霧散

 

 

 

 
一人暮らしのアパートのドアをぱたんと閉めると、シホは小さく溜息をついた。
履き慣れているはずの軍用ブーツが、今日はやけに重く感じる。
もう一度溜息をついて、玄関の灯りをつけようとスイッチに手を伸ばす。
ぱちん。
だが玄関のライトは灯らず、シホは何度かスイッチを押し、がっくりと肩を落とした。
 
「なんでこんな日に限って…」
 
昨晩まではしっかりと点灯していた玄関の電球が、よりによって今日寿命を迎えてしまったらしい。
替えの電球を探すべく、シホは暗闇の中でブーツを脱ぐとリビングに向かった。
 
 
 
 
「あと…ちょっと…」
 
 
シホは必死で爪先を伸ばし、電球を取り外していた。
脚立などと言う気の利いたものはこの部屋には存在しない。
引っ越しの際、購入しておくべきだったな…とシホは考え、なぜ脚立が必要なかったかを思い出し、灰色の溜息をついた。
例えばイザークならば背が高いから、脚立などなくても大抵のものなら手が届く。
そして、この部屋を見つけてくれたのも、引っ越しを手伝ってくれたのもシホの恋人であるイザークだったから、脚立など必要なかったのだ。
 
『困った事があれば連絡しろよ。』
 
当時イザークにそう言われ、シホは嬉しくて素直に頷いたものだったが、今それは出来ない。
つい先刻、その恋人であるイザークと些細な理由で喧嘩をして、一人帰宅したのだから。
 
 
本来なら明日イザークは久し振りの休暇で、今晩はこの部屋で過ごすはずだった。
だが喧嘩の末にシホが投げつけたのは、『もういいです。今夜はひとりになりたいので家には来ないで下さい』という言葉。
イザークの性格からして、彼が自らこの部屋にやって来る事は無いだろう。
 
「…よし、とれ、た…きゃっ!」
ずっとつま先立っていた足に痛みを感じ、シホは電球を持ったままその場に崩れ落ちた。
「いたた…もう、何なのよ…」
軍人なのだから、体力には自身があるはずなのに!
つま先立ちと体力の関係性はこの際無視し、シホは痛みが引くまでその場に座り込んで足を擦った。
 
 
 
***
 
 
 
「よし、これで…え?」
 
 
先程の出来事を教訓に、シホは分厚い本を数冊積み重ねた上に乗り、買い置きしていた電球を取り付けた。
つま先立ちなのは相変わらずだが、先程よりだいぶマシだ。
だが、これで大丈夫とばかりにスイッチを押すも灯りはつかない。
「どうして…?だってこれ、同じ形よね…?」
接触不良?と思い再度しっかりつけ直してスイッチを入れるも、やはり結果は同じ。
苛々したシホは力任せに電球を取り付け直したりスイッチを何度も押したりしてみたものの、結果は変わらなかった。
 
 
几帳面なシホは、一度気になるとどうしてもきっちりそれを処理しないと気がすまない。
だが、買い置きの電球の中に玄関用のものはそれひとつきりしか無かった。
そもそも、なぜ同じ形の電球を買ったのに灯りがつかないのか。
悔しくて思わず唇を噛み締めた時、リビングに置いた携帯の着信音が聞こえ、シホははっと顔を上げると足早にそちらへと向かった。
 
 
 
『シホさん?ごめんね、こんな時間に。』
着信画面に表示された名前は、ミリアリアだった。
「あ…はい。大丈夫です。さっき帰ったばかりですから。」
よく考えれば、自分はまだ軍服姿のままで。
シホは携帯を片手に、ゆっくりとソファに腰をおろした。
『そうなの?イザークが明日お休みってディアッカから聞いたから、てっきり…』
「っ…ええ、そうですね。隊長は明日休みです。それよりミリアリアさん、ご用件は…」
 
不自然な間と不自然な言葉。
 
苛立ちを隠しきれない、いつもと違う自分にミリアリアは気付いただろうか。
シホはミリアリアに対して申し訳ない気持ちと、燻り続ける苛立ちに思わずぎゅっと拳を握りしめた。
 
『あ、うん。あのね、来週の約束の事なんだけど…』
ミリアリアが話しだしたたわいも無い話題。
最初は半分機械的に答えていたシホだったが、明るいミリアリアの声にいつしか苛立ちも薄れ、重かった心が少しだけ晴れて来ていた。
 
『そうだ、シホさん何か買いたいものとかある?私、キッチン用品でちょっと探してるのがあってね、もし良ければそれも…』
「あります。欲しいもの。」
 
即答したシホに面食らったのか、ミリアリアが電話の向こうで微かに息を飲むのが分かる。
 
『な、何が欲しいの?』
「………電球、です。』
 
しばしの沈黙の後、ミリアリアの穏やかな声がシホの耳に飛び込んで来た。
 
 
『シホさん…今、何してたの?』
 
 
その優しい声に、シホの心に溜まっていた重苦しい何かが流れ出して行った。
 
 
 
 
『ああ…その電球、旧式のものじゃないかしら?』
「旧式?どういう事ですか?」
 
 
シホは訝しげな表情になった。
 
『ええとね、私もプラントに来て知ったんだけど、こっちって地球とやっぱりちょっとずつそういう生活用品の規格に違いがあるのよね。
でね、プラントって数年前から電化製品の規格が変わったらしいの。多分、そのアパートの築年数から考えて、ライトに取り付ける電球、旧式のものしか対応していないのよ。
買い置きしてたのって新しい規格のなんじゃない?型番って今分かる?』
「あ、はい。ええと…」
 
シホはテーブルにあった電球のパッケージを手に取り、型番をミリアリアに告げた。
 
『やっぱり!それ、新しい方のものよ。』
「そ、それじゃもう古いタイプの商品は売っていないんですか?」
 
焦るシホにミリアリアは笑みを含んだ声で安心するように言った。
 
『大丈夫、そんなことないわ。うちも旧式の電球だもの。ほら、ここってディアッカがずっと前に契約した物件でしょ?だから家中の電球、全部旧式よ?ほんとは新しい規格の方が寿命も長いしそっちのがいいんだけど、まぁ仕方ないわよね。』
 
はきはきと話すミリアリアの言葉を聞きながら、近日中に自分も家中の電球の規格を確認しなければ、とシホは頭の中にメモを取る。
あとでまとめてチェックすればいいだろう、とシホは思ったが、先程転んだ足が少し痛み、顔を顰めた。
イザークぐらい背が高ければ造作も無い事だが、喧嘩中の今、彼にそのような事をお願いする事など出来ない。
ミリアリアとの会話で上がっていた気分が、また少し下降する。
だがミリアリアが次に発した言葉で、シホの鬱々とした気分は一気に吹き飛んだ。
 
 
『ねぇ。今からでも良ければ、電球持って行きましょうか?』
 
 
「…え?!」
『お仕事中に電球を買いに行くのも難しいだろうし、今忙しい時期だからそれも無理でしょ?
イザークだって、溜まりすぎた有休消化の為に無理矢理休みを取らせたってディアッカが言ってたくらいだし。…それとも明日イザークに頼んで、買って来ておいてもらう?』
「そっ!それは、あの…ちょっと…」
 
シホは口ごもった。
喧嘩中の恋人に、電球を買っておいてくれなどと頼める訳が無い。
 
『なら、これから持って行くわね。家だって近いんだし大丈夫よ。あ、でも帰ったばかりじゃ迷惑かな?』
「迷惑なんてとんでもない!そんな事はありませんが…でも、申し訳ないです…」
『やだ、友達なんだしそんなの気にしないで?じゃあ準備して行くから、少し待っててね。
何だかんだで30分以上は掛かるだろうから、お風呂でも入ってゆっくりしてて。それじゃ!』
「あ、あの、ミリアリアさん?」
急展開について行けなかったシホは、画面に表示された“通話終了”の文字を呆然と眺めた。
 
 
 
***
 
 
 
ミリアリアの来訪に備え、シホは手早く着替えの準備をし、バスルームに直行した。
何となく、言われた通りにしないといけない気がしたのだ。
コックを捻り、熱いシャワーを頭から浴びると一日の疲れと共に先程までの苛立ちが嘘のように霧散して行く。
 
シホは実家で暮らしている時、電球を取り替えた事などなかった。
初めてそう言った事をしたのはザフトの寮に入ってからで、見よう見まねで覚えたものの規格の事など知りもしなかった。
一応工学系の知識を持つシホだったが、それは生活に直結するものではない。
 
「これからは…色々覚えて行かなくちゃ」
 
今回は甘えてしまったが、こんな些細な事でミリアリアに頼ってばかりもいられない。
それでもシホは、どこか嬉しく感じていた。
たかが電球ひとつ。たいした事ではないのかもしれないけれど。
 
 
ーー友達、って、いいな。
 
 
イザークとの喧嘩についても話してしまえば良かった、とも考えたが、それは後でもいいだろう。
でもあまり引き止めては、ディアッカが心配するかもしれない。
そんな事を考えながら手早く髪や体を洗いシャワーを終えると、シホは身支度を整え始めた。
 
 
 
***
 
 
 
軽やかなチャイムの音に、シホはぱたぱたと玄関まで走った。
シャワーで温まったせいか、足の痛みもほとんど気にならない。
暗闇の中でミリアリアを迎えるのは申し訳ない気がしたが、事情は説明してあるのだから仕方ないだろう。
かしゃん、とロックを解除すると、シホはドアノブに手をかけた。
 
「すみませんミリアリアさん、わざわざあり…」
 
そこまで口にしたシホは、笑顔のままぴきん、と固まる。
目の前に立っていたのはミリアリアではなく、先程喧嘩別れしたはずの恋人、イザーク・ジュールであった。
 
 
「……“何があったかは知らないけど、ちゃんと話をしてみてね。騙すような真似をしてごめんなさい”。ミリアリアからの伝言だ。」
 
 
そっぽを向いたままのイザークがぼそりと発した言葉に、シホは反応出来ない。
ラフなシャツと細身のパンツ姿のイザークが手にしていたのは小さな紙袋。
 
「入るぞ。」
 
優雅な動作で自分の横を通り過ぎたイザークに、シホははっと我に返った。
ぱたん、とドアを閉め、恐る恐る振り返る。
 
「え…と、あの…」
 
薄暗い玄関にリビングの灯りが漏れ、破り捨てた電球のパッケージや積み上げられたままの分厚い本、そして目の前に立つイザークを照らし出していた。
 
 
「…本を積んだ所で、お前の身長じゃ取り外すのも大変だったんじゃないのか?」
 
がさり、と音を立て紙袋から替えの電球を取り出したイザークがひょい、とそれをシホに差し出す。
「…転んでしまって、それで少しはマシになるかとそれに乗ってみたんです。」
反射的にそう返事をしながら新品の電球を受け取ったシホは、イザークが手を伸ばしてシホが取り付けた電球を外すのを言葉も無くただ見ていた。
 
「ほら、貸してみろ。」
 
今度は取り外した電球を渡され、シホは自分の持っていた方をイザークに手渡す。
きゅ、と言う音とともに、造作も無く電球は取り付けられた。
あとは、動作確認の為にスイッチを入れるだけ。
だがイザークの手はそちらへ動く事なく、二人は薄暗い玄関に無言で立ちつくす。
ーー沈黙を破ったのは、二人同時だった。
 
 
「あの、たいちょ…」
「シホ」
 
 
びくんと肩を揺らしたシホに、イザークは真っすぐ向き合った。
優れた視力を持つシホは、薄明かりの中でもイザークの瞳の色までしっかりと見て取れる。
その綺麗なアイスブルーの瞳が、僅かに揺れる様までも。
す、と腕が伸ばされ、イザークの胸元に引き寄せられると、シホはされるがまま、そこにすっぽりと納まった。
 
「…どこか痛めたのか?」
「…足を少し。でももうほとんど痛みもありません。」
 
ぽつり、ぽつりと不器用に交わされる会話。
だが不思議とシホの心は落ち着いていた。
…あんなに苛々していたはずなのに、なぜ私は抵抗もせずにこんな風にされているのだろう。
ひとりにして欲しいと捨て台詞まで吐いて、怒って帰って来たくせに。
 
 
“何があったかは知らないけど、ちゃんと話をしてみてね。騙すような真似をしてごめんなさい”
 
 
イザークが口にしたミリアリアの伝言を思い出し、シホはくすり、と笑った。
電話口でのシホの様子から、きっとミリアリアは自分たちに何かあった事を察してくれたのだろう。
そしてイザークに連絡をして、電球の事を話して聞かせたのだろう。
騙されたなんて、思わない。
苛立ちにささくれ立っていたシホの心をいとも簡単に解してくれたのは、他でもないミリアリアなのだから。
だから今こうして、素直な気持ちでシホはイザークと向き合えているのだ。
 
 
ーーやっぱり、友達って、いいな。
 
 
シホはこてん、とイザークの胸に頭を押し付けた。
その仕草にイザークは微かに目を見開きーーどこかくすぐったそうに苦笑して、目を細める。
 
「さっきは……悪かった。」
落とされた言葉に、シホはイザークを見上げ首を振った。
「私も…苛々して、ごめんなさい。あと…来てくれて、ありがとう、イザーク。電球も。」
 
灯りをつける前に言えて良かった、とシホは思う。
明るい中だったら、やっぱり少しだけ恥ずかしくなってしまったかもしれないから。
 
 
「…泊まってもいいか?」
「…はい。」
 
 
もしかして、緊張していたのだろうか。
ほっと安心したように息を吐き出したイザークの温かい手が、シホの頬に添えられる。
いつも一緒にいるけれど、二人きりの時間はシホにとってやはり特別で。
イザークの綺麗なアイスブルーの瞳を見上げながら、明日、ミリアリアさんにお礼を言わなくちゃ、とシホは心の片隅で思う。
そしてシホはそっと目を閉じ、重ねられた唇を受け止めた。
 
 
 
 
 
 
 
007

 

 
先日自分が体験した、とある日常の出来事を元ネタに、久し振りのイザシホです。
最後の方、何だかグダグダになっちゃったかなーと反省orz
ミリシホ風味もちょっと入りつつ、のある意味異色なお話になりました(笑)
いくつになろうと、友達ってやっぱりいいものですよね。
イザシホの喧嘩の原因、そしてミリアリアがイザークに何をどう話したのかは
皆様のご想像にお任せ致します(●´艸`)

 

 

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2015,5,15拍手up

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2015,11,27訂正up