この感情につける名前

 

 

 

 
与えられた仕事を終え、ミリアリアはひとつため息をついた。
宇宙へ上がり、もうすぐひと月。
大きな戦闘もなく、正規の軍人ではないミリアリアの出来ることと言えば、フレイがしていたような艦内の備品補充や倉庫整理くらいだ。
たまにデータの整理などもさせられていたが、最近はそれもない。
使っていたカートを所定の位置へ返すと、ミリアリアは周囲を見回し、ぼんやりと歩き出した。
 
 
たどりついたのは格納庫横の非常階段。
ここを使うクルーはほぼいないことをミリアリアは知っていた。
それは即ち、この場所は自分にとって「ひとりになれる空間」と言うことだ。
そう実感した瞬間、ミリアリアの碧い瞳からつうっと涙が零れた。
 
「…っ、トール…」
 
ごつごつとした冷たい床にミリアリアはへたり込む。
そして、大好きだった恋人の名を呼びながら泣き崩れた。
 
 
 
***
 
 
 
「あ、ディアッカ!ミリィ知らない?」
 
背後からかけられた声に、ディアッカはまたか、と言う顔で振り返った。
「あのさぁ。俺の拠点は格納庫。あいつやお前はブリッジ。お前のがよっぽどあいつといる時間長いんじゃねーの?サイ。」
じろりと睨まれ、サイは引きつった笑みを浮かべた。
 
「そりゃそうだけど…俺とミリィは交代でシフト組まれてるからさ。一度ミリィがブリッジを離れたらさすがに…」
「なに、あいつ交代の時間になってんのに戻らないの?」
 
途端、紫の瞳から発される剣呑なオーラにサイは慌てて首を振った。
 
 
「今日は俺たち二人とももう上がりだよ!ミリィは先にブリッジを出て、艦内の備品補充してから休むって言ってたんだけど…」
「…けど?」
「食事もとってないって厨房で聞いて部屋へ寄ってみたんだ。でも…いなくてさ。ベットもきれいなままで寝た様子もないし、ちょっと心配になっちゃってさ。」
「…で、なんで俺んとこ来るわけ?」
「だって君、よくミリアリアと一緒にいるじゃない。…って、ディアッカ?」
 
 
くるりと踵を返し早足で歩き出したディアッカに、サイは驚き声をかけた。
 
「あいつ丁寧だから、備品補充に時間かかってんじゃねえの?見かけたら声かけとくから、お前もとっとと休めよな。」
「え、あ、ディアッカ!」
 

自分を呼ぶ声も耳に入らない様子で消えていったディアッカを呆然と見つめた後、サイは溜息をついた。
 
 
 
***
 
 
 
「…っく、トール…ひっく、う…」
 
いつもは心の中だけで呼ぶ、大好きだった人の名前。
ここなら誰も聞いていない。だから、好きなだけ声に出して、涙を流しても大丈夫。
そうしないと自分はーーいつか、壊れる。
冷たい床に蹲ってただ涙を流すミリアリアは、非常階段に通じるドアがそっと開いたことに気づかなかった。
ふわ、と不意に自分のすぐ隣に熱を感じ、びくり、と肩が揺れた。
 
 
ーーどうして、放っておいてくれないんだろう。
 
 
頭の上が温かくなり、その熱はゆっくりと移動する。
ミリアリアにそんなことをする人物はAAの中にたった一人。見なくてもわかる。
優しくしないでほしい。放っておいてほしい。
ひとりにして。私の中に、入ってこないでーー!
 
「…っく、やめ、て」
隣に陣取っているコーディネイター、ディアッカ・エルスマンは、ミリアリアの弱々しい拒否の言葉など意に介さない様子で、優しく頭を撫で続けた。
 
「なんで…ひっく、いつも、来るのよ…」
「…さぁ?」
 
のんびりとした口調からは、ここからいなくなってくれる気配など微塵も感じられなくて。
怒鳴りつけたい衝動をなんとか抑え、ミリアリアは言葉を続けた。
 
 
「休憩…でしょ?ひ、くっ…さっさと、食堂でもどこでも、行けば?」
「ああ、今日はここで休憩してんの。俺。」
「ばか、じゃないの?っく、パイロット、なんだから…。ご飯…」
「お前はいいのかよ?ろくに食ってないくせにさ」
「…どうだって、いいでしょう?!」
 
 
のらりくらりとした言葉にしびれを切らし、がば、とミリアリアは顔を上げ、隣に陣取るディアッカを睨みつけた。
碧い瞳から、新しい涙がぽろぽろと零れる。
 
 

「あんたなんかに、関係ない!ひとりにしてよ!なんで…なんでいつも…!」
 
 

ちくり、と胸が痛んだのはなぜだろう。
頭の片隅でそんなことを考えながらも、不意にぐらりと揺れた視界に思考が遮られる。
「…え…」
目の前にあるのは、いつの間にかジャンパーを脱いでいたディアッカの、白いTシャツ。
ミリアリアはディアッカの手にに横から頭を抱えられ、その逞しい肩に引き寄せられていた。
 
 

「俺の前なら何を言ってもいいし、いくらでも泣いていいからさ。…ひとりで、泣くな。」
 
 

ひとりで、泣くな?
でも、わたしはひとりなのに?
トールはもう、いないのに?
 
 
ばさり、という音が耳元に響き、ディアッカがジャンパーを頭にかぶせてくれたのだと気づく。
泣き顔が見えないように、と気を使ってしてくれたであろう行為に、ミリアリアの体からゆっくりと力が抜けていった。

 
ーーーあったかい。
 

こうやってトールもよく、自分を抱きしめてくれた。
度重なる戦闘で不安がるミリアリアをなだめ、落ち着かせてくれた。
でも、この人はトールじゃない。トールじゃ、ないのに。
 
 
どうして私は今、こんなに安心してるの?
 
 
こんなの、おかしい。そう心では思っていても、どんどん引き寄せられ寄りかかってしまう、自分自身がミリアリアにはわからなかった。
きゅ、と少しだけ自分に回された腕に力がこもるのを感じ、不意に悔しさがこみ上げる。
まるで心の中を見透かされている、そんな気がして。
それでもどんどん溢れてくる安堵感は抑えられなくて。
ミリアリアはただぽろぽろと涙を零し、力なく拳でディアッカの胸を何度も叩いた。
 
 

「なに、よ…!あんたなんかに…っ、ふ、うっ…」
 
 

意味のない強がり。八つ当たり。
自分でもよくわかっていたが、口にせずにはいられなかった。
それでもディアッカはミリアリアの髪に手を伸ばし、黙ったままゆっくりと何度も撫でてくる。
どうしてこの男は、みっともなく泣きじゃくる自分なんかのそばにいてくれるのだろう。
私はひとりになったはずなのに。
なんで受け止めてくれるの?
 
 
どうして一緒に、いてくれるの?
 
 
疑問、安堵感、喪失感、苛立ち。
それらがぐちゃぐちゃに頭の中に渦巻き、どうしたらいいかわからなくて。
ミリアリアはディアッカの胸にすがりつき、大声をあげて泣くことしかできなかった。
 

そうして、1時間近くも経った頃。
泣き疲れたミリアリアは、ディアッカにもたれかかりぐっすりと眠ってしまっていた。
 
 
 

***
 
 
 
腕の中の温かい塊が身じろぎ、ディアッカははっと目を開けた。
素早く辺りを見回し、状況を確認する。
そして視線を落とし、温かい塊がなんなのかを確かめーー細く長い息を吐いた。
温かな塊の正体は、ミリアリア。
失った恋人を想い、人目を忍んで泣いていたナチュラルの少女だった。
 
周りに気を使われることを良しとしない彼女は、他人の目があるところでは明るく振舞っている。
だがその裏で、どんどんと心は壊れかけていて。
とてもじゃないけれど、見ていられなかった。
だからディアッカは出来る限りミリアリアの所在を確認し、見当たらなければこうして人気のない場所を覗いて回るようになっていた。
どうしてだかはわからないけれど、ひとりにさせておけなくて。
一人で泣いているミリアリアを放ってなどおけなくて、どれだけきつい言葉を浴びせられても意に介さず隣に陣取った。
本来そこは、自分以外の男がいるべき場所だということがわかっていても、やめられなかった。
この感情は、一体なんなのだろう。
優秀すぎるほど優秀な頭を持っているくせに、今まで感じたことのない感情の正体が、ディアッカにはわからなかった。
 

「ん…」
 

ミリアリアが小さく声を上げ、綺麗な碧い瞳がゆっくりと現れる。
そして、ゆっくりと視線が上がり、ミリアリアの瞳に自分が映った。
 

「…っ、あ…」
 

泣いて腫れぼったくなった目が、それでも大きく見開かれる。
「…あ、いや、ええと」
ディアッカは口籠りーーなぜ自分はこんなに動揺しているんだろう、と思った。
と、ミリアリアが体を起こし、小さな溜息をついた。
 

「…放っておいてくれて良かったのに。」
「っ、あのなぁ。そんなことできるわけねぇだろ。ここ、空調もまともに効いてねぇのに。風邪引きたいのかよ?」
「そうじゃないけど…あんただって疲れてるでしょ。環境も変わって、バスターの調整だってあるでしょ?」
「俺はコーディネイターだから平気なの。一応軍人だし?それを言うならお前だって…」
「暇な時間ができるのが、嫌なのよ。」
「は?」
 

ミリアリアがぽつりとこぼした言葉にディアッカは眉を上げた。
 
 
「暇な時間ができると…どうしようもなく寂しくなるの。だからできるだけ忙しくしていたい。だって、どうせ眠れないんだもの。だったら極限まで忙しくして疲れて何も考えられなくなってから眠ればいい。そう、思って…」
「それで?それが出来なかったからああやって隠れて泣いて、気持ちの帳尻合わせてた、ってわけ?」
 
 
それはまさに図星で、ミリアリアは俯くことしかできなかった。
きっと、バカなナチュラル、と思われただろう。面倒くさくて、弱くて、呆れられたかもしれない。
だがそんな予想に反して、ディアッカは大きな手を伸ばし、ぽんぽん、となだめるようにミリアリアの頭を優しく叩いた。
 
 
「ま、いいんじゃねぇの?お前の言いたいことはわかるし。でもさ、自分をぞんざいに扱うのだけはやめろよ。」
 
 
思いもよらなかった言葉に、ミリアリアは息を飲んだ。
 
「それって…どう、いう…」
「どれだけ悲しんだって泣いたっていい。一人きりになりたい時があるのもまぁ、わからないでもない。ただ、お前のことを心配してるやつだっているんだ、ってこと。それだけは覚えておいたほうがいいんじゃねぇの?無理してるの…見てることしかできねぇ、ってのも結構辛いんだぜ?」
 

そうか。辛いんだ。俺。
ミリアリアを見下ろしながら、ディアッカは自分が発した言葉の意味を噛み締める。
こいつが周りに心配をかけまいと無理して笑って、そうして陰で泣いているのを知っているから。
 
 
ーーどんなに隣で頭を撫でても、抱き寄せても、ミリアリアが心底求めてるのは自分じゃないことを痛いくらいに分かっているから。
 
 
「…私…」
震える声に、ディアッカははっと我に返った。
「あ、いや、だからって無理して元気に振る舞えって言ってるわけじゃねぇよ?泣くことを責めてるわけじゃない。たださ、心配するくらいは許してほしいっつーか、俺もその…話くらいなら聞く、し…」
だから、なんでこんなに焦って弁解してんだ、俺?!
目を泳がせるディアッカをミリアリアはぼんやりと眺めーーくす、と笑った。
初めて目にするかもしれない無防備な笑顔に、ディアッカの心臓が音を立てて跳ねる。
 

「そんなに気を使ってくれなくても、あんたの言いたいこと、ちゃんと伝わってるわよ。」
「へ?あ、ああ、ならいいけどさ」
 

ミリアリアはゆっくりと体を起こし、立ち上がった。
「これ。ありがと。寒かったんじゃない?」
そう言って手渡されたのは、赤いジャンパー。
「どうってことねぇよ。…あ、えっと、さ。今、何時?」
腕を伸ばしてそれを受け取りながら尋ねると、ミリアリアは腕に巻かれた時計に目を落とし、一瞬切なげな表情になる。
だがすぐに顔を上げ、「四時よ」と答えた。
 
「私、部屋に戻るわ。次のシフトまでまだ時間があるから。」
「…ああ。」
 
ミリアリアはくるりとディアッカに背を向け、非常扉に手をかけーーぴたり、と動きを止めた。
 
 
「すぐには無理かもしれないけど…あんたの言ったこと、よく考えてみる。ありがとう、ディアッカ。」
 
 
小さな背中を見つめながら、ディアッカは小さく息を飲む。
何か返事をしなければ。
だが、そう思っているうちに、ミリアリアの姿は扉の向こうに消えてしまって。
ディアッカは詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
 

「あー…マジ、何やってんだ俺…」

 
ディアッカは認めたくなかった。
非常時以外でミリアリアに名前を呼ばれることが、こんなにも嬉しい、だなんて。
 

か弱いナチュラルの女。死んでしまった恋人を想い続けて、ギリギリの精神状態でそれでも前を見続ける、女。
辛くないはずがないのに、周りに気ばかり使って、見えないところで一人で泣いて。
ひとりになりたい時があるのだって分かってはいる。
だが、どうしようもなく、気になってしまう。
 
 
この感情につける名前が、分からない。
 
 
壁に頭をこてん、と預け目を閉じ、しばらくそのままでミリアリアのことを考え。
ぱちりと目を開けたディアッカは、一つ伸びをすると、立ち上がった。
今は小康状態だが、この先何があるかなんて分からない。
この平穏な時間がいつまで続くのか。いつ戦闘になり、出撃命令が下るのか。
分からないことだらけの中で、先なんて全く見えない中で、ひとつだけ分かったこと。
 
 
あいつを一人で泣かせたく、ない。
迷惑がられるのは承知の上だけど…それでも、出来るならあいつが泣いている時、そばにいたい。
 
 
この感情につける名前が分からなくてもーー今はそれで、いい。
あいつは俺のしどろもどろな言葉に耳を傾け、名前を呼んでくれた。
今は、それだけで充分だ。
 
 
「あと2時間、ってとこか。…俺も戻るかな。」
 
 
うっかり硬い床に座り込んだまま眠ってしまったせいで、やや体が痛む。
だが身体能力に特化されたこの体ならば、2時間の休息で充分回復可能な範囲だろう。

 
朝メシ、かちあわねぇかなぁ…。
 

そんな希望的観測を思い浮かべながら、ディアッカはゆっくりと扉を開け、与えられた自室へと歩き出したのだった。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 

拍手小噺「花冠」とリンクした今回のお話、主にミリアリア視点となっております。
(実際はそうでもない、という自覚はございますがorz)
ちらっと9000hitのネタを挟んでみたりもしつつ、楽しんで書かせていただきました!
恋愛未満な二人をお楽しみいただければ幸いです(●´艸`)

 

 

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2015,11,14拍手小噺up

2016,1,19up