ダイアリー

 

 

 

 

「ほら、何してる。入れ。」

 
 
厳つい顔の男性にそう言われ、アンジェラはゆっくりと部屋に足を踏み入れた。
「今日からここがお前の部屋だ。と言っても必要最低限のものしか無いけどな。
ま、時間はたっぷりある。欲しいもんがあったらその都度揃えて行けばいい。」
「…はい。」
小さく返事をし、アンジェラは淡い光が漏れる窓へと近づき、そっとカーテンを開けた。
途端に明るい光が差し込み、アンジェラは思わず目を細めた。
 
 
「今日から、ここがお前の帰る場所だ。分かったな?」
 
 
かえる、ばしょ。
 
 
少なくとも一昨日まで、アンジェラの帰る場所は、ここではなかった。
帰るとか帰らないの前に、ひとりでは外出すら満足にした事が無かった。
宿の女将は、アンジェラにそれを許してくれなかったからだ。
一番の売れっ子だったアンジェラは、その法外な売値に関わらず、昼夜を問わず客の相手をさせられた。
コーディネイターである事と、自らの体質故に、月のものがやって来てもそれほど体調を崩す事も無い彼女に女将は、「口も手もあるんだから、奉仕する手段は山ほどあるだろう」と最低限しか休みを与えていなかった。
 
柔らかくてふわふわの髪、幻想的な色違いの瞳をもつ端整な美貌、しっとりと手に吸い付くようなきめ細かい肌にかわいらしい細い声。
あの街に軒を連ねる娼館の中で、アンジェラのいた宿は彼女のおかげでナンバーワンと称されている、といっても過言ではなかった。
 
ここにいれば、自分がまだ誰かに必要とされている事を実感出来る。
たとえどんなにひどい扱いを受けても、忘れてしまう事が出来るのだから、辛くない。
そう思っていたアンジェラを、ある日尋ねて来たのが目の前に立つ厳つい男だった。
あまり無理な事を要求されなければいいのだけれど、と内心思っていたアンジェラに、その男はこう言った。
 
 
「すぐに荷物をまとめろ。スカンジナビアへ行くぞ。」
 
 
安っぽいサテンのベビードールを身に纏ったまま、アンジェラは色違いの瞳を丸くして、男をただ見つめた。
 
 
 
***
 
 
 
ザイルと名乗った男は娼館からアンジェラを連れ出し、たまたま近くにあった公園のベンチに座らせ、ぽつりぽつりと話を始めた。
彼はスカンジナビア共和国に拠点を持つ傭兵グループのリーダーで、偶然仕事でこの地方を訪れた際アンジェラの噂を耳にしわざわざやって来たと言う。
 
 
「お前、親に捨てられたんだろう?」
 
 
遠慮のない問いかけにアンジェラはこくりと頷いた。
「いつだ」
「…12歳、の時です。」
「今、何歳になった。」
「もうすぐ、16になります。」
捨てられた時の記憶は殆ど無かったが、自分の生年月日はしっかり覚えていた。
置いていかれたのが誕生日プレゼント代わりの旅行、と両親に言われ地球へと連れて来られた時の事だったせいもあるのかもしれない。
「…そうか。」
「あ、あの。女将さんは…」
「ああ?たっぷり金を掴ませて、ついでにちょっとばかり脅しもかけておいた。お前に追っ手がつく事はないだろうさ。」
こともなげに答えるザイルを、アンジェラはぽかんと見上げた。
 
「さて。その格好のお前さんを連れてコミュニティまで戻る程俺の神経も図太くはないんでな。とりあえず当面の生活用品を揃えてこの国を出るぞ。」
 
ベビードールに薄手のコートを羽織り、素足にこれまた安っぽいミュールをつっかけたアンジェラを上から下まで眺め、男はくすりと微笑んだ。
 
 
 
***
 
 
 
「ここは、お前のように親から捨てられたコーディネイターが身を寄せあって生活しているコミュニティだ。
俺も双生児の弟とともに捨てられた身でな。弟は北欧に移り住んで、ここと似たようなコミュニティを作った。そして、同じように傭兵として生計を立てている。」
 
 
自分と同じように、捨てられたコーディネイターが、いる?
まずその事実にアンジェラは驚き、無言でザイルを見つめた。
 
 
「お前さんに取っちゃありがた迷惑な話かもしれんが、あの国でお前さんの噂を耳にした時、必ずここへ連れて帰ろうと思った。
娼婦だから何をしてもいい、そんな理屈はナチュラルもコーディネイターも関係ないと俺は思ったからだ。」
 
 
ザイルが耳にした噂は、ひどいものだった。
金さえ積めば大抵の事は受け入れると言う、色違いの瞳の、娼婦。
人としてぎりぎりの尊厳さえ踏みにじらなければどんな行為も受け入れると言うコーディネイターの少女は、なぜか日を置いて足を運ぶとまるで初めて出会ったかのような笑顔で客を出迎えてくれるらしい。
だから男達は、いつでも新鮮な気持ちで彼女を味わう事が出来た。
その不思議な感覚が男達を惑わせ、少女はその街でナンバーワンの娼婦としても名を馳せていた。
ある時は媚薬と称した薬を盛られ意識を失うまで弄ばれたり、またある時は一日に5人もの男を相手したこともあったらしい。
美しい天使のような美貌と柔らかくて淫らな身体を一夜でいいから味わいたい、と遠路はるばる彼女を抱きにやってくるものまでいると聞き、ザイルの胸が抉られるように痛んだ。
そしてザイルは終えたばかりの仕事の報酬の半分以上をつぎ込み、ついでに違法すれすれのやり方でアンジェラの身体を酷使させていた女将にたっぷりと脅しをかけてアンジェラを身請けした。
ザイルが買い与えたシンプルなワンピースにブーツ姿の彼女は、そっとカップを手に温かい紅茶を口に運んでいる。
 

「不本意か?」

 
不意にそう問われ、アンジェラは顔を上げる。
そしてしばらく考えたあと、ふるふると首を横に振った。
 

「ここにいる人達は…みんな、傭兵なんですか?」
細くて小さな声で尋ねられ、ザイルは頷いた。
「ああ。適材適所、って言葉があるように、外へ出て実動部隊として動くものもいればネットワークを駆使して情報戦を繰り広げるものもいる。
だからと言って、お前さんにも傭兵になれなどとは言わん。その点は安心していいぞ。」
 
ここに来るまでの道程で、ザイルはアンジェラから自らの欠陥ーー親に捨てられた理由について聞いていた。
この世に生を受けた全てのものが無条件に幸せになる権利がある、などと甘い事はザイルも思っていない。
そうであったなら、自分たちのような存在はありえないものだからだ。
権利だけあったところで、どうにもならない事情がある。
ただ、アンジェラの噂を耳にし、同じ“捨てられたコーディネイター”として、放ってはおけなかった。
 
 
「あの…わたし、ここの男の人たちのお相手をすればいいんですか?」
「…は?」
 
 
ザイルは目を剥いた。
「私が求められていたのは、男の人を満足させる事です。それが出来たから、私はあそこで必要とされて来た。だったら私は、どうしてここに連れて来られたんですか?」
心底不思議そうな顔のアンジェラに、思わずザイルは声を荒げていた。
 
 
「お前…どこまで自分を粗末にすれば気がすむんだ?!俺はそんな事の為にお前を身請けした訳じゃないし、そんな事をする奴がいたら決して許さん!!」
 
 
ザイルの剣幕にアンジェラは目を丸くしーーこくり、と頷いた。

 
「…大声を出して悪かった。とにかく…俺は性処理の道具としてお前をここへ連れて来た訳じゃない。
必要とされなくて、捨てられた俺たちでも…自分を大切にする自由くらいはあるはずだ。
だがお前はそれすらも諦めているように俺には思えた。だからここへ連れて来た。
お前がどうしても納得出来ないならここから出て行けばいい。安全な場所まで案内くらいはさせる。」
 

どうする?と視線で問いかけられ、アンジェラは視線を泳がせーーやがて真っすぐにザイルを見つめた。
 
 
「じゃあ…私に、傭兵としての手ほどきをして下さい。」
「……なに?」
 
 
今度はザイルが目を丸くする番だった。
「お話した通り、私の身体能力は一般的なコーディネイターの水準より高いです。
体も丈夫な方だと思いますし、ここで何もせず暮らして行くなんて申し訳なくて出来ません。」
「いや…だが…」
確かに、女の傭兵もいない訳ではない。
だが目の前の少女に、果たして傭兵という過酷な生業が勤まるのだろうか。
 
 
「自分を大事にすること…。私にはまだ、よく分かりません。でも、分かるようになりたい、って思いました。だから、ここにいさせて欲しいんです。
お願いします、私に傭兵としての技術を教えて下さい!」
 
 
そう言って深々と頭を下げるアンジェラに、ザイルは絶句しーー困ったように微笑んだ。
 

「………分かった。そうしよう。」
「っ…ありがとうございます!」

 
がばっと顔を上げたアンジェラに、ザイルは懐から取り出したものを差し出した。
「手始めにこれをやる。」
「これ…」
それは、シンプルだが質の良い、日記帳だった。
アンティークなデザインは品がよく、臙脂色の表紙はアンジェラにとても良く似合う。
 
 
「これから毎日、そこにその日あった事を書くんだ。
全部じゃなくていい。大事な出来事、気付いた事、教わった事、感じた事。
お前が覚えておきたい、忘れてはいけないと思った事を好きに書けばいい。
その日記帳のページ全部が埋まる頃、きっとお前の中で何かが変わっているはずだ。」
 
 
アンジェラは信じられない思いで手の中の日記帳に目を落とした。
これまで客からプレゼントをもらった事もあったような気がするが、それらはほとんど全て女将に没収されていたし、それでなくても娼婦に日記帳など贈る酔狂な男はいなかった、と思う。
 

「お前が街で服を選んでいる間…用意しておいた。これからのお前には必要になるだろう、と思ってな。」
 

ザイルの声が聞こえて程なく、なぜか目の前の日記帳がじんわりと滲む。
「な…お、おい」
狼狽する男の声に、アンジェラははっと我に返る。
「あ…わたし…」
 
 
アンジェラは、日記帳を見つめながら、自分でも気付かぬうちに泣いていた。
 
 
「ごめん、なさい…嬉しくて…つい…」
ぽろぽろと零れる涙を乱暴に拭うアンジェラにザイルは歩み寄り、ぽんぽん、と頭を優しく撫でた。
「訓練は厳しいぞ?」
「…大丈夫です。」
「そうか。」
くすりと笑みを漏らすザイルを見上げ、アンジェラはにっこりと笑った。
 

「ありがとうございます、ザイルさん。これ、大切にします。それと…これから、よろしくお願いします。」
 

初めて目にしたアンジェラの笑顔は、それまで彼女が身を置いて来た環境からは考えられない程、天使のように清らかで。
ザイルもまた笑みを深め、しっかりと頷いた。
 

「ようこそ、コミュニティへ。ここにいるのはみんなお前の仲間だ。よろしくな、アンジェラ。」
「…はい、ザイルさん」
 

アンジェラは嬉しそうに頬を染め、柔らかな笑顔のまま頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 

登場したばかりのオリキャラ、アンジェラのお話です。
彼女が私の脳内に誕生した時から、このお話を書きたくてたまりませんでした(笑)
でも「天使の翼」への登場がだいぶ後になってからだったので、脳内でずっと
温めておりました(●´艸`)
他のサイト様やアストレイ等でも題材となる事もある、“不完全なコーディネイター”。
私の妄想の中での彼らについては、今後長編等でも明らかになって行きますが、
やはりどこか悲しい存在である事に変わりはありません。
この世に生を受けた全てのものが無条件に幸せになる権利がある、と思っていない、
と言うのは、過酷な環境の中を生き抜いて来た彼らが身をもって経験して来た結果では
無いかと思っています。

 

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2015,6,18拍手up

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