ハーブティー

 

 

 

 
視界の隅をよぎったピンクに、バスターの調整をしていたディアッカの鼓動が跳ねた。
「マードックさん!これ、夜食です。」
「お!嬢ちゃん、気が利くじゃねぇか!おーい、夜食だってよー!」
「ちょ、声が大きいですってば!」
子供のようにはしゃいだ声を上げるマードックに、トレイ一杯のおにぎりを運んで来たミリアリアはくすくすと笑っている。
その姿をバスターのコックピットから眺めながら、ディアッカもまたくすりと笑った。
 
 
あいつがそこに居るだけで、なぜこの胸はこんなにも弾むのだろう。
会えないとなぜか、気になって、落ち着かなくて。
だからいつだって、気がつけばあいつのことを捜している。
やっと見つけた食堂で、そして今のように突然現れた格納庫で、居住区に続く廊下で。
例えそれが自分に向けられた笑顔でなくても、横顔だけでも。
あいつが笑っていると、自分までほっとして、嬉しくなる。
だからーーずっとそうやって笑っていてほしい。
 
 
「おーいディアッカ!嬢ちゃんが夜食持って来てくれたぞー!」
 
 
威勢のいいマードックの声に、ディアッカはひらひらと手を振り、今行く、と答える。
自分を見上げたミリアリアの顔はちょっとだけしかめっ面で。
少しだけ残念な気分になったディアッカは、理性でそれを押さえつけてにやりと笑い、コックピットを飛び出した。
 
 
 
***
 
 
 
『騙されてるんだ、お前は!』
 
 
親友の声が、今この瞬間も頭の中をぐるぐると回っている。
自分の思いは、伝えたつもりだった。
それを聞いて判断するのは、他でもない親友ーーイザークだ。
“敵”としてイザークと対峙するなんて、想像した事も無かった。
かつての母艦だったヴェサリウスが沈むなんて事も、まず考えた事が無かった。
涙目のイザーク。燃えさかりまさに沈もうとしている戦艦のブリッジから敬礼を送るアデス艦長。
改めて、自分がいかに戦争を甘く見ていたのか、思い知る。
そして、親友同士なのに敵と味方として戦場で再会し、その事を誰にも言わないまま幾度となく刃を交わしていたキラとアスランに、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
 
 
「ーーー寒いの?」
 
 
突然かけられた声に、食堂でひとりぼんやりしていたディアッカは飛び上がる程驚き、声のした方に顔を上げる。
そこには、タンブラーを持ったミリアリアが立っていた。
「ミリ…」
「寒いのか、って聞いてるんだけど?」
「あ、いや、べつに…」
気の聞いた言葉の一つも口に出せないディアッカを見下ろし、ミリアリアはことん、とタンブラーをテーブルに置く。
そしてーーすとん、とディアッカの隣に、座った。
 
 
「コーヒーは眠れなくなるから、これあげる。私のとっておきなんだから、味わって飲みなさいよね?」
「へ?」
「いいから飲む!」
「は、はい」
 
 
ディアッカは言われるがままにタンブラーに口をつけーー少しだけ目を見開いた。
「これ…」
「ラベンダーティーよ。ハーブティー、嫌いだなんて言わないでよね?ていうか、嫌いでも飲みなさい。
今のあんたにはぴったりだと思うし。」
きょとん、としていたディアッカは、頬杖をついたミリアリアに碧い瞳を向けられ、あわててもう一口ラベンダーティーを口にする。
ディアッカも、戦争が始まる前まではコーヒーの他にも気分によってこう言ったハーブティーを飲む事があった。
だが、戦艦内で気軽に飲めるものなどコーヒー位しか無くて。
久し振りの優しい香りと味に、強張っていたディアッカの心がゆっくりと解れて行く。
 
 
「…メンデルで、ザフトの人に会ったんでしょう?」
 
 
ミリアリアの言葉に、ディアッカは一気に現実に引き戻された。
「…なんで?」
「アスランさんから聞いた。彼はキラから聞いたって言ってたけど。」
「そ、か。」
さすがにデュエルのパイロットとまではアスランも口に出来なかったのだろう。
そうでなくても、アスランはどこかミリアリアに対して遠慮している。
真面目な奴の事だから、きっとミリアリアの恋人を手にかけた負い目を感じているのだろう。
対するミリアリアは、内心どう思っているのかはともかく、アスランにも分け隔て無く接しているのだが。
 
 
「…戻りたくなった?」
 
 
ひゅ、と息を飲む音が自分自身の耳にも入った。
思わずミリアリアの顔をじっと見つめる。
頬杖をついたままのミリアリアの表情は、とても静かで、穏やかで。
碧い瞳に映るのは、狼狽えて弱り果てている自分の顔。
 
 
「…戻った方が、いい?俺。」
 
 
つい、そう口にしていた。
 
 
「私が戻れって言ったら、あんたはそうするの?」
「…っ」
 
 
逆にそう問われ、ディアッカは言葉を詰まらせる。
そんなディアッカを見つめるミリアリアの瞳に、強い光が宿った。
 

「どうしてあんたがわざわざAAに戻って来たのかなんて、私には分からないわ。
だってあんた、何度聞いてもはぐらかしてばっかりだし。
でも…誰に相談する訳でもなく、そうしたいって思ったからあんたは今ここにいるんだろうな、って思うことにした。」

 
いつものミリアリアの口調とは少しだけ違う、穏やかな声。
ディアッカはタンブラーをぎゅっと握りしめた。
 
 
「それでも、その事を仲間だった人は知らない。当然よね。だってあんた捕虜だったんだもん。
でも…今日会えた事で、少しでも話をする事が出来たのかな、って思ったの。」
「…うん。」
「それで気になってあちこち探してみたら、あんたこんな所で深刻そうな顔して縮こまってるじゃない。
…うまく、自分の気持ち、伝えられたの?」
「……わかんねぇよ、そんなの。」
 
 
ディアッカは詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
 
 
「メンデルで会ったの、同じ隊の奴だった。まぁ…俗に言う、親友、ってやつ?
プライドが高くて正義感が強くて癇癪持ちでさ。いっつもアスランとトップ争いしてて、ヒートアップする度、俺が間に入ってた。緩衝剤みたいなもんで、今思えばかなり損な役割だよな。」
「しん、ゆう…?」
 
 
ミリアリアの顔が少しだけ曇る。
「そ。キラに言われた。僕とアスランのような事にはならないで下さいね、って。」
親友同士でありながら、敵としてアスランと出会い、戦いの中でキラが苦悩していた事を今のミリアリアは知っていた。
当時のキラは、どこか不安定で均衡を欠いていて。
サイの婚約者であったフレイと関係を持っていた事も何となく気付いていたが、ミリアリアも、そしてトールもカズイもどうする事も出来ないままフレイはAAからいなくなってしまった。
 
 
「あいつら、すげぇよ。よくそんな状況に耐えながらあそこまで戦ってたと思う。
それに比べて俺は、たいした話もあいつに出来なかった。激高するあいつの言葉にただ返事をするだけでさ。
ウズミ代表の言葉を聞いてお前らナチュラルと触れ合って、その上でザフトに戻って上から言われるままお前らに武器を向ける事はもう出来ない。それしか言えなかった。」
「…そう。」
「やっぱ、きっついわ。そんな言葉だけであいつが納得するなんて思えねぇし、あいつは生真面目だからさ。
生きていてくれたのは嬉しい、って言ってたけど、言葉足らずな俺の説明じゃ到底納得なんて出来ねぇだろうし。…会わない方が、良かったのかもしんねぇって思った。」
 
 
気付けばディアッカは、弱音とも取れる台詞を吐いていた。
こんなに苦しい思いをしているのは、きっと自分だけではないだろう。
自分の姿を目にし、アイスブルーの瞳にうっすらと涙を浮かべたイザーク。
敵同士として再会してしまった、親友。
あいつも今頃、こうして悶々と考え込んでいるのだろうかーーー。
 
 
と、何か温かい感触を頭に感じ、ディアッカははっと我に返る。
それはーーーミリアリアの、小さな手、だった。
 
 
「あんたって…馬鹿ね、ほんと。会わない方が良かった、なんてそんな訳ないじゃない。
その人があんたを見て涙ぐんだ意味、わからないの?」
「……え?」
「あんたが生きていてくれて嬉しい、そう言ってたんでしょ?それが全てじゃない。
そりゃ今はきっと辛いと思うわ。キラだって、凄く辛そうにしてた。
それでもね、生きていれば、アスランとキラみたいにいつか分かりあえる日だって来るかもしれない。
この戦争が終われば、また会える事だってあるかもしれない。ううん、きっと会える。」
 
 
ゆっくりとミリアリアの手がディアッカの頭を撫でる。
それは、いつも艦のどこかでミリアリアがひとり泣いている時、自分がしている事と全く同じ仕草。
ディアッカはぽかんとしたまま、ミリアリアに頭を撫でられるがままになっていた。
 
 
「…辛いよね、あんたも、あんたの親友も。
でも…あんたは間違った事はしてない。ちゃんと親友と向かい合って、言葉足らずでも自分の考えてる事を伝えられた。
だから…今はそれだけでも、いいんじゃない?」
 
 
何度も頭の上を往復する、小さな手。
まるでその手が、胸に溜まったどす黒い感情を吸い取ってくれているようで。
いつしかディアッカの心は軽くなっていた。
 
 
「ラベンダーティーにはね、不安を解消したりストレスで疲れた体をリラックスさせてくれる作用があるのよ?神経を安定させてくれる効果もあるから、寝る前に飲むといいんですって。
だからあんた、それ飲んだら部屋に戻ってさっさと寝なさい。
ていうか、部屋で飲んだ方がいいかもね。このタンブラー、保温効果もあるからしばらくは温かいまま飲めるはずだし。
部屋にシャワーついてるんでしょ?さっさと浴びて、それ飲んで寝ちゃいなさいよ。」
 
 
そう言って、ミリアリアはふわり、と笑い、撫でていたディアッカの頭からそっと手を離した。
それに言いようの無い寂しさを感じてしまったディアッカは、つい目で離れて行く手を追ってしまう。
 
 
「……もしかして、心配とかしてくれたりした?」
「…自惚れないでよね。パイロットのケアも、ブリッジクルーの勤めでしょ。」
 
 
さっきまで微笑んでいたミリアリアが、ディアッカの言葉に少しだけ眉を寄せ、立ち上がった。
 
 
ーーああ、こうやってくるくると変わる表情もまた、見ているだけでほっとする。
 
 
「…さっきの質問の答えだけどさ。俺はザフトに戻るつもりは無い。少なくとも今は、な。」
「…そう。」
 
 
碧い瞳を少しだけ見開いたミリアリアは、顰めていた眉を元に戻し、穏やかな表情で頷いた。
どこかほっとしたように見えるのは、それこそ自分の自惚れだろうか?
 
 
「なぁ、パイロットのケアが仕事の一つならさ、またハーブティー、ご馳走してくれる?」
「……ラベンダーティー以外なら、考えてもいいわ。それ、最後の一つだったからもう無いの。」
「え?」
「…オーブに寄港した時、両親に面会する時間があって。その時差し入れてもらったのよ。
アソートパックだから色々な種類が入ってたんだけど、ラベンダーティーはそれが最後。言ったでしょ?とっておき、って。」
 
 
それはつまり、ミリアリア自身もこのラベンダーティーを気に入っていたと言う事で。
戦艦にいながらハーブティーなど手に入れる機会がある訳も無いのだから、きっと大切に飲んでいたものだったのだろう。
ディアッカは自分の手の中にあるタンブラーとミリアリアの顔に交互に目をやった。
 
 
「…なによ」
「いや、その…悪い。最後の一個、もらっちまって…」
 
 
本気ですまなそうに萎れるディアッカ。
その表情に、ミリアリアは思わず吹き出してしまった。
 
 
「な…っ、何だよ!人がせっかく…」
「ふふ、そうよね…ごめんね。でも、気にしないで?他にもまだ茶葉は残ってるから大丈夫。
それより、ちょっと元気が出たみたいでよかった…」
「へ?」
 
 
目を丸くしたディアッカが間抜けな声を上げるのと、自分が発した言葉にはっとなったミリアリアが口に手をあてたのはほぼ同時だった。
 
 
「ミリアリア…」
「あ、う、えとっ!とにかく、私だって人の事言えないけど!あんまり悩むんじゃないって事、よ!
じゃ、私もう寝るからっ!!」
 
 
かあぁ、と顔をみるみる真っ赤に染めるミリアリアは、さっきまで自分の頭を優しく撫でてくれていた彼女とはまるで別人のように幼く見えて。
ディアッカは、くす、と笑った。
 
 
「……サンキュ」
 
 
ミリアリアが笑っていると、自分までほっとして、嬉しくなる。
こんな時でも、その事実は変わらない。
だからーーずっとそうやって笑っていてほしい。
 
 
「べ、別に、たいした事じゃないわ。それじゃ、おやすみなさい。ほんとに、早く休みなさいよね!
あんた凄く疲れてるんだからっ!」
「はーい、アナタ様。」
 
 
確かに、イザークとの邂逅にヴェサリウスの撃沈、二つの出来事のせいでディアッカは心も体も疲弊していた。
それでもディアッカは、微笑む事が出来た。
それは、なぜかーーー。
 
 
自分の感情に付ける名前が何なのか、ディアッカはまだ気付いていない。
ただ、滅多に自分に向けられる事の無いミリアリアの柔らかい笑顔と、優しい香りのラベンダーティー。
それらが凝り固まった自分の心を解してくれた事だけをディアッカは実感し、食堂を立ち去ろうとするミリアリアに聞こえないくらい小さな声で、一言だけ呟いた。
 
 
「おやすみ、ミリアリア。…マジで、サンキュ。」
 
 
 
 
 
 
 
007
 

 

 

DMスキーなら一度は書きたい、メンデルでのシーンです。
拙い技量ながら、頑張って書いてみました///
「心を重ねて」でもこの時の事にディアッカが少し触れていて、そのシーンを少しばかり
改稿させて頂きました;;計画性の無さ丸出しですみませんorz
あのシーン、公式だと食堂にミリアリアが入って行く所までで終わっていて、その後二人が
何を話したのか!?ととっても気になりますよね!
そこがまた妄想をかき立てて創作意欲に繋がるわけですが(笑)
こちらのシーンも、沢山の素敵DMサイト様が書かれている部分でもあり私のような未熟者が
書かせて頂くのはドキドキなのですが、お仲間に入れて頂ければ幸せです。

 

 

text

2015,2,15拍手up

2015,3,16up