過小評価

 

 

 

 
ザフト軍本部内の通路に設えられた大きめの窓からは、綺麗な夕日が差し込んでいた。
書類を手にぼんやりと歩いていたシホは、つい足を止めてその景色を眺める。
プラントは宇宙コロニーゆえ、この夕日も人工のものだ。
ーーー地球の夕日は、これよりもっと綺麗なのかしら。
 
 
…あの男なら、よく知っていそうな事ね。
シホは不意に頭に浮かんだいけ好かない男の顔に、つい眉を顰めた。
 
 
 
 

「…シホ。あの態度は何とかならんのか?」
報告書を手渡されながらかけられた言葉に、シホは首を傾げた。
「あの態度…とは?何の事でしょう?」
「お前の、ディアッカに対する態度だ。」
アイスブルーの瞳にさらりとした銀髪の隊長ーーイザーク・ジュールの顔を、シホは思わずまじまじと見つめてしまった。
 
 
「…お気に触ったようなら申し訳ありません。ですが、無礼を承知で申し上げます。
私は裏切り者と普通に会話が出来るほど出来た人間ではありません。」
 
 
きっぱりとしたシホの口調。
敬愛する隊長の表情が困ったような苦笑に変わり、その美しさにシホはどきりとした。
 
 
 
「前にも言ったはずだが、あいつはプラントを裏切ってなどいない。
自分の信念に従って行動したまでの事だ。でなければいくらあいつでも恩赦など受けれまい?」
「ですが!三隻同盟に与してAAに乗艦し、我々ザフト軍に武器を向けたのは事実ではないのですか?
それが裏切り行為でなければ、一体なんなのです?」
 
 
 
つい熱くなるシホに、イザークは苦笑したまま残りの報告書を手渡す。
 
 
「確かに、な。俺も初めはお前と同じように思った。
だが、あいつの話を聞いて、俺自身あの戦争の必要性や理由を改めて考えさせられた。
一概に、あいつのした行為が裏切りや悪だと決めつけるのはもう少し待ってやってくれないか?」
 
 
敬愛するイザークの言葉。
それが、裏切り者の為であってもシホは頷かざるをえなかった。
イザーク・ジュールは、シホが誰よりも敬愛し、憧れる男、なのだから。
 
 
 
「あいつは明後日からしばらくプラントを離れ、コペルニクスでの任務に就く。
お前のあいつに対する態度について、俺がどうのこうのと命令するつもりは無いが…せめて任務中は普通に口をきいてやってくれ。
副隊長と副官の間で会話が成立しないなど、お前も仕事がしづらいだろう?」
「…了解致しました。」
シホは渋々頷いた。
 
 
 
 
 
大体、第一印象からして最悪だったのだ。
隊長とともに迎えに出向いたAAで、事もあろうにナチュラルの女性兵士ーーまだ、少女と言っておかしくない華奢なかわいらしい容姿の!ーーに熱烈な抱擁とキスを衆人環視の前で送っただけならまだしも、その後乗り込んだザフト艦では涼しい顔でイザークと会話を楽しみ、初対面のシホに「へぇ、俺がいない間にこんな美人が来たんだ。やるじゃんイザーク。」などと小馬鹿にしたような台詞を吐いたろくでもない男を、どう好意的に見ればいいというのだろう。
 
 

ザフトを…隊長を裏切ったくせに!
何度も口から出かかった言葉を飲み込んだのは、その男が敬愛するイザーク・ジュールの親友だと知ったから。
軍事裁判にかけられた時にはさすがにひやりとしたが、恩赦を受け無罪となり、なぜか緑服を纏って戻って来た時には内心せせら笑った。
しかし、イザークがその男を自分の副官に任命したと聞いた時には愕然としたのだったが。
 
 
見るからに軽薄で、世渡りのうまそうな男だ。
優しい隊長の事だって、もしかしたら利用するつもりでいるのかもしれない。
頭に血の昇ったままそんなことを考えていたシホだったが、ふと顔を上げた先にその“ろくでもない男”の姿を認め、慌てて姿を隠した。

 
 
 

「あれー?いつ一般服に変わったんだ?エルスマン。」
 
 
 
シホの鋭敏な聴覚は、普通なら届かない距離で繰り広げられる会話までも敏感に拾い上げてしまう。
どうやら、ただの友人同士の会話、ではないらしい。
裏切り者がどんなトラブルに巻き込まれようと自業自得としか思えないが、こんな事を知ったら隊長が黙っているはずも無い。
出来れば関わり合いになりたくないシホだったが、心を決めるとそっと顔を覗かせて様子を伺った。
 
 

あの噂は本当なのか。ザフトを裏切ってナチュラルの味方をしたのはどういうつもりなのか。
ディアッカを囲む数人の兵士達は、揃いも揃って同じような言葉を口にしてじわじわと壁際まで彼を追いつめる。
対するディアッカは、どこか小馬鹿にしたようないつもの表情で兵士達を適当にあしらっているようだ。
それを見つめるシホは、いつしかざわざわとした苛立ちを感じていた。
それが、大嫌いなディアッカに対するものなのか、ディアッカを責める兵士達に対するものなのか、自分でも分からない。
 
 
……どうして、何も言い返さないのかしら。あの男。
シホはそっと唇を噛み締めた。
 
 

ひとしきり兵士達に言いたいように言わせ、兵士達の野次が止まったタイミングを見逃さず、ディアッカは適当な言葉を兵士に投げ踵を返す。
こちらへ歩いてくるディアッカを、死角になる位置からシホはじっと見つめた。
その表情はいつもと何一つ変わりない。
無表情、と言ってもいいくらいだ。
 

その時、相手にされず余程悔しかったのか兵士のうちの一人が大声で捨て台詞を吐いた。

 
 
 

「あいつだってナチュラルの避難民をぶっ殺したくせに、それで白服かよ!
やっぱ顔がいいと得だよなぁ。色仕掛けでもしたんじゃねーの?
お前と自分が助かるようにってさぁ!」

 
 
 

それが、ディアッカとシホの上司であるイザーク・ジュールの事を指していると理解し、シホの頭に一気に血が昇った。
なぜ、あんなにも必死で戦った隊長までもが貶められなければならないのか?!
思わず出て行きかけたシホだったが、同時にぴたりと足を止めたディアッカに気付き慌てて元の位置に身を隠す。
下卑た笑い声が廊下に響く中、シホは自分の方を向いていたディアッカの表情の変化に思わず息を飲んだ。
 
 

先程まで無表情だったディアッカの表情が一瞬にして怒りに燃えあがり、紫の瞳が酷薄で残忍な色を宿す。
そして、次の瞬間。
その長い足で一気に兵士達の所まで舞い戻ったディアッカが、野次を飛ばした男に思い切り拳を見舞った。
男は声すら出せないまま吹き飛ぶ。
そのまま全く無駄のない動きで、残った兵士達を次々とのして行くディアッカを、シホはただ呆然と見ていた。
全員が廊下に倒れ伏すまで、1分もかからなかっただろう。
対してディアッカは、息ひとつ乱していない。
 
 
そして、冷たい瞳で兵士達を見下ろしたディアッカは、低く、しかしきっぱりとした声でこう言い放った。

 
 
 
「俺は誰に恥じる事もしていない。お前らに何を言われようと何も感じない。
だから、俺の事はどう思おうといいけどな。
ーーーお前らと違って真剣に戦って、泣いて、悩んで。
それでもここに残って軍人やってるあいつを悪く言う事はこの俺が絶対に許さない。
次に同じような事を口にしてみろ。…生まれて来た事を後悔させてやる。」

 
 
 
その冷たく光る瞳に、シホは背筋が凍るほどの恐怖を覚える。
しかし同時に、あの二人の絆の深さを思い、ぎゅっと胸が締め付けられた。
 
 
 
 
無事に報告書を提出したシホが隊長室に戻ると、そこにイザークの姿は無く、ソファには先程の立ち回りを演じた男ーーーディアッカ・エルスマンがテーブルに救急キットをばらばらと広げてどかりと座り込んでいた。
 

「あ、シホ。イザークならさっき出てったぜ?会議とか言ってたけど。」
「……そう。」
 

シホはそちらに目もくれず、すたすたと簡易キッチンへと消えて行く。
相変わらずの態度に、ディアッカは苦笑しながらその姿を見送った。

 

「よっ…と」
器用に絆創膏を袋から取り出し必要な枚数を用意し始めたディアッカだったが、背後に気配を感じふと振り返る。

 
 
「………あ?」
 
 

そこには、温かいお湯で絞ったタオルを手にしたシホが、無表情のままディアッカを見下ろしていた。

 
 
 

「え、と?なに」
「加減も考えずに力任せに殴るなんて、あなた本当に馬鹿よね。」
つかつかとディアッカの前に回り込んだシホが、出血しているディアッカの手首をぐっと掴んでタオルを乗せる。
「痛って!!」
「それに、消毒もしないで手当てするなんて。アカデミーで何を習って来たの?
いくらコーディネイターでも、化膿するときはするのよ?」
きつい言葉とは裏腹に、シホはディアッカの傷口を清め消毒液を振りかける。
「おい!しみる!!痛いって!!」
「グダグダうるさい!次騒いだらそこの水槽で傷口洗うわよ!」
途端にぴたりと口をつぐんだディアッカに少しだけ気を良くし、シホは手際よく傷口にガーゼと包帯を巻き付けた。

 
「絆創膏程度でどうにかなる傷じゃ無いじゃない。何枚使うつもりだったのよ。
これだってタダじゃないんですから。無駄遣いしないで下さいね。」
 

ディアッカはきょとんとした顔で、手に巻かれた包帯とシホの顔を交互に見やる。
「…聞いてるの?エルスマン!」
「な、あ、はい!」
「返事は」
「わ、分かった。気を、付けます。」
なぜか敬語で返事をするディアッカ。
驚くのも無理は無いだろう。
自分の事を名前で呼ばれたのも、これほどまでにシホがディアッカに話しかける事も初めてだったのだから。
 
 

「もうすぐコペルニクスに行くんでしょう。怪我なんてしてる場合じゃないでしょうに。
後先を考えないのは昔からなの?」
すっかり冷たくなったタオルを手に立ち上がるシホを、ディアッカはただ見上げる事しか出来ない。
 
 
「…見てたのかよ」
「たまたまね。…でも、あなたがああしなければ、多分私が同じ事をしてたわ。」
 
 
ディアッカの紫の瞳が驚きに見開かれた。
 
 
 
「…サンキュ、シホ。やっぱ自分で手当てすんの、難しいわ。」
「面倒だっただけでしょう?…あなた、もう少し自分を大事にした方がいいわ。
でないと、隊長が悲しむわよ。」
 
 
 
つん、と顎をそらせたシホに、ディアッカは思わず破顔する。
そのまま笑い出した“元”いけすかない男をじろりとシホは見下ろし、タオルを片付けようと歩き出した。
 
 

「俺の事、嫌いなんじゃねぇの?」
 
 

不意に投げかけられた言葉に、シホは立ち止まる。
 
 
「ーーー少なくともあなたは隊長を裏切っていない。さっきのでそれが分かったから。」
 
 
自分を貶められた事よりも、親友であるイザークへの中傷に我を忘れて激怒したディアッカ。
その姿を見たシホは、もうこの男を裏切り者などとは思えなかった。
そして、自分がこの男について今まで“過小評価”していた事をも改めて自覚したのだった。

 
シホはドアの前まで行くと、くるりとディアッカを振り返る。
そして、一瞬目を伏せた後ーーにこりと微笑んだ。
 
 
「これから先は、あなたと私で隊長を補佐するのよ。
ふざけた真似してると、隊長の親友といえども承知しないから。ーーー分かったわね?エルスマン。」
 
 

ディアッカは、自分に向けられた笑顔とその言葉に目を丸くした後、なぜかひどく嬉しそうに微笑み。
「了解」と包帯の巻かれた手で美しい敬礼をシホに送ったのだった。

 
 
 
 
 
 
 

007

ミリアリアが全くもって出て来ないですすみません(汗汗汗
拍手小噺16「Distance」と対のお話です。
長編「空に誓って」29話でザフトに復隊した当初のシホの話をディアッカが
しているのですが、こちらはその補完、にもなるのかな?
さらに補足しますと、この後ディアッカが留守の間、イザークから色々と
話を聞いたシホは少しずつディアッカに心を開き、態度を軟化させて行きます。
そして、ジュール隊の隊長室には水槽があります(笑)
何が入っているかは皆様のご想像にお任せしますが、きっとイザーク好みの
ひらひらな金魚とかが飼育されてるんじゃないかと思います(笑)

 

 

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2014,10,12拍手小噺up

2014,11,17up