おはよう、がんばって

 

 

 

 
ずきん、と下腹部が痛み、ミリアリアは目を開けた。
医務室とも自分に与えられた部屋ともどこか違う、風景。
ぼんやりと辺りを見回したミリアリアが横を向くと、そこにはすやすやと眠る豪奢な金髪のコーディネイターの横顔があった。
 
……こいつ、なに、してるのかしら?
 
反対側を向くと、点滴のスタンド。
そこから伸びたチューブはミリアリアの左腕に繋がっている。
 
 
なんだっけ、これ?
ああ、私、熱があるんだった。
でも、さっきまでよりだいぶ、楽、かも…。
 
 
そこまでやっと思い出したミリアリアは、寒さにぶるりと震えた。
そして自然と体を、隣に眠るーーディアッカにすり寄せる。
ディアッカの体温がミリアリアに伝わり、そこから少しずつ温かさが広がる。
相変わらず下腹部は鈍い痛みを訴えていたが、きっと痛み止めが切れたのと、少し寒いせいだろう。
 
 
と、ディアッカがもぞりと寝返りを打ち、体ごとミリアリアの方を向いた。
長い睫毛、薄く開いた綺麗な形の唇。
コーディネイターって、みんなこんなに綺麗なのかしら…?
ぼんやりとその端整な顔を眺めていたミリアリアだったが、いつしか下腹部がじんわり温かくなっている事に気付いた。
不思議に思い、自由になる右手をそっと下腹部に這わすと、そこにはいつのまにか、ディアッカの温かい手が乗せられていた。
人肌の温かさに、少しずつ痛みが和らいで行く。
まるで、ディアッカの手が痛みを吸い取ってくれているようで。
こんなに安心出来てしまうのは、人肌が…ディアッカの手が、体が、こんなにも温かいから?
ミリアリアはそっとディアッカの手に重ねていた自分の手をずらし、彼が身につけているアンダーの裾を指先でぎゅっと握る。
 
こんなに安心したのって、何ヶ月ぶりだろう…。
どうして、こんなに安心してるんだろう、私は。
隣にいる温かい体は、トールじゃない。
トールと入れ替わるように現れた、ザフトの、コーディネイター、なのに。
 
そう思いながらも、ミリアリアは不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
そしてもう少しだけその温かい体に擦り寄ると、ミリアリアの意識はまた深く沈んで行った。
 
 
 
 
ミリアリアの点滴が切れる直前に合わせ、最小音量にセットしておいたアラームの音に、ディアッカはぱちりと目を開けた。
目の前には、柔らかい茶色の跳ね毛。
「…っ」
いつの間にか自分に寄り添うようにして眠るミリアリアと、その小さな体を半分抱き抱えるようにして眠っていた自分に、心臓がどくんと跳ねる。
ーー寒かったのか?
室温は快適に眠れるように調整済みだ。
だとしたら、まだ、熱が引かないのだろうか。
そう思い、ミリアリアの額に手をやろうとしたディアッカの動きがぴたり、と止まった。
 
 
「……まじかよ」
 
 
すやすやと眠るミリアリアの右手が、ディアッカのアンダーシャツの裾をぎゅっと握っていた。
その場所は、眠る前に掴んでいた所とはまた別で。
 
「ほんとはめちゃめちゃ寂しがりなんじゃねーかよ…この意地っ張りが」
 
そう小さく呟き、ディアッカは思わず苦笑する。
これって何の苦行?俺、なんか試されてんのか?
好きな女が目の前で無防備に眠っていて、その手は自分のシャツをしっかりと握りしめていて。
小さな体は、ディアッカに寄り添い安心しきったように深く寝入っている。
その薄く開いた唇に、いつしかディアッカは吸い寄せられるように顔を近づけていた。
 
 
ーーーキスが、したい。
 
 
プラントでこれまで相手にして来たどの女にも、こんな感情を持った事などなかった。
だが、ディアッカは唇が触れるぎりぎりで、ぴた、と動きを止めた。
 
大切にしたいから。
辛い思いも泣きたい気持ちも全部ひとりで抱え込んでしまう、不器用なミリアリアを支えたいから。
だから、今はまだ、このままでいい。
ここでこうして、ミリアリアを守れれば、それで。
 
ディアッカはミリアリアの頬に、そっと唇を触れさせる。
「…こんくらいは許せよな。アレ、二日かかって作ったんだから」
そう小さく呟き、ディアッカは器用にミリアリアが握ったままのアンダーをするりと脱いだ。
 
 
こんなシャツ一枚で安心出来るなら、いくらだってくれてやるさ。
 
 
ミリアリアを起こさぬよう静かにベッドを抜け出したディアッカは、もう一度すやすやと眠るあどけない顔に目を落とすと、寒くないようにブランケットをかけ直す。
そして手早くシャワーを浴び、身支度を整え部屋を出て行った。
 
 
 
 
ああ、温かい…。
ミリアリアがゆっくりと目を開けると、ベッドの横に置かれたスタンドに新しい点滴をぶら下げるディアッカの姿があった。
あれ程痛かった体も、怠さは残るものの大分楽になっている。
ミリアリアは手慣れた様子で点滴を付け替え、自分に刺さった針の様子までチェックするディアッカをぼんやり眺めた。
ひとしきりチェックを終え、医務室から持ち出して来たのかカルテのようなものを眺めるディアッカは、なんだかまるで医師のようだ。
ザフトの軍人は、こういう事も教わるのかしら…。
ディアッカの白衣姿を想像して、ミリアリアは思わずくすり、と笑った。
その気配に気付いたのか、はっとしたようにディアッカが顔を上げ、紫の瞳がこちらに向けられる。
 
 
「……おはよう」
 
 
ふんわりと微笑んだままでミリアリアがそう口にすると、何故かディアッカはびくり、と体を揺らした。
「お、おはよ。目、醒めちゃった?」
「うん…」
そう言ってディアッカを見上げるミリアリアの碧い瞳は、まだ下がりきらない熱に潤んでいて。
ディアッカの心臓がまたどくんと脈打ち、不自然に視線が泳ぐ。
そんな、いつもより少しだけぎこちないディアッカに、ミリアリアは内心首を傾げる。
 
「た、体調は?」
「だいぶ、楽になった、かな…。体はもう、痛くない。怠いけど。」
昨日より少し力のあるミリアリアの声に、ディアッカは安心したように息をついた。
「そ、か。とりあえず今日もここで寝とけよ?点滴は後で先生が取り替えに来てくれるし、熱さえ下がればこれもいらなくなる。着替えとか必要なもんはここ置いとくから。」
「いつの間に…取りに行ったの?」
驚きに目を丸くするミリアリアがかわいらしくて、ついディアッカは微笑んだ。
「お前が寝てる間。あとこれは艦長から。」
ディアッカは綺麗に荷物を纏め、ミリアリアが取りやすい場所に並べる。
「じゃ、俺は格納庫にいるから。調整終わるまで多分戻れないから、気にしねぇでゆっくり休んどけ。」
 
 
「…終わるまで、戻って来ないの?」
 
 
ぽつり、と呟かれた問いに、ディアッカは目を見開いた。
 
「え?」
「…ううん。何でもない。」
ミリアリアは恥ずかしそうに目を伏せ、もぞもぞとブランケットに潜り込んだ。
 
 
「…ごはん、サイとでも食べなさいよね。ひとりじゃ美味しくないでしょ?」
 
 
先程よりは大きな、だが注意していなければ聞き逃してしまいそうな言葉。
それは、いつも自分と食事をしているディアッカがひとりにならないよう、気を使ってくれているという事に他ならない。
最初は同じテーブルにつく事すら嫌がっていたくせにーーー。
どこまでも意地っ張りな目の前の少女に、ディアッカは気付けば柔らかく微笑んでいた。
 
「…ああ、サンキュ。そういやお前、メシ食える?今なら俺、取って来れるけど…」
「今はいいわ。食欲ないし…どうしても困ったら、マリューさんか先生にでも相談するわ。だから大丈夫。…ありがと。」
 
と、ディアッカの眉間に皺が寄った。
ミリアリアが落ち着けるようにと思い、遅くまで戻らないようにしようと思ったが。
体力の回復に、食事をきちんと摂る事は基本中の基本。
だがミリアリアは遠慮して、きっと艦長にも医師にも食事を運んでほしい、とは言わないだろう。
自分が倒れた事で迷惑をかけているであろうサイにも、きっと。
だったら…自分以外誰が準備する?
普通食がダメなら、病人用の食事を調達すればいい事だ。
ーー無いって言うんなら俺が作ればいいし。
実はとてもマメで器用なディアッカは、腰に手をあてミリアリアを見下ろし、きっぱりと告げた。
 
 
「だめ。食わなきゃ治んない。体力落ちてんだから。今はいいとして、やっぱ俺、一回戻る。そん時メシも持ってくるから。」
 
 
ミリアリアはまた目を丸くしてディアッカを見上げている。
きょとん、とした表情が、だんだん柔らかくなり、嬉しそうに変わって行くのを目の当たりにし、ディアッカの顔が何故か熱くなった。
 
熱のせいとは言え…いつもより五割増しに感情だだ漏れじゃねーか、こいつ…。
 
いつもにこやかに笑い、明るく振る舞うミリアリア。
彼女はその心が抱える悲しみや痛みを、決して簡単に表に出す事はしない。
それによって周りを心配させるのを何よりも嫌うからだ。
そんな彼女が見せてくれる、素直な感情や表情。
今だけかもしれないーーいや、多分今だけだろう、その無防備な姿に、ディアッカは柄にも無く舞い上がりそうになる。
 
「…いいの?忙しいのに…」
「もちろん。じゃあ俺、そろそろ行くからさ。とにかくゆっくり寝とけよ?」
 
紅潮しているだろう顔を見られたくなくて、ディアッカはひらりと手を上げミリアリアに背を向けると、ドアに向かった。
そして、まさに開閉ボタンを押そうとした、その時。
 
 
 
「いってらっしゃい。…がんばって、ね。」
 
 
 
躊躇いがちな小さな声に、ディアッカはぴきん、と固まり、たまらず振り返る。
そこには、ベッドから半身を起こし、熱に潤んだ瞳でディアッカを見つめるミリアリアが、いた。
ディアッカはぽかん、とミリアリアを見つめたまま立ちつくす。
 
いってらっしゃい。…がんばって、ね。
 
ディアッカの胸に、温かい何かがじんわりと広がる。
そしてディアッカは、自然にふわり、と柔らかい笑みを浮かべていた。
 
 
「……いって、きます。」
 
 
どこかぎこちなくそう返し、今度こそ開閉ボタンを押す。
シュン、言う音と共にドアが開き、そして同じ音を立てて閉まるまで、ミリアリアはディアッカを見送っていた。
その視線をディアッカも感じ取っていたが、振り返る事など到底出来なくて。
 
「……いってきます、か」
 
最後にその言葉を口にしたのは、一体何歳の時だったろう?
どこかこそばゆい気分を、ディアッカは大きく伸びをする事で何とか誤摩化す。
ーーーこりゃ、本気出すしかねーな。
ディアッカはふわりと微笑むと、予定通り整備や調整を終わらせてミリアリアの元へ食事を運ぶべく、格納庫へ向かい歩き始めた。
 
 
 
 
 
「いっちゃった…」
ミリアリアはぼんやりと、ディアッカが出て行ったドアを眺めた。
なんで、いってらっしゃいなんて言ったんだろう、私。
がんばって、なんて、普段なら口に出来ない言葉も、何故か今日はさらりと言葉にできて。
 
ーーー熱のせいよ!そう、ここに私がいるのもあんな事言ったのも、全部熱のせい!!
 
だんだん恥ずかしさが込み上げ、ミリアリアはもぞり、とベッドの中で身じろいだ。
「…う、わ。」
途端、体の一部を襲った不快感に眉を顰める。
下腹部の痛みはほとんど治まっていたが、数ヶ月ぶりに訪れた生理は思ったよりも出血が酷かった。
 
 
「だいじょうぶ、そう…ね。」
 
 
ミリアリアは自分が寝ていた付近をくまなくチェックし、ほっと息をつく。
ベッドを汚してしまってはいないか、と酷く焦ったが、どうやらその心配はなさそうだった。
そういえば、とマリューからの荷物を探ると、やはり中には生理用品一式が納められており、ミリアリアはその気遣いに心底感謝した。
さすがにディアッカにこれを持って来てほしい、とは頼めない。
……もし頼んだらあいつ、どんな顔するかしら。
ミリアリアはベッドに腰掛けたまま、くすくすと笑った。
こんな風に心から笑ったのは、久しぶりだった。
 
 
 
マリューの気遣いに感謝しつつ、身支度を整えてベッドに戻ると、無造作に捲ったままのブランケットに白い布のようなものが巻き込まれているのに気付いた。
「これ…あいつの…」
それは、昨晩ミリアリアが咄嗟に掴んでしまった、ディアッカの着ていたアンダーシャツ、だった。
ちゃんと謝って、お礼を言わなくちゃ。そう思ってディアッカを訪ねた自分。
嫌われたかもしれない事がどうしようもなく怖くなって、みっともないくらい泣いてしまった自分を部屋に入れ、優しく頭を撫でてくれた事に安心して。
それでもまだ心細くて、ベッドに腰掛けて自分を宥めてくれていたディアッカのシャツの裾を思わず握り締めていた。
 
 
だからあいつ、一緒に寝てたんだ。
 
 
あっという間に眠り込んでしまった自分を起こさないように、そうしてくれたのだろう。
そしてきっと、朝になっても同じようにそれを握りしめていた自分を気遣い、そっと脱いで、そして医務室へと行ったのだろう。
 
添い寝など、普段であれば怒鳴り散らしていただろうミリアリアだったが、なぜか今回はそんな気に全くなれなくて。
それよりも、深夜に目が覚めた時、隣に感じた温かいディアッカの体温にただ安心出来て、久しぶりにぐっすり眠れた事。
痛む下腹部を労るように、無意識に添えてくれた手の温かさと優しさ。
そちらの方が、ミリアリアに取って余程大事なことだった。
 
 
トールとは全く違う、ディアッカの優しさ。
当然だ。トールとディアッカは、別の人間なのだから。
 
 
ミリアリアはそっとディアッカのアンダーをブランケットから取り出し、綺麗に畳んで枕元に置く。
そして、点滴の針がずれないように気をつけながら枕にぽすん、と頭を落とし、そっとアンダーに手を伸ばす。
熱が下がるまで。そう心に決め、ミリアリアはディアッカの好意に甘える事にする。
 
「…がんばって、ね。」
 
そう呟いて、ミリアリアは昨晩と同じようにぎゅっとアンダーを握りしめ、また眠りについたのだった。
 
 
 
 
007

8000hit御礼小説です。
お題「伝えたい言葉ふたつ」の3つめ、のお話であり、7000hitの続編になります。
ミリアリアが別人かというくらいディアッカに甘えていますが、病気になると
誰しも心細くなるじゃないですか(汗
なので、どうか広い心でお読み頂ければ幸いです;;
個人的には、眠りながらもミリアリアのお腹に手を置いてくれちゃう
ディアッカに激萌えしました(笑)
キリリクの方、散々お待たせしてしまっておりますがやっと半分超えました!
あと少しでお届け出来るかと思います。
まずはこちらのお話、お楽しみ頂ければ幸いです!

いつも私の拙い話を応援して下さり、本当にありがとうございます!
亀の歩みになりつつありますが、これからも二人の物語を書き続けて参りますので、
どうぞよろしくお願い致します。
そして、応援して下さる全ての方にこのお話を捧げます。

 

 

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2014,12,10up