エルスマン夫人のお料理教室 

 

 

 

 
久しぶりの休みは、洗濯日和。
ミリアリアは前々から洗おうと思っていたラグを洗濯機から出し、えっちらおっちらとベランダまで運んでいた。
 
「よいしょっ…と」
 
いつもこういった大物の洗濯は、ディアッカがいる時にしかやらない。
背の低いミリアリアに、大きなラグを物干竿に干すという行為はなかなかの重労働だからだ。
その点ディアッカは背が高いしミリアリアより力だってあるから、お願いすればさっさと代わりにやってくれる。

ああ見えて、なにげに家事とか嫌いじゃないのよね、あの人。

やっとの事でラグを干し終えたミリアリアが室内に戻ると、携帯の着信音が鳴り響いていた。
ディアッカは今日、いつも通りに仕事。
そして仕事中は、余程の事がない限りメールでしか連絡をしてくる事が無い。
ミリアリアは首をひねりながら携帯を手に取り、少しだけ目を見開いた後通話ボタンを押した。
 
 
 
***
 
 
 
「ここで…いいのよね?」
つい独り言を呟いて見上げたのは、アプリリウスでも屈指の高級マンション。
確か、ミリアリアがプラントに来たときはまだ着工中だった建物だ。
そっと重厚なドアを押し、これまた豪華なエントランスに足を踏み入れると、ミリアリアは指定された部屋番号のインターフォンーーもちろんこのマンションはオートロックだったーーをそっと押した。
 
 
「ミリアリアさん!すみません、お休みの所…」
 
 
ドアを開けたのは、シホ・ハーネンフース。
白いシャツにジーンズ姿のシホが何だか新鮮で、ミリアリアはちょっとだけその姿に見惚れてしまった。
元がいいと、こういうシンプルな格好も似合うのねぇ…。
「ミリアリアさん?」
「あ、ああ、ごめんなさい。こんにちは、シホさん。あの、ええと…」
 
 
「…いらっしゃい。どうぞ、あがってちょうだい」
 
 
シホの後ろから聞こえた声に、ミリアリアはそちらに目をやるとぽかんと口を開けた。
 
 
そこには、シホの恋人であるイザークの従兄弟、の妻でありーーーディアッカのかつての彼女、のうちの一人であった、シェリーが粉まみれの姿のまま、ふてくされた表情で立っていた。
 
 
 
「シフォンケーキ?」
 
 
 
目の前に並ぶ二つの物体を前に、ミリアリアはなるべく平静を装った声でそう口にした。
「はい。シェリーさんがシフォンケーキを作りたいから手伝ってほしい、と。
それで私がやって来たのですが、その…私も初の試みなもので…」
そう言って小さくなるシホ。
「で、二回とも失敗したって訳ね…。シェリーさん。味見、とか…させてもらってもいい?」
「…どうぞ」
固い声のシェリーについては極力気にしないようにし、ミリアリアはケーキを少量切り分けるとそっと口に入れた。
 
 
「…え。美味しいじゃない。」
 
 
その言葉に、シホの表情はぱぁっと明るくなり、シェリーの表情は複雑、としか言いようの無いものへと変わった。
「ほんとですかっ!?味、悪くないですか?」
「う、うん。普通にシフォンケーキだと思うけど…。これ、ヨーグルトシフォンでしょ?」
実はヨーグルトが好物のミリアリアは、しっかりと中に入れたものまで見通していた。
 
 
「…でも、この間のお料理教室では、もっとふわふわしてたわ。
こんな…カステラみたいなもちもちした食感じゃなかったっ!」
 
 
悔しそうなシェリーの声に、ミリアリアとシホはそちらを見つめる。
 
「アリーに、教室でシフォンケーキを作ったって話をしたら俺の好物だって言うから…。」
 
小さな声で呟くシェリー。
「…それで、こっそり作って、驚かせようとしたのね?」
ついくすりと笑ってしまったミリアリアを、シェリーは少しだけ潤んだ瞳でキッと睨んだ。
 
 
「なによ!どうせ私はあんたみたいに何でも作るなんて出来ないわよ!
いい気味だと思ってるんでしょ?散々馬鹿にされて来た私の失敗に立ち会えて良かったわね!」
「シェリーさん!なんて事言うんですか!」
慌てて止めに入るシホを、ミリアリアは手で制した。
 
 
「シェリーさん。私を呼んだのは、シホさんに言われたから?」
「…え」
「でも、シェリーさんの性格からして、ほんとに嫌だったら断固拒否するわよね?
それでも私がここにいるって事は、あなたも私を呼ぶ事に賛成したから、でしょ?」
「そ、れは…」
 
 
ミリアリアは、碧い瞳でシェリーをしっかりと見つめ、ゆっくりと言葉を発した。
 
 
「言っとくけど私、あなたにディアッカを譲るつもりなんて全くないし、ディアッカが選んだのは私、よ。
そりゃ、過去の事を笑って流すなんて簡単な事じゃないけど、私はディアッカに愛されてる自信がある。
だから、もうあなたの事なんとも思ってないわ。
あなた、この間のパーティーでディアッカに、結婚おめでとうって言ってくれたわよね?
だから私、あなたはもう彼の事吹っ切れたのかと思った。
……それともあなたは、まだディアッカの事、好きなの?」
 
 
「ミリアリアさん!?」
シホが驚いて声を上げる。
シェリーは、俯いて黙ったままだ。
 
 
「…アリーさんに、自分の作ったシフォンケーキ、食べてほしかったんでしょ?ディアッカじゃなく。
それって、アリーさんの事が好きだから、じゃないの?」
 
 
ミリアリアの言葉に、俯いていたシェリーの瞳からぽたり、と涙が零れ落ちた。
 
「アリーは…優しいから。私がどんなに失敗しても、おいしいって食べてくれて…。
…どう見たっておいしいわけないのに。
だから、せめてお菓子くらいなら分量通りやればちゃんと出来るはず、って…。」
「そうね。お菓子って基本レシピ通りの分量でやればそうそう間違いなく出来上がるものね。
でもね、レシピに載ってないコツだって色々あるのよ?」
「え?」
シェリーが涙に濡れた瞳をまんまるに見開く。
 
 
「夜までまだ時間はあるわ。気を取り直してもう一回作りましょ?
分からない所だけでも聞いてくれれば教えるわ。シホさんも、ね?」
 
 
そう言ってばちりとウインクをするミリアリアに、シホは笑顔で、シェリーはごしごしと涙を拭って頷いた。
 
 
 
「…そもそも、どうしてババロアの型で焼いたのかしら」
「っ…!形が、かわいかったから」
 
ーーーああ、自分にも、同じような時期があったなぁ…
 
ミリアリアは苦笑いしながら、脇に積まれた様々な型の中からシフォンケーキ用のものを取り出した。
 
「ふたつもあるじゃない、型。
ほら、これ真ん中からすっぽり抜けるようになってるでしょ?
こっちの方が見栄えもいいし、火もきちんと通るわ。」
「で、でもですね、ミリアリアさん。」
シホがすまなそうに口を挟んだ。
「レシピには…型のサイズが18cm用と仮定した分量が記載されているんです。
でも、この型は15cmだから…。」
ミリアリアはにっこりと笑って頷く。
「あ、じゃあちょうどいいじゃない。二つ作れば。」
 
 
「………え?」
 
 
あまりにも盲点だった提案に、シホとシェリーは同時に声を上げた。
 
 
 
***
 
 
 
「シェリーさん、まだ材料は残ってるわよね?あとドライフルーツある?」
「え?ブルーベリーとかラズベリーのなら少し…」
「じゃあそれ刻んでくれる?ふたつのうちひとつにはそれも入れたら、ちょっと違ったケーキになるでしょ?」
「…分かったわ。」
シェリーが棚からドライフルーツを取り出す。
「あんまり細かくしちゃダメよ?荒いみじん切りくらいで。」
「では、私は粉をふるいますね。」
 
二人があれやこれやと騒ぎながらケーキ作りを進めて行くのを、ミリアリアは黙って見守った。
味は問題なかったのだから、問題は食感。
そしてその原因も、ミリアリアには見当がついていたのだ。
 
 
「メレンゲ、冷蔵庫に入れたわ!さっきより角も立ってたし、いい感じなんじゃないかしら?」
シェリーが額に汗を浮かべながら高らかに宣言する。
「では、卵黄にもう一度粉をふるい入れなければ。シェリーさん、お願い出来ますか?」
 
どうやらレシピを読み上げる役としてこの場に呼ばれたらしいシホが、そう言ってシェリーを促す。
危なっかしい手つきで粉をボウルの上でふるうシェリーを、ミリアリアとシホはそっと見守った。
そうして、順調に生地が出来上がって行き、いよいよメレンゲを生地に混ぜる最終段階までこぎ着けた。
 
 
「まず、三分の一の量を生地に入れて、さっくりと混ぜ…」
「ストップ!」
 
 
ミリアリアの声にびくりと体を震わせる二人。
 
「シェリーさん、多分メレンゲを入れた後の混ぜ方が丁寧すぎるのよ。
白い所が見えなくなるまで混ぜたでしょ?」
「…一応普段よりはさっくり混ぜたつもりだけど…」
「混ぜ方が雑かな?くらいでいいのよ。空気を入れるように混ぜるものだから。
ちょっとやってみてもらっていい?」
 
シェリーがさらに慎重な、そしてぎこちない手つきでメレンゲと生地を混ぜて行く。
シホとミリアリアは、固唾をのんでそれを見守った。
 
 
***
 
 
オーブンから焼き上がりの音が聞こえてくると、シェリーはがばっとソファから立ち上がりキッチンに走って行く。
シホとミリアリアは顔を見合わせて思わず笑いあうと、紅茶のカップを置いてその後を追いかけた。
そっと焼き上がったケーキを取り出し、竹串を刺すシェリー。
 
 
「…さっきと全然質感が違うわ。串にも何もついて来ない。」
「じゃ、完成ね。そのままベリー入りのも焼いちゃったら?もう時間設定とか分かるでしょ?」
「ええ。そうするわ。」
 
 
いそいそとシェリーがまだ焼いていない方の型をオーブンに入れる。
よく見れば、手首のあたりにはいくつも火傷の後が見て取れ、ミリアリアは苦笑した。
 
 
「すぐ型から抜きたいと思うけど…熱いうちにそれをやっちゃうとケーキが潰れちゃうの。
だから、細いコップかなにかを支えに下に向けて置いておいて、冷めたらパレットナイフを周りに入れて型から浮かせてからケーキを取り出してね?」
「ええ、分かったわ。」
「あ、あと生クリームは食べる直前に作った方がいいわ。
電動ミキサーがあるなら、それはアリーさんにお願いしてもいいんじゃない?」
「あ…アリーに?!」
 
ミリアリアはいたずらっぽく微笑んだ。
 
「そのくらい参加させてあげても、バチはあたらないと思うわよ?
ケーキを作ったのはシェリーさんなんだし。」
「…あ、あのシェリーさん、私、そろそろ…」
 
シホの声に、ミリアリアは時計に目をやり慌てて自分もバッグを手に取った。
 
「やばっ!私もそろそろ帰らなきゃ。じゃシェリーさん、あとは頑張ってね?」
 
ぱたぱたと玄関に急ぐ二人を、シェリーは慌てて追いかけた。
 
 
「ちょっと、あの!」
「え?」
 
 
きょとんと振り返る二人。
 
「……シホさん、今日はありがとう。レシピ、見てくれて助かったわ。」
「…いいえ。お役に立てたなら良かったです。」
にっこりと微笑むシホ。
そしてシェリーは、ミリアリアに向き直った。
 
 
「あなたも…わざわざありがとう。本当に助かったわ。」
つん、としたいつものシェリーに、ミリアリアはまた苦笑した。
「どう致しまして。アリーさん、喜んでくれるといいわね。」
「それと!」
急に語気を強めたシェリーに、ミリアリアは驚いて目を丸くする。
 
 
「…ディアッカの事、私はもう何とも思ってないわ。ただの過去の男。私が愛してるのは、アリーよ。」
 
 
シェリーの真っ直ぐな視線を、ミリアリアは正面から受け止めた。
 
 
 
「それに、私だってアリーに愛されてる自信くらいたっぷりあるわ。
疲れてる時だって私の話をちゃんと聞いてくれるし、不味い料理も食べてくれるし、いつだってとっても優しいし…今とても幸せよ。
だから……あなたの事も、もう何とも思ってないわ、ミリアリア、さん。」
 
 
 
綺麗な黒髪やほっぺたを粉まみれにし、手首に火傷の痕を作りながらかわいらしいエプロンーーきっと相当高級なブランドのものだろうーーの裾をぎゅっと掴み、目を逸らしながら一気にそこまで言い切ったシェリーをミリアリアは呆けたように眺め。
ふわり、と花が綻ぶように嬉しそうに笑った。
 
 
「良かったら、また今度うちに遊びに来て?イザークやシホさん、アリーさんも一緒に。」
「…気が、向いたら…いつか、そうさせてもらうわ。」
 
 
素直になれないシェリーの言葉にシホが今度は苦笑する。
そうして、二人はシェリーに暇を告げるとマンションの外へ出た。
 
 
 
***
 
 
 
「ミリアリアさん、今日はありがとうございました」
深々と頭を下げるシホに、ミリアリアは首を振った。
「シフォンケーキ、私も何回やっても失敗したもの。気持ち分かるわ。」
「…あの、今度、私にも作り方教えて下さい!」
「もちろん!じゃあまた都合のいい日を連絡するわね。」
「はい!」
 
 
そうして二人は手を振り、互いの住む自宅へと足早に歩き出す。
ふと携帯を見ると、ディアッカからメールが入っていて、ミリアリアは慌てて画面を開いた。
 
 
『忙しくて昼飯食えなかった。今日のメシ何?腹減った。』
 
 
子供のような文面に思わず笑顔になったミリアリアはしばらく考え込むと、手早く返事を打ち込んで送信する。
 
 
『シフォンケーキ。ヨーグルトたっぷりの。』
 
 
ミリアリアからの返信を見て絶句するであろう愛しい夫の姿を想像し、ミリアリアはくすくすと小さく笑う。
さて、今夜はバターチキンカレーにでもしようかな。簡単だし、付け合わせのサラダに使える材料も確かあったはず…。
でも、副菜がこれと言って無いなぁ…。
 
 
ミリアリアはざっと頭の中で冷蔵庫の中身をチェックする。
そして、足早に二人で暮らすアパートへと歩き始めたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
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突発小噺(まさに突発ですよ)、いかがでしたでしょうか?
シェリーがまさかの再々登場(笑)
女子的トークとはちょっと違うかもしれませんが、ちょっと平和な日常を書いてみたくて
こういった感じになりました。
アリーとシェリー、うまく行っているようで何よりですね(●´艸`)
時間軸的には、えみふじ様との合作「ホームパーティー」の後になる話、となります!
今まで何があっても口にしなかったディアッカへの想いを初めて口にしたミリアリア。
それにしても、ミリィの良妻ぶりにはただただ頭が下がります(笑)
そして、ナチュラルのミリアリアに触れ、少しずつ心境に変化が訪れているシェリーをうまく
描く事が出来たかも心配です;;

いつもサイトに足をお運び下さり、ありがとうございます!
皆様に楽しんで頂ければ幸いです!

 

 

text

2014,11,3up