「サーシャがいなくなった?」
長丁場の会議を終えようやく執務室に戻ったイザークは、ディアッカの言葉に思わず声を上げた。
「ああ、サイに連絡があったんだと。ここに来る事はまずないと思うけど、一応頭に入れておいてほしい、ってミリィからメール貰った。」
「確か…サーシャは今、自宅を離れていると言う話ではなかったか?」
「あれだろ?幼年学校主催のハロウィンパーティー。親睦を深める為とかで、泊まりがけでやるんだよなぁ。」
「その会場からいなくなったと言うのか?教師は一体何をしているんだ?」
「まぁな…。ま、とりあえずそう言う事があった、って頭に入れとけよ。」
「ああ。分かった。」
イザークは小さく溜息をつき、不要な書類をシュレッダーにかけた。
それから数時間後。
ディアッカと別れエアカーに乗り込んだイザークは、少し迷った後運転を自動走行に切り替え、シートに体を預けた。
ぼんやりと窓の外に目を向ける。
10月も終わりに近づき、だいぶ夜風も冷たくなって来た。
そう言えばサーシャは見つかったのだろうか?
確か、サイの妻ーサーシャの母親ーは、仕事で家を空けているはずだ。
冷静でしっかりしているサイだが、やはり一人では何かと不便ではないだろうか。
ーーー電話の一本でも入れてみるか。
そう思い、懐から携帯電話を取り出した瞬間、甲高い着信音が鳴り響いた。
「……通知不可?」
画面に表示されたままを思わず口に出し、イザークは眉を顰める。
その間も着信音は鳴り続けていて。
イザークはゆっくりと通話ボタンを押した。
***
指定された公園にイザークが足を踏み入れると、ブランコに座る小さな影が見えた。
「サーシャ。風が避けられる場所にいろと言ったはずだが?」
イザークの声に、ハロウィンの仮装をした少女ははっとあどけない顔を上げた。
くすんだオレンジと黒を基調とした膝丈のワンピース。黒と白のダイヤ柄のタイツに底の厚い靴。
ふわふわの茶色い髪にはワンピースにあしらわれた黒猫とお揃いの猫耳がついていた。
「…やっぱり、風邪引いちゃうかな?」
「このままずっとここにいればそうなるな。」
「……わたしが、ハーフコーディネイターだから?」
少女の口から零れ出た言葉に、イザークは息を飲んだ。
「わたしはやっぱり、みんなとは違うの?イザーク。」
父譲りの水色の瞳に涙を溜めて自分を見上げるサーシャ。
イザークは黙ったまま、ブランコを取り囲むように設置された柵に腰掛け、サーシャと向かい合った。
「幼年学校で、何を言われた?」
「…ハーフコーディネイターのくせに、みんなと同じだと思うな、って。ハロウィンだからって調子に乗るな、って…」
「それで、宿泊先を飛び出して来たのか?上着も持たずに。」
「……うん。」
「そこにいた全員にそう言われたのか?」
「ううん。たまたまお友達が先生に呼ばれて、わたし一人で待ってたの。その時に…」
「…そうか。」
先程の電話の相手は、サーシャだった。
陽の落ちた公園に一人でいる事を心配して声をかけてくれた女性に帰宅を強く勧められ、電話をかけて来たらしい。
気を使って番号通知をオフにする辺りがサイの娘だな、とイザークは苦笑した。
だが、サイに連絡して迎えに行かせる、と言うイザークの主張を、サーシャは頑に拒んだ。
不思議に思いながらも今いる場所を離れないよう言い聞かせ、イザークはシホに連絡を入れた。
『…何か、サイさんに知られたくない事があるのかもしれませんね。』
「サーシャがか?まだ8歳だぞ?」
『8歳でも、女の子でしょう。それにお母様が不在であれば尚の事、です。』
「そう言うものか?」
『そう言うものです。…イザーク、こちらは大丈夫ですから、サーシャの所へ行ってあげては?』
「っ、だが…」
『二人とももう寝ましたし、わたしは大丈夫です。…まさか8歳相手に朝帰りは無いでしょう?』
「年齢関係なく、無いな。」
『ふふ、そうですね。…では、何かあれば連絡を。』
「ああ。…ありがとう、シホ。」
そして指定された場所に到着したイザークは、サーシャの話を聞き胸に苦いものが込み上げるのを感じていた。
自分の感じた疑問をサイに問う事は、まだ幼いサーシャには難しいだろう。
ディアッカとミリアリアが結婚したのはもうだいぶ前だ。
コーディネイターとナチュラルの架け橋、と当時話題になった二人の結婚は、同時に婚姻統制のシステムをも覆す程の影響力をプラントに与えた。
遺伝子の適合率に縛られない結婚。
遺伝子操作を施す、施さない、という選択。
異種族であるナチュラルとの結婚。
今まであり得なかった数々の選択肢を目の前に提示され、コーディネイター達は戸惑いながらもそれを受け入れつつある。
この数年で、プラントの結婚事情は大きく変化を遂げたのだった。
サイの選んだ女性はコーディネイターだったが、彼らは生まれて来る子供に遺伝子操作を施さないという選択をした。
コーディネイター同士でも、遺伝子を操作しないまま子を成す夫婦が増えている。
しかし、そんな中でもまだ一部とは言え、ナチュラルに偏見を持つコーディネイターは存在していた。
サーシャはナチュラルとコーディネイターのハーフだ。
母譲りの美貌と父譲りの明晰な頭脳を持つサーシャであったが、その出自ゆえ、目の敵にされる事があったのかもしれない。
「サーシャは…自分の生まれについて不満があるのか?」
イザークの静かな声に、サーシャは俯いていた顔を上げた。
「……わからない。でも、みんなと私は違う、って事はわかる。」
「同じ人間などいない。俺とディアッカだって全く違うだろう?見た目も得意分野も、性格も。」
「でも二人はコーディネイターだわ。風邪だって滅多にひかないし、頭もいい。」
イザークは腰を上げると、ブランコに座るサーシャの前にしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。
「それでも。俺とお前は、同じ人間だろう?俺はお前の父親やミリアリアから、その事を教わった。」
「パパから…?パパが、イザークに何かを教えたの?」
きょとんとするサーシャに、イザークはふわりと微笑んだ。
「確かに身体能力や知能的な面で、コーディネイターはナチュラルより優れている。だが…心はコーディネイト出来ない。」
「こころ……?」
「そうだ。どれだけコーディネイトされていようと、喜怒哀楽を感じる心に違いなどない。そして、努力する力、人に優しくあろうとする気持ちに遺伝子など関係ない。
俺は、サイからたくさんの事を教わった。ミリアリアからもな。…たいした違いなどないんだ、二つの種族には。」
「……そう、なの?」
「そうだ。お前の父親はナチュラルだが、俺より優れた所をたくさん持っている。逆もまた然りだ。」
「…わたしは、わたしのままでいいの?」
澄んだ水色の瞳でまっすぐにイザークを見つめ、首を傾げるサーシャの小さな頭に、イザークはふわりと手を乗せ、ぽんぽん、と優しく叩いた。
「当たり前だ。ハーフコーディネイターであろうが、サーシャはサーシャだ。代わりなどいないし、そんなものは必要ない。この俺が保証する。」
イザークの言葉に、サーシャの表情がぱぁっと変わる。
「…うん!」
「よし。…ハロウィンパーティーは何時からなんだ?」
「え?えと…7時から、9時までだけど…」
イザークが腕時計に目を落とすと、時計の針は8時少し前を指していた。
「行くぞ。会場まで送る。」
「っ、え?!で、でもわたし、勝手に飛び出しちゃったんだよ?」
「そうだな。まずそれを謝罪して、パーティーに参加するのはそれからだな。」
「……そうだけど、でも」
「せっかくの仮装がもったいないだろう?よく似合っているぞ?それに、理由はどうあれ筋は通さねばならない。分かるな?」
「…うん。」
イザークは立ち上がると、す、とサーシャに手を差し出した。
「俺も立ち合おう。行くぞ。」
サーシャはぎゅっと握りしめていたブランコの鎖からそっと手を離す。
イザークの手に重ねられた小さな手は、ひどく冷えていた。
***
「サーシャ!心配したのよ!一体こんな時間までどこに…」
宿泊先のホテルから飛び出して来た中年の女性は、イザークの存在も目に入らない様子でサーシャをぎゅっと抱き締めた。
「せん、せい。あの…」
「こんなに冷えて!まだパーティーの途中よ?さあ、こっちへ…」
「先生!あの!私、勝手な真似をして…心配かけて、ごめんなさい!」
勢い良く頭を下げるサーシャに、先生と呼ばれた女性は目を丸くした。
「…失礼。サーシャのクラスの担任でいらっしゃいますか?」
女性はそこで初めてイザークの存在に気がついたらしい。
そして、相手が“あの”イザーク・ジュールだと言う事もすぐ気付いたのだろう。これ以上無いと言う程に目を見開いて、口をパクパクとさせていた。
「どうやら級友と少しばかり揉めてしまったようで。少し離れた公園から私に連絡をくれました。
サーシャも今回の件に関しては深く反省しています。どうか彼女の謝罪を受け入れてやって下さいませんか?」
頭を下げたまま微動だにしないサーシャを見下ろし、イザークはつい苦笑を禁じ得なかった。
律儀なのは父と母、どちらに似たのだろう?
「…ええ、もちろんです。サーシャ、顔を上げてちょうだい。こんなに可愛らしい仮装は初めて見たわ。」
「ママ…じゃない、母の、手作りなんです!」
顔を上げたサーシャは、女性の言葉ににっこりと微笑んだ。
「まぁ…とても素敵!世界にたったひとつの、あなただけのドレスなのね。」
「っ、はい!」
「ならますます早くパーティーに参加しなくては。ええと、ジュール議員…」
「お許しが頂けるなら、サーシャを入口までエスコートしても?」
「もちろんですわ。申し訳ありませんが会場内は生徒のみとさせて頂いておりますの。ですから…」
「構いません。ではサーシャ、行くぞ。」
イザークに促され、サーシャはもう一度ぺこりと頭を下げると小走りに会場へと向かった。
ドアの前で、サーシャは深呼吸をする。
無理もないだろう。この中にはつい先程諍いを起こしたばかりの級友もいるはずだ。緊張しないはずがない。
「サーシャ。俺の言った事を覚えているか?」
「…わたしは、わたしのままでいい。そうだよね、イザーク?」
イザークはアイスブルーの瞳を細めて微笑んだ。
「そうだ。何に恥じる事もない。顔を上げて、パーティーを楽しんで来い。土産話を楽しみにしているぞ。」
「うん!」
にっこりと笑顔を浮かべたサーシャはドアに手をかけーーくるり、とイザークを振り返った。
「イザーク、あの…ありがとう。わたし、もう大丈夫だから!」
意表をつかれ、イザークは少しだけ目を丸くしーー大きく頷いた。
「ああ、行って来い。サイには俺からうまく言っておく。」
「うん、ありがとう!じゃあまたね!」
サーシャがばん、とドアを開け、友人であろう少女達にあっという間に取り囲まれるのを見届けた後、イザークは踵を返した。
『担任から連絡を貰ったよ。ありがとう、イザーク。迷惑をかけてすまなかった。』
「いや、とにかくサーシャが無事で良かった。奥方は?」
『うん、仕事が予想外に早く終わったから、明日のシャトルに乗るってメールが来てたよ。サーシャが戻る事には家にいるんじゃないかな。』
「そうか。サーシャも喜ぶだろうな。あの衣装もよく似合っていた。」
『そうかい?…でもどうやら、トラブルの発端はあの衣装だったらしいんだけどね。』
「は?」
今度こそ妻と子供達の待つ家へとエアカーを走らせながら、イザークはサイからの電話に思わず声をあげた。
『やっぱりさ、クラスにはハーフであるサーシャの事、良く思っていない子もいるんだよね。
普段からライバル意識を持たれてるっぽいのは知ってたんだけど、先生が事情を聞いてくれて、どうやら自分の衣装よりサーシャの衣装を周りの子が褒めてて、それが悔しくて…って事らしい。』
「…難しいな、色々と。」
『まぁ…まだマイノリティだもんね、ハーフコーディネイター自体。それでも、大抵の人は受け入れてくれるし、僕やミリィが考えていたよりも風当たりは強くないよ。』
「ハーフである事を公にせず入学させるつもりは無かったのか?」
『ああ…うん、それは無かった。だって、世界はどんどん変わって行く。今はマイノリティでも、5年後、10年後は分からないだろ?
サーシャの生まれを偽るくらいなら、俺は家族を連れて地球へ戻るよ。』
「…そうだな。失礼な事を聞いてすまなかった。」
『いや、全然。こっちこそ本当にありがとう。シホさんにも心配かけたよね。よろしく伝えて?』
サイとの通話を終え、イザークは再びシートに体を預ける。
二つの種族が手を取り合える、偏見の無い世界。
“わたしは、わたしのままでいい。そうだよね、イザーク?”
サーシャが、そして彼女と同じマイノリティと呼ばれる者達が、そうではなくなる未来を、必ず作る。
あどけない少女の笑顔を思い出しながら、イザークは自動走行をオフにしハンドルを握ると、妻と息子達の待つ家へとエアカーを走らせたのだった。
2015年ハロウィン小噺その1、でございます!
タイトルの意味は、「顔を上げて、両手を挙げて!」です。
突貫で書いているので、イザークのキャラ崩壊がやや心配です(笑)
でもほら、未来の話ですしこのくらい達観して落ち着いてるのかな、って;;
そして、明るいはずのテーマなのに、何故かシリアス風味でごめんなさい;;
去年よりだいぶ大きくなったサーシャの母親については、後々明かされる事になります。
勘のいい方はもう気付いているのでは?(笑)
ハーフコーディネイターという存在は本編でもあまり触れられていない部分ですが、
出生率の低下に悩むコーディネイター達に取って、色々な可能性を秘めた存在だと
思います。
ただ、マイノリティである事に違いはなく、そこをどう本人と周囲が乗り越え、
理解して行くか、と言う部分がとても重要だと感じます。
ハーフである彼女達が蔑まれる事なく暮らす事の出来る世界。
それもまた、ディアッカやミリアリア、そして二つの種族の和平を目指すたくさんの
人達が目的とする世界のひとつではないかな、と思った所から生まれたお話です。
突っ込みどころや穴が満載かもしれませんが、その辺は生温くスルーしつつ(滝汗)
楽しんで頂ければ幸いです!
2015,10,31up