That’s the way it goes

 

 

 

 
薄暗い通路の向こうから、小さな足音が聞こえて来る。
こつ、こつ。
粗末なベッドに横たわっていたディアッカは、ゆっくりと起き上がり、怪訝な表情を浮かべる。
なんだろう、この違和感は。
 
 
「…食事よ。」
 
 
ことん、と冷たい床に置かれた食事のトレーからは、ほんのり湯気が上がっている。
育ちがいいのか、人がいいのか。はたまた罪悪感から来る行為なのか。
捕虜に与える食事など最低限のものでいいはずなのに、目の前の少女ーーミリアリア、と言うらしいーーはいつもこうして温め直した食材を持ってくる。
捕虜である自分にこんな事をしてくれるのは、彼女だけ。
だが、そのミリアリアの様子が少しだけいつもと違うことにディアッカは目敏く気付いていた。
いつもよりも重く、ゆっくりな足音。
俯いたままの碧い瞳。
ここへ来る時彼女が笑顔でいた事なんて一度も無かったが、今日のそれは何だかいつもと違うような気がして。
 
「あのさ。…なんか、あった?」
 
ついディアッカはそう問いかけていた。
ミリアリアがはっとしたように顔を上げる。
 
「別に。何もないわ。」
「じゃあなんで、そんな情けねぇ顔してんの?」
「っ…」
 
碧い瞳が、揺れた。
 
 
ーー俺、なんで敵兵相手にこんな事聞いてんだろ。
 
 
我に返ったディアッカは、目の前に立ち竦む少女の返事を待たずにトレーを引き寄せ食事を始める。
ミリアリアは無言のまま、独房のすぐ脇に、こちらに背を向けた姿勢でしゃがみ込んだ。
このままディアッカの食事が終わるのを待ち、トレーを下げるつもりなのだろう。
それ自体はよくある事だったので、ディアッカは気にせず食事を続ける事にする。
はぁ、と小さな溜息がミリアリアの口から零れた。
 
 
独房に、食器のぶつかる音と互いの呼吸音だけが響く。
ディアッカがパンをちぎった所で、すん、と鼻をすする音が微かに聞こえた。
 
 
「…あんたはきっと、怒られた事なんて無いんでしょうね。」
 
 
ぽつり、と落とされた言葉。
ディアッカはちぎったパンを皿に戻すとしばらく考え、口を開いた。
 
 
「…怒られるっつーか、怒ってる奴を宥める事ならよくあったけど。なに、お前怒られてへこんでんの?」
「…悪かったわね。ていうか、あんたにお前呼ばわりされる筋合いなんて無いんだけど。」
「あーすみません、アナタ様。で、何しでかして怒られたわけ?」
「…やりたくないから、やらなかったの。それだけ。」
「は?」
 
 
抽象的すぎて、意味が分からない。
ディアッカは食べかけの食事のトレイを脇に置くと、ミリアリアの小さな背中を訝しげに見つめた。
 
 
「あんたたちとの戦闘データの解析。やりたくなかったの。だからやらなかった。」
「…へぇ。」
「出来なければ聞いてくれ、って言われた。無理してやらなくてもいい、って言ってくれる人もいた。
でも、そうやって優しくされればされる程、意固地になって手を付けなかった。」
「…ふーん。で、それが上官にでもバレてお小言食らった、って訳?」
「そうね。こってり絞られたわ。当然よね。軍人なんだもの、こんなんでも。」
 
 
そう、こんなにもかよわくて小さな少女でも、敵兵のひとりであり、軍人なのだ。
ナチュラルの軍規など知った事ではない。
ただ、ミリアリアの口調はどこか自嘲めいていて、ディアッカはそれがやけに気になった。
 
「別に怒られようが構わない。そう思って何もしなかったの。」
「じゃあなんでへこむ必要があるんだよ?」
「……情けないからよ。」
「へ?」
 
意外な言葉に、ディアッカは目を丸くした。
情けない、とはどういう事だろう。
 
 
「何もしたくなかった。何かを頼む事も、努力する事も。だから何もしなかった。
それなのにサイもカズイも、腫れ物に触るみたいに私を慰めてくれた。最低じゃない、私。」
 
 
静かな口調ながらも少しだけ震える声。
おいそれと返事をしてはいけない気がして、ディアッカは次の言葉を待った。
返事などしなくても、彼女はまだ話を続ける。
何となく、そんな気がしていた。
 
 
「辛いのは、疲れてるのはみんな一緒なのよ。忙しいのも。
こんな気持ちになるなら最初から真面目にやれば良かったのに…被害者面して、周りに心配かけて。ほんと、最低。」
 
 
ああ、こいつって馬鹿みたいに真面目なんだ。
そのくせ意地っ張りで、周りに気を使って。
そんな彼女に課せられた、戦闘データの解析。
それは嫌でも“トール”の死を思い出させる行為、に他ならない。
誰の指示かなど知った事ではないが、それを彼女にさせようとした人物に、ディアッカは何とも言えない不快感を感じーーそんな自分に驚愕した。
 
軍人である以上、死と言うものは常に隣にあるもの。
もちろん死にに行くつもりで飛び出すわけではないが、そう納得した上で、自分達は戦争をしているのではないのか。
 
恋人であろうパイロットの戦死と戦闘データの解析とは全く別の問題なのだ。軍人として考えるなら。
かつてのディアッカなら、このような言葉を口にするものが近くにいたならひたすらに見下した事だろう。
だが、目の前で細い肩を震わせる少女はただ小さくて、儚くて。
見下すなんて出来なかった。見下そうとも思わなかった。
 
 
「あー。うん。しょうがねぇよ。」
「……え?」
 
 
驚いたようにディアッカを振り返ったミリアリアの碧い瞳は大きく見開かれ、涙が溜まっていた。
こんなに近くで彼女と視線を合わせたのは、あの医務室での出来事を除けば初めてかもしれない。
ああ、綺麗な碧だな、とディアッカは改めて感じる。
「なにが、しょうがないのよ。あんたになにが…」
「誤解すんなよな。責めてるわけじゃねぇよ。」
険の混じった視線を受け止め、ディアッカははぁ、と溜息をつくと背中を壁に預けた。
 
 
「要は自分の感情を優先して、周りに迷惑をかけた。それを悔やんでんだろ?でもさ、それってもう、しょうがなくねぇ?
最低だって言ってたけど、そう思うなら次からは同じ事しなきゃいいだけじゃん。
そもそも、それ自体最低だなんて思わないけどね、俺は。」
「…なによ、それ」
「確かに軍人なら、感情より任務を優先させるべきだ。だけど俺達は感情を持つ人間だ。
だから、しょうがねぇんじゃねぇの?周りの奴らだって、本心から心配してお前に声かけたんだろ。
お前が自分を最低だって言うんなら、心配してくれたやつらの気持ちはどうなんだよ。」
 
 
その言葉に、ミリアリアがはっと息を飲むのが分かった。
 
「感情のコントロールが出来りゃそれに越した事無いけど…誰もがみんな、そうやってうまく出来るわけじゃねぇ。
コーディネイターもナチュラルも、きっと一緒だろ?そこは。
上官から怒られたのはお前が軍人としての任務を遂行しなかったからであって、お前の感情にまでそいつが入り込む必要も権利もねぇ。
だからさ、その…あんま自分を卑下すんなっつーか…お前を最低だなんて思ってる奴はいねぇと思うし、もうちょい、その…」
 
うまい言葉が見つからず、ディアッカは内心舌打ちする。
女を前にして言葉に詰まるなんてありえなかったのにーーなんで、こいつに対してだけはうまくいかないんだろう。
けれど、ミリアリアにこんな顔をさせたくない。
その思いだけが頭の中を支配していて。
何だこれ。マジで俺、なにやってんだ?とディアッカはますます焦り、目を泳がせた。
 
口ごもってしまったディアッカを、ミリアリアは振り返ったままじっと見つめーーくるり、とまた背を向けた。
 
 
「……ここはいいわね。誰も来ないから。」
「…は?」
「なんでもないわ。…ご飯、早く食べないと冷めるわよ。せっかく温めたのに。」
「あ、ああ。」
「食事の途中に話しかけて、ごめん。食べ終わるまで…待ってるから。」
「…ああ。」
 
 
いきなりの話題転換に面食らったディアッカだったが、こちらに背を向けた肩が先程よりも震えている事に気付き、ミリアリアの言葉の意味が少しだけ分かった気がした。
泣きたくても、感情を爆発させたくても、出来なかったのだ。
いや、出来なくなって行った、と言うのが正しいのだろう。
 
初めて目にしたミリアリアは、白い顔をさらに青白くさせ、目をまっ赤にして俯いていた。
だが戦況の悪化に伴いーー最もディアッカはAAが今どこにいてどんな状況なのかなど知らされていなかったがーーそれも出来なくなって行った。
だから、誰も来ないこの場所を、いいわね、と言ったのだ。
ここなら、ディアッカ以外は誰もいない。
誰も見ていなければ、辛く不安な気持ちを心の中に押し込めず、表に出しても気にする事は無い。
 
 
だったら、好きなだけ泣けばいい。ここには誰も来ないのだから。
 
 
こちらに背を向けたまま静かに涙するミリアリアにそれ以上声をかける事はせず、ディアッカは食べかけの食事を再開した。
 
 
 
 
 
「…ごちそーさん。」
 
食事を終え、しばらく迷った挙句ぼそりとそう呟くと、ミリアリアは伏せていた頭を上げ、ゆっくりと立ち上がった。
くるりと振り返ったその顔をディアッカはつい凝視する。
僅かに赤みが残るものの、やはりその瞳は綺麗な碧、だった。
 
「食器、持って行くわ。」
「ああ。」
 
差し入れ口に食器を置いたディアッカの手と、それを取ろうとしたミリアリアの手が一瞬、触れて。
びくり、と体を震わせたミリアリアに、ディアッカの心がちくり、と痛んだ。
やはり、柵越しであっても怖いんだろうな、と思う。
ディアッカは、コーディネイターなのだから。
 
 
ーー俺が怖い?珍しい?
 
 
かつてそう口にしてミリアリアを煽った時にはそれが当然だと思っていたはずなのに、なぜ今はこんなにも寂しい気持ちになるのだろう。
だが、次の瞬間ミリアリアの口からぽろりと言葉が零れた。
 
 
「…とう」
「え?」
「話…聞いてくれて。ありがとう。」
「っ…」
 
 
ディアッカはきょとんと目を丸くし、そして自分の耳を疑った。
聞き間違い…じゃねーよな?今の?
 
「あんたの言いたい事…ちゃんと、分かったから。だから、ありがとう。」
 
食器を手に立ち上がり、視線を彷徨わせるミリアリアを見上げーーディアッカはくすり、と笑った。
 
「どーいたしまして。ま、たいした事言ってねぇけどさ。」
「そんな事…ない、けど。とにかく、ありがとう。もう大丈夫、だから。」
「あー、うん。ま、無理すんなって話。」
「……なんか、偉そうな言い方。」
 
少しだけムッとした口調。
それでも、さっきまでの萎れたそれよりはずっといい。
 
 
「あのさぁ、じゃあ次の食事にはコーヒーつけてよ。熱いやつ。それでチャラって事で。」
「何言ってんのよ。あんた捕虜でしょ。ここは戦艦で、カフェじゃないんだからね!」
 
 
つん、と顎を反らすミリアリアに、ディアッカはつい小さく声を上げて笑ってしまう。
そして、こうして笑う事自体随分久し振りである事に気付いた。
 
「…じゃあね。」
「はいはい。いってらっしゃいませ、アナタ様。」
「行ってきま…って、何言わせるのよ!調子に乗らないでよね!」
 
少しだけ頬を紅潮させ、今度こそ怒り口調に変わったミリアリアが、足音も荒く独房を去る。
ああ、やっぱあいつ、育ちがいいっつーかなんて言うか…。
優しい子なんだな、と以前にも感じた事があったが、それは間違いではないらしい、とディアッカは確信し、ごろりと固いベッドに横になった。
 
 
捕虜として拘禁されているおかげで、考える時間だけは山ほどあって。
ナチュラルの女なんて興味すらなかったはずなのに、気付けばついミリアリアの事を考えている事実に気付き、なんだかなぁ、とディアッカは溜息をつく。
それにしてもーー俺、なにこの状態で笑っちゃってんだろ。
ディアッカは壁際を向き、目を閉じた。
 
 
 
その日の夕食。
ミリアリアがそっぽを向きながら差し出して来たトレーには、いつものメニューの他に熱いコーヒーが載せられており、ディアッカはまた笑みを零す事になるのであった。
 
 
 
 
 
 
 
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久し振りにAA捕虜時代を舞台に小噺を書きました。
今回もお題サイト様からお借りしたタイトルを使用しています。
「That’s the way it goes」=「しょうがないよ」という意味です。
キリリク、そして長編それぞれ時間軸が違って自分でも脳内が整理出来ておりません(笑)
まだ恋愛感情まで行き着いていない二人を久し振りに書いてみましたが、私の中で
DMというのはラブラブ全開が標準モードなため、恋愛未満な二人をうまく表現出来たか
不安です;;
そして、こんなに距離のあった二人がこの後恋をして想いを通わせて行くのだなぁ…と妄想し
一人うっとりしております(●´艸`)
拙いお話ですが、皆様にお楽しみ頂ければ幸いです!

 

お題配布元「fynch」

 

 

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2015,10,21up