ミリアリアは領事館での勤務を終えると、急ぎ足でスーパーへと駆け込んだ。
ディアッカがカーペンタリアへ発って半月と少し。
ひとりで食べる食事は味気ないもので、最近あまり手の込んだ料理をしていなかった事に気付き、ミリアリアは思わず苦笑した。
夫であるディアッカは、ミリアリアの作る料理は宇宙でいちばんだと公言して憚らない。
それを裏付けるように、生活を共にし始めた頃から彼はほとんど外食をしなくなった。
本人曰く、愛妻料理(その頃まだミリアリアは婚約者であったのだけれど!)に勝るものは無い、との事で、外食は何かのイベントや毎日料理をしているミリアリアの息抜きの為だけで充分、だそうだ。
そこまで言われてしまうと悪い気はしないもので、ミリアリアもついつい色々な料理を振る舞ってしまう。
そして、育ちの良いディアッカはテーブルマナーももちろん完璧であったし、出されたものは例え苦手な食材であろうと基本的に残さず食べる。
それはかつて彼がAAで過ごしていた頃からで、口には出さなかったがミリアリアが密かに感心していた事のひとつだった。
そうして色々な料理を振る舞う中で、ディアッカが和食好きな事、特に具沢山の味噌汁(ディアッカはミリアリアが食卓に並べるまでそう言った家庭料理的を食した事がなかったらしく、“みそスープ”と呼ん
でいる)を喜んでくれる事を知り、ミリアリアは地球にいる母に連絡を取り、出汁の取り方をしっかりと教わったくらいだった。
──大切な人の些細な事をひとつひとつ知って行く喜び。
食材を吟味しながら、ミリアリアの口元は知らず知らず緩んでいた。
「あ、これ安い」
ディアッカの好きな食材を見つけ、つい手を伸ばしたミリアリアだったが肝心の夫が不在な事に気付き、出していた手を引っ込めた。
…早く、一緒にご飯、食べたいなぁ…。
少しだけしんみりしてしまった思いを振り払うように、ミリアリアは当面必要な食材を見繕いてきぱきとカートに放り込んで行った。
と、バッグに入れていた携帯から着信音が小さく鳴り響く。
「え…?」
着信画面を確認したミリアリアは慌ててカートごと通路の端に寄ると、携帯を取り出し通話ボタンを押した。
***
翌日早朝。
ミリアリアは大きな保冷バッグを抱え、ザフト本部の前に立っていた。
シホとの待ち合わせまであと5分。
もう少し時間に余裕を持って来れば良かったかしら、などと考えていると、入口のゲートが開きシホが現れた。
「おはようございます、ミリアリアさん」
「おはようシホさん。ごめんね、時間ギリギリになっちゃって…」
恐縮するミリアリアに、シホはにっこりと微笑み首を振った。
「いいえ。私も今来た所ですから。では早速ご案内しますね」
「え…いいの?私なんかが入っても」
「昨日のうちに隊長が申請して下さっているので大丈夫ですよ。特別管理区域でもありませんし。…荷物、おひとつお持ちしましょうか?」
「あ、うん…じゃ、この小さい方だけお願い出来る?ごめんね」
「とんでもない。それではこちらへ」
シホに先導される形で、ミリアリアはザフト本部へ続くゲートを通過し、奥へと進んで行った。
「…ええと。これ、を…カーペンタリアに?」
きょとんとした表情の兵士の前で、ミリアリアは恐縮しながら頷いた。
「はい、あの…すみません…」
「エルスマン隊長からの命令なの。取り扱いには気をつけてね。間違ってもひっくり返したりしないように。ああ、横にしてもだめよ?…あなたも含め、大変な事になるから」
「はっ…はい!了解致しましたっ!」
きりりとしたシホの言葉に、シャトルを操縦する兵士は直立不動で敬礼をした。
「……なんだか、著しく公私混同な気がして気が重いわ」
お茶に誘われ、ジュール隊隊長室のソファに腰掛けながらミリアリアは溜息をついた。
「どうせ緊急で物資を送る所だったんです。彼ひとりの為にシャトルが飛ぶ訳でもないですし、そんなに気にする事無いですよ」
くすりと笑ったシホに、ミリアリアは情けない表情を浮かべる。
「で?結局あいつは何をそんなに急いで送って欲しがってたんだ?」
執務机に座ったイザークは、顎の下で綺麗な指を組むと首を傾げた。
「あの…その…」
「なんだ?言いづらいものなのか?」
「そっ、そうじゃなくてね、あの…」
怪訝な顔をするイザークに、ミリアリアはぶんぶんと首を振った。
「私の…ごっ…ご飯、食べたい、って…」
「………は?」
イザークとシホが浮かべたぽかんとした表情に、ミリアリアは耳まで赤くして俯いた。
***
『──だからさ、なぁ、いいだろ?』
「っ…あのね。軍用機は宅配便じゃないのよ?そんな事簡単に頼める訳無いでしょ?あなたひとりの為にわざわざ地球までシャトルを飛ばせって言うの?」
『それがさ、ラッキーな事に明日ちょうどそっちからカーペンタリアに物資を運ぶ輸送用シャトルが来るんだ。任務の一環で必要なものだからノンストップで地球まで来るはずだし、イザークかシホに言えば
都合つけてくれるって!…だから、だめ?』
「だめも何も…そっちにだってあるでしょ?似たようなものが。あなたは隊長なんだからあんまり我侭言っちゃ…」
『だって俺、やっぱりミリィの作ったメシ食いたいんだもん。あんなインスタントのダシのみそスープなんて食った気しねぇし。やっぱさ、愛妻料理ってパワーの源じゃん?お前の料理は最高だって話して、
そっち戻ったらシンに食わせる約束までしちまったんだぜ?』
嬉しそうなディアッカの声。
そもそも、地球からプラントにいるミリアリアの携帯に直接に通信をするには、一般回線では不可能だ。
よって、彼はその手腕を発揮し総領事館辺りの回線にハッキングを仕掛け、わざわざミリアリアにお強請りの電話を寄越したのだろう。
要はそれほどに、彼は自分の手料理に飢えている、と言う事で。
ミリアリアは、ここがスーパーだと言う事も忘れてかぁっと頬を染める。
そして、はぁ、と溜息をつき、くすりと微笑んだ。
「…分かったわよ。明日の朝シホさんにお願いするから。段取りだけ、ちゃんとしといてよね?」
『マジで?!やった!』
子供のような歓声を上げるディアッカに、またミリアリアは苦笑する。
そして通話を終わらせると、先程と打って変わった足取りでスーパーの中を歩き始めたのだった。
***
「…つまりあれか。あいつは、お前の手料理がどうしても食べたい、と」
「それで…運搬用のシャトルだったら当日中にカーペンタリアまで到着出来るから、ミリアリアさんの手料理をそれに積んで持ってこい、と」
「はい…すみません…」
ソファでティーカップを手に小さくなるミリアリアに、二人は顔を見合わせくすりと笑いあう。
とんでもないくらいに愛妻家のディアッカには、例え作りたてでなくても冷えていても、ミリアリアの手料理が何よりのご馳走なのだろう。
難しい任務を抱え奮闘しているディアッカにとって、それが癒しとなるのならばやむを得ない、と二人は思い、そして同時にこの二人の絆の深さを改めて思い知る。
「…まぁ、軍規違反でも無ければ不正行為をした訳でもない。いいんじゃないか?お前はいきなりの話で準備も大変だっただろうが」
どこか優しいイザークの声に、ミリアリアは俯いていた顔を上げる。
「そうですよ。それでディアッカが元気になるのなら、それも立派な“物資”のひとつです」
そう言ってにっこりと笑うシホに、ミリアリアは救われたような表情になった。
「…うん。ありがとう」
恋人同士となった二人の優しさや気の使い方はどこか似て来ていて。
そんな些細な事がなんだか嬉しくて、ミリアリアはふわりと微笑むと、改めて二人に礼を述べた。
そして、夕方までにはディアッカの手元に渡るはずの“物資”が、少しでも彼の力になりますように、と祈った。
***
「エルスマン隊長!本国から物資が到着しました!」
シンの声にディアッカは手を挙げ、「今行く!」と大きな声で返事をした。
カーペンタリアに到着したばかりのシャトルからは、復興支援用の物資が次々と運び出されている。
だがディアッカが真っすぐに向かったのは、パイロットルームだった。
「エルスマン隊隊長、ディアッカ・エルスマンだ。遠路ご苦労だったな。感謝する」
突然現れた白服の上官に、操縦をしていた兵士は驚き慌てて敬礼を送った。
「イザークかシホから何か預かってないか?」
「はっ!ハーネンフース副隊長よりこちらを!」
そう言って兵士が差し出したのは、見覚えのある保冷バッグ達。
それを目にした瞬間とびきりの笑顔になったディアッカを、兵士はぽかんとただ見つめた。
「サンキュ。あ、これひっくり返したりしてねぇよな?」
「はいっ!ハーネンフース副隊長からもそのように指示を受けましたので!」
「へー。さっすがシホ、気が利くねぇ…。じゃそれ、貰ってくわ。お前も今日はゆっくり休めよ」
「は、はい!ありがとうございます!」
そうして無事荷物を受け取り上機嫌で去って行くディアッカを、兵士はやはりぽかんとしたまま見送った。
「さて、と。」
あの後てきぱきと指示を出して本日の任務を終え、与えられた部屋に戻ったディアッカは逸る気持ちを抑えながら保冷バッグを開いた。
見覚えのあるポットにはクリスタルマウンテン。
そして小さめのポットには、ディアッカの欲してやまなかった味噌汁が入っていた。
保温機能に優れたポットなので、どちらもまだしっかりと温かい。
ランチボックスには、以前出張前にミリアリアが差し入れてくれたような保存のきく煮物など、和食を中心とした胃に優しいおかず達が詰まっていた。
そして、これまた好物のひとつである出汁巻き卵を見つけ、ディアッカの目が輝く。
小さな手で握られたであろう色々な種類のおにぎりからも、ミリアリアが手をかけてこれらの料理を作ってくれた事が分かった。
「…あ?」
ひらり、とタッパーの横から現れた小さな封筒にディアッカはつい声を上げる。
そっとカードを取り出し封を切ると、微かな花の香りがディアッカの鼻腔をくすぐる。
──もうずっと愛用してくれている、自分が選び贈ったトワレの、香り。
まるでミリアリアがすぐ近くにいるような気がして、デイアッカの胸が切なく疼いた。
花の香りのカードに目を落とすと、そこにはミリアリアの読みやすい筆跡でメッセージが記されていた。
“戻って来たら、一緒に家でご飯を食べようね。ディアッカの好きなものをたくさん用意して待ってます“
たったそれだけの、短いメッセージ。
だがそこには、ミリアリアの深い想いが込められていた。
──あいつ、ひとりで何食ってんだろ。
ミリアリアと二人で囲む食卓は、いつだって楽しくて、安らげて。
ミリアリアがいかに毎日自分の為に手をかけて料理をしてくれているかと言う事を思い返し、ディアッカはその幸せを噛み締めた。
まずは目の前の料理を堪能して、そうしたらプラントに通信をしてみよう。
美味かった、と声を掛けるといつだってミリアリアは本当に嬉しそうに微笑んでくれる。
その笑顔に、ディアッカもまた力を貰えるのだ。
にっこりと微笑むミリアリアがただたまらなく恋しくて、愛おしくて。
「…いただきます」
カードを軍服の内ポケットにそっとしまい、一人きりの部屋でディアッカは小さく呟くと、はるか遠いプラントから届けられたミリアリアの手料理を心ゆくまで堪能したのだった。
「愛妻料理」と対になる、ミリアリアサイドのお話。
男の胃袋を掴む、というのは並大抵の事ではないですよね…;;
私もあやかりたいものです(笑)
2015,5,15拍手up
2015,6,18up