試し読み 「花のトワレ」

 

 

 

 

 

「久し振り、姫さん。アスランも。俺に用って何?」
濃紫の首長服を纏ったカガリは、この間の通信の時より少しだけ大人びて見えた。
だが、その手は机上できつく握りしめられ、琥珀色の瞳は潤んで、揺れている。
 
 
『単刀直入に話をさせてもらう。ーーーミリアリアが取材先で、ブルーコスモスの起こしたテロに巻き込まれた。』
 
 
その瞬間、ディアッカの周りから全ての音が、消えた。
 
 
 
「…テロ、だと?」
代わりに言葉を発したのは、イザークだった。
シホは固唾を飲み、モニタから流れるカガリの言葉を聞いている。
 
『以前お前に話した、北欧で起こったテロだ。…もう、3ヶ月程前になる。』
 
ああ、やはりあの時聞こえたのはミリアリアの声だったのだーー。
回らない頭の片隅で、ディアッカは妙に冷静に当時の事を思い出し、一人で納得していた。
 
 
『生存者はミリアリアひとり。取材先が少し事情のある場所だったから、私の方でも注意はしていた。だが…そんなものでは到底足りないくらい、そのテロは酷いものだった。虐殺行為、と言っていい程な。
ミリアリアは隠し部屋に匿われ、そこから何が行われたかを全て目にし、写真に残した。…オーブの特殊部隊があいつを見つけた時は酷い錯乱状態で、数人がかりでやっと押さえこむ程だったらしい。』
 
 
ディアッカは何も言葉を発さず、モニタに映るカガリをただじっと見つめていた。
 
『まともに話が出来るようになるまでにひと月近くかかった。あれだけのものを目にして、トラウマにならないはずが無い。ひとりにしておく訳にも行かず、ミリアリアは最近までキラとラクスとともにマルキオ導師の元で静養していた。』
 
 
「…それで?」
 
 
どこか乾いたディアッカの声。
成り行きを見守るシホの目が眇められた。
 
『やっと話が出来るようになってすぐ、取材相手との約束だ、と言って、ミリアリアはそのテロを記事にして世間に公表しようとした。だが、相手が悪くて…どこへ持ち込んでも断られた。
その頃からあいつは、過呼吸の発作を度々起こすようになった。現在は自宅へ戻っているし、カウンセリングも受けているが…効果はほとんど無い。今日も発作を起こして自宅で倒れているのをアスランが見つけ、病院へ運び込んだ。
さっきここに…マルキオ導師の元に連れ帰って、今は鎮静剤の効果で眠っている。』
「…で?それを聴いて俺にどうしろって?」
『ディアッカ!』
 
カガリの隣に立つアスランが、咎めるような声を上げる。
 
 
「俺とあいつはもう終わったんだ。もう何の感情も持ってないし、俺には関係ない。そんな女の話をする為に今更わざわざ連絡寄越した訳?」
「ディア…」
 
 
イザークの声にかぶせるように、カガリが震える声で言葉を続けた。
 
『…あいつが、それを望まなかったからだ。だから何度も迷ったけど…お前に連絡はしなかった。』
「じゃあ何で今になって?つーか、さっきも言ったけどあいつと俺はもう何の関係も…」
『お前がそう思ってても、ミリアリアは違うんだよ!この馬鹿野郎!!』
 
ぼろぼろ、と涙を零しながら怒鳴るカガリの肩に、アスランがそっと手をかける。
その姿がーー寄り添い支えあう二人の姿が眩しくて、つい目を逸らしそうになる自分をディアッカは必死で押さえ込む。
だがその努力は、続いたカガリの言葉に無惨にも打ち砕かれた。
 
 
『錯乱状態で発見された時も…発作で意識が朦朧としてる時も、あいつは…ミリアリアはお前を呼ぶんだ!お前の名前を何度も呼んで、助けて、って泣くんだ!!
それでも…それでも関係ないって言うのかよ、お前は?!』
 
 
俺の、名をーー呼ぶ?あいつが?
ディアッカの胸がずきん、と痛んだ。
『あいつはああいう性格だから…お前に対して素直になれないんだと思う。でも、今でもあいつはお前の事…』
そこまでカガリが口にした時。
横に立つアスランの表情が愕然としたものに変わった。
 
 
『…ミリアリア?』
 
 
はっとしたようにカガリがモニタから視線を外す。
そしてディアッカもまた、びくりと体を震わせモニタを凝視した。
 
 
『…誰と話してるの?カガリ』
 
 
感情の抜け落ちた細い声に、ディアッカの紫の瞳が揺れる。
モニタにその姿は映らなかったが、その声はまさにミリアリアのものだった。
 
『ミリ…』
『…私、帰る。もうここには来ない。カガリももう、私に構わないで。私は…もう、大丈夫だから。それじゃ。』
 
ばたん、とドアが閉まる音がモニタ越しに聞こえる。
 
『ミリアリア!』
『キラかラクスが外にいるはずだ。今はそっとしておいた方がいい。』
 
立ち上がりかけたカガリを、アスランがそっと押しとどめる。
「…元気そうじゃん、あいつ。本人が大丈夫って言ってんだから、俺はもういいだろ?」
いつもの表情を取り戻したディアッカの言葉に、返事をしたのはアスランだった。
 
 
『ディアッカ。これが何だか分かるか?』
 
 
ぐい、と差し出すようにしてモニタに映し出されたものを目にしたディアッカは言葉を失う。
「…っ」
それは、まだ二人が付合っていた頃、自分が選んで贈ったトワレの瓶、だった。
デイジーの花を模したかわいらしいデザインの瓶がミリアリアにぴったりに思え、香りはディアッカの好みにぴったりで。
自分の好きな香りのトワレを好きな女に贈る。
そんな事をしたのは後にも先にもミリアリアにだけだった。
 
『俺が発見した時、彼女はこれをしっかり握りしめたまま倒れていた。発作を起こしながらこれを部屋中に振り撒いたんだと思う。外にまで香りが漏れて来ていた。』
「…だから、何だって言うんだよ。確かにそれは俺があいつにやったものだけど、そんなの…」
『そんなの、って何だよ!ふざけるな!!』
 
俯いていたカガリが顔を上げ、きっ!とディアッカを睨みつけた。
 
 
『これは、お前とミリアリアを繋ぐ唯一のものなんじゃないのか?咽せかえるる程これを振り撒かなきゃならないくらい、あいつはお前を求めてるって事なんじゃないのか?!』
 
 
だん!と拳を机に叩き付けるカガリ。
イザークは小さく溜息をつき、シホもまたそっと目を伏せた。
ディアッカはモニタに映るトワレに目をやる。
瓶の中身はもうほとんど底が尽きかけていた。
 
『…俺は彼女にこれを返してくる。』
 
そう言ってモニタから消えるアスランに、ディアッカは何も言う事が出来なかった。
 
 
『ディアッカ。お前とミリアリアの間にどんないきさつがあって今の状況になっているのかは知らない。ミリアリアも詳しくは話そうとしなかった。
だけど…泣きながらお前を何度も呼んでるあいつをこの目で見て、アスランからこのトワレの事を聞いて…やっぱり、お前に話をしなきゃ、って思った。』
「…大概お節介だよな、姫さんも。」
 
 
モニタから目を逸らしたままやっとの事でディアッカはそれだけ答えた。
 
 
「何度も言うようだけど。俺とあいつはもう何の関係もない。俺はもうあいつの事なんて何とも思ってない。」
『…本気で言ってるのか?あいつに会いにくるつもりも無い。考える余地もないと?』
 
 
押し殺したようなカガリの声。
「…だから。何度も言わせないでくんない?」
呆れを含んだようなディアッカの声。
カガリは琥珀色の瞳を伏せ、溜息をついた。
 
『…そうか。分かった。無駄な時間を取らせて悪かったな。ジュール隊長も、勤務時間内にこのような私信、申し訳ない。ありがとう。』
「…いや。それより彼女を追いかけなくていいのか?」
 
イザークの言葉に、そっとディアッカの拳が握りしめられたのをシホは見逃さなかった。
『今から追いかけても間に合わないかもしれんが…行くだけ行ってみる。本来まだ起きて動き回れる体じゃないんだ、あいつ。
とにかく…感謝する。それじゃ。』
 
 
 
ぷつん、と言う音とともに通信が途絶え、モニタが真っ暗になる。
 
「ディアッカ…お前」
「悪い、イザーク。シホも。プライベートな話に付合わせちまったな。」
 
途端、いつもの口調になったディアッカはゆっくりと執務机を離れ、ドアに向かった。
 
 
「マジでもういいんだ。俺には関係ない話だから、今更言われても、ってね。…んじゃ俺、報告書出してくるわ。」
 
 
軽く笑みまで浮かべそう言いきり、ディアッカは隊長室を出て行く。
残されたイザークとシホは、思わず顔を見合わせたのだった。
 

 

 

 

 

 

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