示を迅速にパイロット達に伝えること。
それ以外はーー何もないのだ。ただ、見守ることしかできないのだ。
かつて目にした『SIGNAL LOST』の文字が脳裏をよぎり、ミリアリアはぶるり、と震えた。
大丈夫。努力する、ってあいつは言ってた。だから、大丈夫。
 
 
「寒いの?」
 
 
突然落とされた声に、ミリアリアは小さく悲鳴をあげる。
恐る恐る顔を上げると、そこにはバスターのパイロットであるディアッカ・エルスマンが苦笑を浮かべて立っていた。
 
 
「寒いのかって聞いてんだけど?」
 
 
ディアッカの言葉に、ミリアリアは慌てて首を振る。
よく見ればディアッカのむき出しの腕や赤いジャンパーには、ところどころオイルのような汚れが付着していた。
いくらディアッカがコーディネイターだろうと、こんな短時間で調整が終わるものだろうか?
 

「バスターの…調整、は?」

 
やっとの事でそれだけ口にしたが、自分でもその力のない声にびっくりする。
 

「ああ、被弾箇所の修復はマードックの親父の領域だし?俺はとりあえずOSの調整して、ちょろっと整備手伝ってたんだけどさ」
「…けど、何?」
「パイロットはとっとと寝て体力つけとけって追い出されちまったの。ったく、自分らの方がよっぽど体力ねぇくせにさー」
 

そう言って軽く伸びをすると、ディアッカはつかつかとミリアリアの元まで歩み寄り、すっとしゃがみ込んだ。
 
 
「上着…貸してやりたいところだけど、かえって汚れちまうな、これじゃ」
 
 
パイロットであるディアッカだって、度重なる戦闘で疲れているはずなのに。
それを一番よくわかっているからこそ、マードックたち整備クルーはディアッカに休めと言ったのだろうに。
それなのに、どうしてこの男は、いつも、いつだって。
 

「こんな時にまで…なんでよ?」
「なにが」
「私のことに構ってる暇があったら休むのが先でしょ?!あんた被弾したのよ?わかってるの?!」
「ミサイル一発掠ったくらい、どうって事ねぇよ」
「あんたはそうかもしれないけど!ただ見てるだけしか出来ないこっちの身にもなりなさいよ!」
 

瞳に熱がこもり、ぶわ、と涙が浮かぶのが自分でもわかった。
さっきまで散々泣いていたのに、涙は枯れる事を知らない。
馬鹿みたいだ。子供みたいに喚いて、泣いて。
そんな事をしても仕方がないのに。
どこか冷めた思考でそう思いながらも、ミリアリアの口からは勝手に言葉が飛び出し続けた。
 
 
「努力する、って…言ったくせに…」
 
 
いなくなってほしくない。
またあの言葉がモニタに表示されるかもしれないと思うと、どうしようもなく怖い。
だけど、ミリアリアはMSに乗って助けに行くことなど出来ないから。
自分にできる事を精一杯やって、あとはただ、祈るだけ。
 
 
お願い。いなくならないで。負けないで、と。
 
 
碧い瞳に今にも零れそうなほどの涙を溜め、ミリアリアはディアッカをきっ、と見上げる。
 

「…心配してくれたんだ?」
「なっ…そ、そんなの当たり前でしょ?だって…」
「あんなに俺の名前呼んでくれたの、初めてじゃね?」
「そんなことないわよ!メンデルでだって…」
「あん時は通信遮断されてたから、俺知らねーもん。」
「そ、そうかもしれないけど!いつだってしてるわよ!心配くらいっ!!」

 
きっぱりとーーと言うより半ば怒声に近い形でそう言い切ったミリアリアは、思わずはっと口を押さえた。
その拍子に、溜まっていた涙がぽろりとこぼれ落ちる。
そんなミリアリアを見下ろし、ディアッカはふわり、と嬉しそうに微笑んだ。
 
「俺、また自惚れそう」
「っ…バカじゃないのっ?!と、当然でしょう?僚艦のパイロットを心配するのはみんな、いっしょ…!?」
 
慌てて言い募るミリアリアは、ディアッカの顔しか見ていなくて。
だから、彼の手の動きまで、気が回らなかった。
そっと唇に長い指が触れ、ミリアリアの心臓が跳ねる。
次の瞬間ーー長い指にそっと何かを押し込まれ、ミリアリアの口内に、ふわりと甘い味が広がった。
 
 
それは、チョコレートの味、だった。
 
 
「疲れてんのはお前も一緒だろ?戦闘で気を張り詰めて、そんでそんな顔になるまで泣いて。」
 
 
思わず口元を押さえていたミリアリアは、柔らかい声に目を丸くした。
「だからさ、疲れてるときには甘いもの、ってね。それにお前、相変わらず飯ちゃんと食ってないんだろ?」
久しぶりに味わう甘いチョコレートは、あっと言う間に口の中で溶けてしまう。
 

「…なんであんた、こんな物持ってるの?」
「ああ、マードックのおっさんにもらっちゃった。以外と甘党なんだよね、あの人。だから、おすそわけ。」
 

ディアッカは立ち上がり、一瞬躊躇うそぶりを見せた後、ミリアリアに手を差し出した。
オイルの付いた、大きくて浅黒い手。
ミリアリアは軍服の袖で涙を拭うと、そっとその手を取り立ち上がった。
繋いだ手の温かさに、不安だった心がゆっくりと解されていくのをミリアリアは確かに感じた。
 
 
「戦闘配備は解かれてるし、次のシフトまでまだ時間あるだろ?部屋で寝ろよ。」
「…あんたはどうするの?」
「…えーと、もちろん、へ…」
「格納庫に戻るつもりでしょ」
 
 
ミリアリアの小さな手が、ディアッカのそれをぎゅっと握りしめる。
その力強さに、ディアッカは少しだけたじろいだ。

 
「許可はもらってるんだからちゃんと休みなさいよ。そんなんでもしまた戦闘になったら危ないんじゃないの?」
「いや、俺、コーディネイターだから大丈夫だって…」
「そんなのわかんないでしょ!キラなんてね、ちょっとレポートで遅くなっただけで次の日ほとんど居眠りしてたのよ?」
「それはちょっと状況的に違うんじゃ…」
「コーディネイターだから、ってひとくくりにするなら同じでしょ!キラだってコーディネイターなんだから!」

 
確かにその通りで、ディアッカは自分を見上げるきつい視線から思わず目をそらしてしまう。
 
 
「だからあんたも部屋で寝なさい。休める時に休むのも立派なパイロットの仕事でしょう?」
 
 
きっぱりとそう言い切ったミリアリアは、まだしっかりとディアッカの手を掴んでいて。
こんな時だというのに心が温かいもので満たされていくのをディアッカは感じた。
そして、唐突に名案が浮かぶ。

 
「…じゃあさ、ひとつ条件があるんだけどいい?」
「え?」
「次の食事の時間。一緒にメシ食べよ?7時に食堂。OK?」
「…え?」
 

突然の言葉に、ミリアリアはぽかんと目の前の男の顔を見上げた。
 
 
「メシは本来楽しく食うもんだぜ?隅っこでぼそぼそ食ってても味なんかしねーじゃん。」
「な、なんでそんな約束…それに、ご飯なんてシフトが合えばしょっちゅう一緒に…」
「偶然じゃなくて、時間決めて約束すんのが重要なの。ま、嫌なら別にいいけど?あー、なんか体が怠いなぁ」
「ちょっ…さっきと言ってる事が違うじゃない!」
「大丈夫。居眠りする程じゃねーよ。…たぶんな。」
 
 
不真面目な言動に、ミリアリアはぎゅっと空いた手を握りしめた。

 
「…わかったわよ、次の食事、一緒に食べればいいんでしょ!その代わりあんた、しっかり休みなさいよね?嘘ついて格納庫になんて戻ったら二度と口きかないから!」
「はいはい、アナタ様。約束はちゃーんと守りますよ?」
「だったら先に部屋、戻って!」
「えー?信用ねぇなぁ…」
「そういう問題じゃないの!いいからほら、早く!」
 

そう言って繋いだ手を離そうとした、その時。
ぐらり、と視界が揺れ、ミリアリアの体はディアッカの腕の中にあった。
汗とオイルとーーディアッカの、匂い。
 
 
「約束は…守るから。心配かけて、泣かせて、ごめん。」
 
 
小さく耳元で囁かれ、碧い瞳が見開かれる。
それが、次の食事の約束を指しているのではないことくらい、ミリアリアにも理解できた。
 

「おやすみ、ミリアリア」

 
温かな腕から解放され、少しだけ寂しさを感じる。
ミリアリアが返事をする前にひらりと手を振り、ディアッカは角を曲がって消えた。
 
 
この間交わした約束は、ミリアリアを支え、前を向く力をくれるもの。
そして今日交わした約束は、軽薄そうな態度の裏に潜む思いやり。
満足に食事もとらないミリアリアを心配してくれているからこその、ディアッカなりの不器用な約束。
 

「…おやすみ、なさい…」
 

口に残るチョコレートの味は、甘いはずなのに少しだけほろ苦かった。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 

前作が恋愛未満のDMなのに比べ、こちらは互いの想いを意識した上でのお話です。
以前頂いたリクエスト「負けないで」の後日談その2、になるのかな?;;
二人の微妙な関係性の違いを意識して書いてみたのですが…だ、大丈夫だろうか←超不安
「この感情に〜」では食堂での偶然の遭遇を夢見る(違う?)ディアッカでしたが、
今回はちゃんと約束を取り付けております!
その辺の微妙な部分で、二人の距離感の変化を表すことが出来ていたらいいな、と思います。

 

 

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2015,11,14拍手小噺up

2016,1,19up