あの時と違うこと

 

 

 

 
ミリアリアは最近、非常に忙しく毎日を過ごしていた。
忙しければ疲れも溜まるもので、疲労は体のあちこちを弱らせる。
だが、ミリアリアはその事をあまり気にしていなかった。
 
 
だから、こうしてエザリアの誘いに乗り、彼女の行きつけのお店で美味しいお酒を飲んでも特段何の問題もないはず、だった。
なのになぜか今、目の前のエザリアはひどく慌てた顔をして、早口で誰かと電話をしている。
 
 
「ミリアリア。今お迎えを呼んだから。吐き気とかは無いかしら?」
 
 
エザリアの言葉に、ミリアリアはきょとんとその綺麗な顔を見上げ、首を振った。
 
 
「全然、平気です。…お迎えって?」
「あなたの旦那様に決まっているでしょ?!」
「…ディアッカ?」
 
 
ほわん、とそう繰り返し、虚空を見つめるミリアリアに、エザリアはおろおろとするばかりだった。
と、乱暴な音とともにドアが開き、ザフトの黒服を纏った見目麗しい将校がこちらへ早足に歩いて来た。
 
 
「ディアッカ、こっちよ」
エザリアが軽く手をあげると、豪奢な金髪に紫の瞳を持つミリアリアの夫は、あからさまにほっとしたような表情を見せた。
 
 
 
 
「うわ、顔色悪っ…」
「でしょう?会った時はそれほどでもなかったのよ。メイクを変えたのかしら?って思ったくらいで。
でも1、2杯飲んだらあっという間にこんなになってしまって。
多分、熱があるわ、この子。」
 
 
店のソファにもたれて目を閉じているミリアリアの顔色は、蝋人形のように青白くて。
ディアッカが額に手をあてると、そこは燃えるように熱かった。
 
 
「よく熱は出す方なの?」
 
 
エザリアの問いに、ディアッカの目が泳いだ。
 
 
「…まぁ、たまに。過労、とかで。」
「……何となく分かった気がするから、それはもういいわ。でも今回は違うわよね?まさか昨晩も寝かさなかった訳じゃないでしょう?」
 
 
明け透けなエザリアの質問に、ディアッカは少しだけ狼狽えて首を振る。
 
 
「毎回そんなんじゃないですって!あ、いや、その…」
「…いちいち照れないで頂戴。こっちまで恥ずかしくなるわ。
で?ミリアリアはどうするの?ナチュラルを診てくれる医師なんてこの辺にいたかしら?」
 
 
そう、最近総領事館内でも評議会の一部でも問題になっていたのだが、プラントにはナチュラルを診察してくれる医師がほとんどいない。
病院にかかるのは専ら外科的な処置を必要とするものか、もしくは先天的な病を抱えた少数のコーディネイターのみだった。
現在プラントに定住しているナチュラルは第一世代の親であるごく少数と、オーブ総領事館の三名のみ。
ナチュラルとの和平を目指すコーディネイターとしては、いずれプラントにナチュラルを迎え入れる準備もしなければいけない。
 
 
だが今は、目の前でぐったりとするミリアリアの方が、ディアッカに取っては何よりも最優先とすべき問題であった。
 
 
「とりあえずうちの系列の病院に運んで、俺が診察に立ち会います。
入院の必要がなければ、自宅で俺が面倒見るんで。ご迷惑おかけしてすみません、エザリアさん。」
 
 
そう言ってぺこりと頭を下げるディアッカを、エザリアは苦笑して眺めた。
 
 
「あなたがそんな風になるなんてねぇ…。恋は偉大ね。」
「…からかわないで下さい。じゃ、俺こいつ連れて行くんで。」
 
 
ディアッカはソファに近づき、こともなげにミリアリアを抱き上げる。
そしてエザリアにもう一度頭を下げると、早足で店を後にしたのだった。
 
 
 
***
 
 
 
昏々と眠るミリアリアをそっとベッドに寝かすと、ディアッカはその寝顔を眺めた。
医師の診断は、風邪。
過労で免疫力が低下したところをやられたらしい。
「さて、まずは着替えか…」
ディアッカはクローゼットから、適当にミリアリアの着替えを取り出した。
病院から借りてきた点滴のスタンドを枕元に設置し、ミリアリアの軍服を脱がせると楽なルームウェアを素早く着せる。
ぐったりとしたミリアリアは目を覚ます気配すらないが、点滴をすればいくらか楽になるだろう。
 
 
「ほんとは熱、出しきらせた方がいいんだけど…ま、しかたねぇよな」
 
 
駆け込んだ病院で測定したミリアリアの体温は、40度近かった。
なぜこんなになるまで何も言わないのか、とディアッカは溜息をついたが、こうなってしまったものは仕方がない。
気づかなかった自分にも責任はある。
 
 
幸い発熱以外の症状は出ていなかったので、ディアッカは医師にかけ合い点滴のパックを手に、ミリアリアを連れて帰って来たのだった。
 
 
 
 
手早く点滴の用意をし、ミリアリアの細い腕に処置を施す。
アカデミーでは有事に備えた応急処置の授業ももちろん行われるが、ここまでの行為に携わるには簡単な資格のようなものが法で義務づけられている。
ディアッカやイザークは赤服と言う事もあって、当然のようにその資格を有していた。
 
 
これで、少しは楽になるだろう。
 
 
相変わらず顔色の悪いミリアリアにそっと唇を落とし、ディアッカは浴室へと向かった。
 
 
 
***
 
 
 
がたん、と言う音に、タオルで髪を拭っていたディアッカははっと顔を上げた。
着替えたばかりの、ラフなTシャツにコットンのゆったりとしたパンツ姿でさっとドアを開ける。
どうやら先程の物音は寝室から聞こえて来たようだ。
 
 
「ミリィ?…な、おい!」
 
 
足早に寝室のドアを開け、ディアッカは目を見開いた。
そこには、ルームウェア姿のミリアリアが点滴のスタンドを支えに裸足のままぼんやりと立ちつくしていた。
 
 
「お、お前…何やってんだよ?」
慌てて駆け寄ると、ミリアリアはぼんやりとディアッカを見上げる。
そして、みるみるうちにその熱で潤んだ碧い瞳に涙を滲ませた。
 
 
「ディアッカ…なんで、いないの?」
「…へ?」
「シャツも、なくなっちゃった…」
「は?シャツ?」
「あれがないと…眠れないの…」
 
 
ぼろぼろと涙を零して子供のようにしゃくり上げ始めたミリアリアを、ディアッカは唖然と見下ろしーー不意に、ある記憶が蘇った。
 
 
「…ミリィ。ここはAAじゃない。プラントの、俺たちの家。俺たち、結婚したろ?」
ディアッカは華奢な肩に手を置き身を屈めてミリアリアと目線を合わせ、子供に言い聞かせるようにゆっくりとそう囁く。
ミリアリアは首を傾げ、「…あれ…ゆ、め?」と呟いた。
「AAの夢、見た?」
ぽんぽんと頭に手を置きながら問いかけると、まだしゃくり上げながらもこくん、とミリアリアは頷いた。
「熱で体が弱ってるから仕方ないよな。ほら、俺はここにちゃんといる。ひとりにしないって言ったの、忘れちゃった?」
 
 
ふるふると首を振るミリアリア。
 
 
「…私…エザリアさん…」
「うん。エザリアさんと飲んでたんだろ?そこでお前、具合悪くなっちまって俺が呼ばれたの。風邪だってさ。」
「風邪…」
 
 
ぼんやりと考え込んでしまったミリアリアの手をディアッカは引き、そっとベッドに横たえると自分もその隣に腰掛けた。
額に手をあてて確認したが、熱はまだ下がる気配もない。
 
 
「昔AAでさ。お前がぶっ倒れて、俺の部屋で過ごした事あったよな?」
「…ん」
 
 
あの時のミリアリアは、恋人の死を受け入れきれず情緒不安定になっていて。
ディアッカは毎晩のように艦のどこかで泣いていたミリアリアを探し出し、どんなに嫌がられても落ち着くまで側から離れようとしなかった。
今なら分かる。
ミリアリアもまた、少しずつではあるが、心のどこかでディアッカを求めてくれていたのだと。
あれからもう何年も経っているのに、当時の事を夢に見て涙を流すミリアリア。
ひとりになるのを極端に怖がっていて、でもそれを表に出す事は頑としてしなかったミリアリアが縋るように自分のアンダーを握りしめていた事を思い出し、ディアッカはふわりと微笑んだ。
 
 
「あの時、ね。ディアッカがシャツ、置いてってくれて…ひとりじゃない、って思えて、横に置いて眠ったの。」
「うん。」
「夜中に…目が覚めた時、ディアッカが隣にいて。温かかったの。」
「うん。」
「だからね、すごく…安心して、それで、ちゃんと眠れたのよ?」
「そっか」
 
 
どこか懐かしそうに、ぽつりぽつりと当時の想いを口にするミリアリアは子供のようにあどけなくて、かわいらしくて。
しかし、熱の高いミリアリアに無理はさせられないと思ったディアッカは、宥めるように頬を濡らす涙を指で拭うと小さな手を握った。
 
 
「あの時と今は違う。戦争はもう終わって、俺たちは再会して、結婚した。
俺はもうお前を置いてどこへも行かない。ずっと一緒にいる、って二人で決めたんだからさ。だろ?」
「うん…。そう、よね。私…あの時の夢見てて…」
「熱が高い時は、そう言う事もあるさ。だからほら、もっかい寝な?俺、傍にいるから。」
「…風邪、うつらない?」
「俺、人より丈夫なコーディネイターなの。気にしないで平気だって。」
 
 
おどけたようにそう言って笑うディアッカに、ミリアリアは安心したように涙の残る瞳を細めて少しだけ微笑んだ。
 
 
「そばに…いて?」
「うん。ちゃんといるから。」
 
 
安心させるようにミリアリアの髪をそっと撫で続けていると、程なくして安らかな寝息が聞こえ始めた。
点滴が効いて来たのだろう。顔色もいくらかマシになって来ている。
 
 
 
ーーーキスが、したい。
 
 
 
あの時と同じ事を考えていた事に気付いたディアッカは、思わず苦笑する。
 
 
…成長してねーのな、俺。
 
 

大切にしたいから。
辛い思いも泣きたい気持ちも全部ひとりで抱え込んでしまう、不器用なミリアリアを支えたいから。
その想いは、今も変わらない。
変わったのは、二人の距離。
守りたい、と願う事で満足していたあの頃。
それが今はこうして、誰に憚る事もなく傍に入れる幸せ。
二人は夫婦となり一つ屋根の下で暮らしている。
 
 
辛い別離を乗り越え、多くの障害を乗り越えて名実共に自分の妻としたミリアリアの寝顔を眺めながら、ディアッカはそっとその薄く開いた唇に自分のそれを重ね合わせた。
そして、あの時と同じようにそっとミリアリアの横に体を滑り込ませ、負担にならないよう柔らかく抱き締める。
 
 
「シャツなんか、もういらないよな?ミリィ」
 
 
あの頃とは違い、まっすぐに自分を求め、愛してくれるミリアリア。
この世で一番欲しかった宝物を手に入れたディアッカは、当時の自分の葛藤を思い出しくすりと微笑んだ。
そして、ふと思い出す。
 
 
あの時だっけな。初めて、“いってらっしゃい”って言われたの。
 
 
今では当たり前になってしまっている、出がけの挨拶。
あの当時はその一言が、どれほどディアッカの心の支えとなった事だろうか。
 
 
「ちゃんと、傍にいるから。ゆっくり休んで、早く治せよな。」
 
 
無意識に身を寄せてくるミリアリアの耳元でそっとそう囁くと、ディアッカは熱い体を守るように抱き締め、柔らかい髪に顔を埋めると目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
007

お題「伝えたい言葉ふたつ」(8000hit御礼作品でもあります)の“おはよう、がんばって”と
リンクしたお話です。
AA時代と現在を比べると、何とも感慨深い思いになるのは私だけ、でしょうか?
公式本編でも、こんな風にふたりがなっていればいい!と切に思います。
DMで看病ネタを書きたかったのですが、気付けば乱発してますね;;すみませんorz

 

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2014,12,22拍手up

2015,1,15up